紫電改出陣! 「剣」部隊 衝撃のデビュー戦
大東亜戦争末期、新鋭戦闘機「紫電二一型」(紫電改)を集中装備し、歴戦搭乗員を中核に据えて、日本海軍戦闘機隊最後の光芒を放ったのが第343海軍航空隊、通称「剣」部隊でした。その初陣となったのが「松山上空大空戦」とも呼ばれる昭和20年3月19日早朝の大迎撃戦です。 呉方面を目指す米第58機動部隊の戦・爆・攻連合約350機に対し、闘魂・技量抜群の3飛行隊長に率いられた紫電改約60機は果敢な編隊戦闘でこれを迎撃、豊後水道~四国北西部~呉上空に渡って激烈な空中戦が展開されました。新鋭戦闘機「紫電改」を操る操縦員の技量もさることながら、それまでの日本機には見られなかった統制のとれた編隊戦闘は米海軍パイロット達に少なからずショックを与えています。 |
【 左 】 昭和20年3月19日早朝、呉方面へ向かう米機動部隊艦載機の大編隊
TBMアベンジャー艦攻、SB2Cヘルダイバー艦爆機群の上空をF4Uコルセア、F6Fヘルキャットの大編隊がカバーしている。 この日、米第58機動部隊から発艦し呉方面へ向かった艦載機は350機以上、戦闘機も多くがロケット弾や爆弾を装備していた。この後、彼らの一部は「剣」部隊による“恐るべき反撃”を受けることとなる。 |
■ デザインコンセプト ■
旧作品(※)の空戦デザインをブラッシュアップして背面へ移し、前面には新制作のオリジナルエンブレムをワンポイントで配置しました。再デザインに当り、最も重視したのは 松山基地の描画精度向上 です。可能な限り史実に忠実なデザインとすべく、各種情報収集を含め最大限努力いたしました。 (※)旧作品をご覧になりたい方はこちらをクリック |
【 前 面 】・・・剣部隊 オリジナルエンブレム 【 背 面 】・・・昭和20年3月19日、松山基地上空における邀撃戦を想像でデザイン。 鴛淵孝大尉率いる戦闘701とF6Fヘルキャットの格闘戦です。 【Tシャツカラー】・・・ナチュラル、ストーン の2色 |
今回新たに制作した343空「剣」部隊のオリジナル・エンブレム ~と言えばかっこいいのですが、要は作者が勝手に創ったマークです。出来る限りシンプルなものにしたかったのですが・・・様々な要素を考慮した結果、このようなデザインに落ち着きました。 |
■ 中央の機体シルエットは一目で紫電改と判るように、同機の特徴である「20ミリ機銃×4丁」 ■ 左下から鋭く伸びる3本のラインは3つの剣、すなわち343空を構成する3つの戦闘飛行隊 =「戦闘301」「戦闘701」「戦闘407」を表現しています。※ 初実戦を迎えた昭和20年3月19日時点で、343空には3つの戦闘飛行隊に加え、高速偵察機「彩雲」を主力とする偵察第4飛行隊(奇兵隊)、錬成部隊の戦闘401(極天隊)が存在したのですが、ここは涙を呑んで3つに限らせていただきました。 ■ 部隊名「劔」は、指揮所看板に書かれていた旧字を使いました。 |
昭和20年3月19日早朝 ・・・ 黎明から満を持して待機していた343空紫電改部隊は、高速偵察機「彩雲」から 『 敵大編隊四国南岸北上中 』 の報を受けるや、直ちに発進を開始。飛行場芝地からの迅速な編隊離陸によって、わずか10分の間に3個飛行隊・約50機が瀬戸内海に向けて飛び立っていきました。 伊予灘東方へ進出した総指揮官・鴛淵大尉率いる戦闘701は北上してきたF6F群(VBF-17、空母ホーネット)を攻撃、戦いの火蓋が切って落とされました。両隊の空中戦は松山方面へと流れ、松山基地周辺で空戦に入っていた戦闘407(林喜重大尉指揮)と空母エセックスのF6F群(VF-83)に重なったため、松山基地上空は敵味方数十機が入り乱れる大空戦場と化します。一方、しんがり出撃となった菅野直大尉の戦闘301は間合いと高度を取るために先行2隊とは逆方向へ上昇、呉~中部瀬戸内海方面で激烈な空戦を繰り広げました。 |
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■ 戦闘701飛行隊長、鴛淵(おしぶち)大尉の紫電改
呼称番号「C 343-45」は鴛淵大尉乗機の一つであったことが判っていますが、この日の機体が「C 343-45」であったかどうかは不明です。また、隊長機を示すといわれる胴体帯2本もその存在は確認されていません。※ 「剣」部隊では各飛行隊の識別記号にアルファベットを用い、戦闘301「A」、戦闘407「B」、戦闘701「C」と決められていました。
■ グラマンF6Fヘルキャット 戦闘701、407と乱戦を繰り広げたことが確認されている空母ホーネット「VBF-17」(第17戦闘爆撃飛行隊)のグラマンF6Fを写真資料などを参考に描いています。「煙は吐いても、なかなか火は吐かない」多くの旧搭乗員の方が仰る通り、強固な防禦力を持つF6Fですが、今回は被弾・発火している状態で描かせていただきました。
■ 松山基地の描画 343空戦史書の決定版『源田の剣』著者Tさまよりご教授いただいた搭乗員数人の記憶証言、飛行場計画図や郷土資料、数少ない空撮画像などから総合判断して描いておりますが、いかんせん不明な部分は多く・・・「少しは真実に近づいたかな」というのが正直なところです。 ■ 背景の四国北西部 眼下に広がる四国北西部海岸線と伊予灘の構図は、高度約3000mからの Google Earth 画像を参考に描きました。デザイン右方へ延びるのは佐多岬半島、その奥に見える海面は豊後水道です。 |
■ 松山基地デザインの解説 ■
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