「真珠湾作戦」最初の一弾はどこに落ちたのか? 2012/03/05
現在「99艦爆」第2弾、「99艦爆-真珠湾作戦Tシャツ」をデザイン中なのですが、
コンセプトは以下の通りに定めています。
1、 最重要ポイント : 真珠湾作戦の初弾を投下する99艦爆の情景を出来る限り史実通りに描く
2、 急降下感・高度感の表現
3、 突撃下令「ト連送」を何らかの形でデザインに組み入れる
さて・・・肝心の初弾が投下された「場所」なのですが、今のところ断定は不能と言わざるを得ません。
真珠湾作戦関連の著作・文章は膨大な量にのぼるため、それらをすべて検証するのは不可能ですが、私が知る限りにおいては“初弾投下場所”については3タイプの記述が見られます。最も記述が多いのは「ヒッカム飛行場」、次に僅差で「フォード島格納庫」、だいぶ落ちて「ホイラー飛行場」が続きます。
▲ 攻撃2か月前の真珠湾 中央が「フォード島」、左上が「ヒッカム飛行場」 |
▲ 炎上する「ホイラー飛行場」 米陸軍戦闘機が多数展開するオアフ島最大の航空基地で、日本軍は最も警戒していました。 |
内外戦史家の見解が分かれるということは、
この3か所は “ ほぼ同時に ” 攻撃されたと理解するのが妥当なのでしょう。
しかし、「こだわり」をもってそのすべてとする「Osabetty's」といたしましては、こここそが " こだわりどころ " なんですね。
また、デザインの現実的問題としましても、場所が変われば当然「風景」も変わるわけでして、さらに攻撃機のマーキングも変わってしまいます。すなわち、「ヒッカム飛行場」又は「フォード島格納庫」ならば攻撃機は「翔鶴隊」であり、「ホイラー飛行場」ならば「瑞鶴隊」となるわけです。従いまして本格的デザインに入る前に、この問題には一応の結論をつけておかねばなりませんでした。
ちなみに、第1次攻撃隊・急降下爆撃隊の攻撃目標配分は以下の様に決まっておりました。
■ 第1次攻撃隊・急降下爆撃隊 :
「99艦爆」×51機(翔鶴26機、瑞鶴25機) 爆装:全機「九八式二十五番(250㌔)陸用爆弾」×1発翔鶴隊・・・「フォード島」「ヒッカム航空基地」
瑞鶴隊・・・「ホイラー飛行場」また、各隊の攻撃順番につきましては、「奇襲」「強襲」を想定し、それぞれ以下のように定められていました。
「奇襲」成功の場合(信号弾1発)・・・・・ ① 雷撃 ② 水平爆撃 ③ 急降下爆撃
「強襲」の場合(信号弾連続2発)・・・・・ ① 急降下爆撃 ② 水平爆撃 ③ 雷撃
ということで、3つの候補地?それぞれの「可能性」について、私なりにいくつかの視点で考えてみました。
1,真珠湾作戦のタイムテーブルから考える
下図は第1次攻撃隊各隊の攻撃開始までの行動を示すものですが、「戦史叢書 ハワイ作戦」(朝雲新聞社)を元に私が描き直したものです。
以下、侵入の流れに沿って説明しましょう。
A : 展開下令 0310(ハワイ時間 0740)/ オアフ島最北端・カフク岬上空
奇襲成功を確信した総指揮官・淵田中佐は信号弾1発を発射しますが、最上空に占位する制空隊(零戦隊、指揮官:板谷少佐)が動かなかったため、「見落とし」と判断した中佐は10数秒待ってもう1発発射します。
これを信号弾2発=「強襲」と判断した急降下爆撃隊指揮官・高橋赫一少佐は、隊を率いて一直線に各攻撃位置へ増速移動を開始しました。前述の通り「強襲」の場合、急降下爆撃隊は一刻も早く敵航空基地を叩かなくてはならないからです。※ 高橋少佐は「奇襲」か「強襲」か一瞬迷った末、最悪の場合を想定して判断したもの思われます。
これを見た淵田中佐は一瞬狼狽したと伝えられますが、完全な奇襲であったため大勢に影響はありませんでした。
この事態に最も驚いたのは雷撃隊指揮官・村田重治少佐だったのではないでしょうか?「奇襲」を正しく認識していた村田少佐は、降下爆撃隊の爆煙で雷撃照準に支障がでる可能性を危惧し、大いに焦ったはずです。
この微妙な錯誤?によって・・・
真珠湾作戦第1弾の役回りは急降下爆撃隊に回って来たのでした。
B : 突撃下令「ト連送」 0319(ハワイ時間 0749) / ハレイワ陸軍航空基地沖上空
淵田中佐は突撃下令「ト連送」を発し、これを受けた各隊は直ちに攻撃行動へと移りました。
ここで注目されるのは「ホイラー飛行場」の地勢です。オアフ島中部に位置する同飛行場は急降下爆撃隊の3つの攻撃目標の中で最も近く、展開下令が下されたカフク岬からわずか20数キロしか離れていません。これは99艦爆(最高時速約380キロ)が時速300キロで飛んでも5分で到達できる距離です。
展開下令から突撃下令まで約9分が経過しておりますので、この突撃下令の時点で、「ホイラー飛行場」を攻撃目標とする瑞鶴隊(坂本明大尉指揮)はすでに同飛行場上空に到達しており、上空を旋回し敵情視察しながら攻撃命令を待っていたと推測されます。従って「ト連送」受信と同時に攻撃に移ったと想像することが出来ます。
一方、高橋少佐の翔鶴隊もまた攻撃目標「ヒッカム飛行場」「フォード島」のある真珠湾へ向けて全速で接近していたと思われますが、距離を考えますと、突撃下令(0319)の時点ではまだ到達出来ていなかったと思われます。
C : ワレ奇襲ニ成功セリ 「 トラトラトラ 」 0323(ハワイ時間 0753) / 真珠湾西方バーバース岬沖
淵田中佐の著書 『 真珠湾攻撃 』 (PHP文庫) によれば、バーバースポイントを左下に見ながら真珠湾の状況を観察し、敵機が全く上空に無く、地上砲火も皆無であったことを確認して「トラトラトラ」発信を指示したとのことです。その後間もなく、ヒッカム飛行場とフォード島に爆煙が上がります。
2,真珠湾作戦時 「飛行機隊戦闘行動調書」 の確認
この記録は各空母ごとにまとめられた調書で、 「アジア歴史資料センター」 などでネット閲覧できるものです。
真珠湾作戦時の各調書を見ると以下の様な記載が見られます。※ハワイ時間は追記しました
■ 空母「赤城」(攻撃隊総指揮官・淵田中佐)
0320(ハワイ時間 0750) 全軍突撃態勢ヲ執ル
■ 空母「翔鶴」(急降下爆撃隊指揮官・高橋少佐)
0320(ハワイ時間 0750) 突撃下令
0325(ハワイ時間 0755) 所定目標ニ対シ爆撃開始 次イデ各飛行場ノ銃撃■ 空母「瑞鶴」
0315(ハワイ時間 0745) 艦爆隊・ホイラー飛行場ヲ急襲シ地上飛行機及ビ格納庫ヲ爆撃銃撃・・・
翔鶴隊の真珠湾への攻撃開始時刻は0325(ハワイ時間0755)と記録されており、突撃下令0319の6分後です。
そして、驚くのは瑞鶴隊の攻撃時間「0315(ハワイ時間 0745)」です。
これは突撃下令0319より4分も早く、命令無しの攻撃は考えられない為 ほぼ間違いなく「誤記」であると思われますが、先述した距離の条件等を考慮すれば瑞鶴隊の攻撃が一番早かった可能性を示唆しているとも考えられます。
3,攻撃開始時点の総指揮官・淵田中佐の記憶
淵田中佐は前述の『真珠湾攻撃』の中で、攻撃開始時点の模様を次のように述べています。
『 かくてヒッカム飛行場にまず爆煙があがった。ついでフォード飛行場にもあがる。 はるかかなたのホイラー飛行場の方向でも、すでに黒煙が空高くあがっている。』 |
この時淵田中佐は水平爆撃隊を率いて西南方向から真珠湾へ接近しつつありましたが、当然視線は彼の攻撃目標である真珠湾を睨んでいたと思われます。そして真珠湾での爆煙発生を確認したのですが、この時すでにホイラー飛行場方向では黒煙が高く上がっていたということです。
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以上、長々と書かせていただきましたが・・・
これら私個人の愚考を総合しますと、真珠湾作戦第一弾の可能性が最も高いのは、
瑞鶴・急降下爆撃隊による「ホイラー飛行場」攻撃 と想定することができそうです。
背景となる「ホイラー飛行場」の描画に苦心しておりますが、デザインはようやく完成しつつあります。
また今回は「緻密かつシンプル」なデザインを狙い、「ポートモレスビー編隊宙返りTシャツ」以来の
「シルクスクリーン4色」という暴挙?に挑んでおりますので、是非ご期待下さいませ m(_ _)m