本日、品切れとなっておりましたサイズ「L」「XL」および「XXL」を追加補充いたしました。
お蔭様で2012年7月の販売開始以来、今回で4度目の追加制作となります。
累計販売枚数当店トップのこの作品、零細個人事業の存続を支えている?といっても過言ではありません。
お買い上げいただいた皆様には心より御礼申し上げます m(_ _)m
さて、同Tシャツのモチーフとさせていただきました“雷撃の神様”村田重治大佐ですが、
周囲に笑いをふりまく“ジョーク好き”であったとも伝えられています。
ただ、伝記小説『海軍魂』(山本悌一朗)を読むとなんとなく分かるのですが、
大佐はもともと「茶目な人」ではありましたが、本質は生真面目なところがあり、
皆の緊張をほぐす為にワザと大げさに笑いを振りまいていた?という側面もあったのではないでしょうか。
特にミッドウェイ海戦(MI作戦)の後は、皆がそうであったように
「MIの仇を討ってやる」という悲壮な決意を胸に秘めていたはずです。
そして迎えた南太平洋海戦、多くの搭乗員と共に還らぬ人となったのでした。
それはさて置き・・・今日は様々な場面で発せられた村田大佐のユーモア発言を集めてみました。
上記『海軍魂』のほか、真珠湾作戦以来の上官であり、これらジョークを直接見聞きしたと思われる
源田實大佐と淵田美津雄大佐の著書『海軍航空隊始末記』『真珠湾攻撃』などに登場するエピソードです。
■ 「指令、まことにお気の毒でございます」
いつも長靴を履いていた12空指令・三木森彦大佐の「水虫」を心配?して
■ 「淵田さん、元の仕事にもどされて、お気の毒です」
「オヤジさん、飛行隊長二度のつとめは楽じゃないですな」
昭和16年9月、2度目の赤城飛行隊長として赴任した淵田少佐を気遣う?挨拶
■ 「えっ!じゃキンメルがですね、朝食のコーヒーカップを、
こういうふうに半分持ち上げたところに、どかんとやらなければならんのですね。
こりゃ困った。参謀、楽じゃないですよ」
昭和16年11月末頃、真珠湾へ向かう赤城艦内で、
源田参謀の"長官室の真下に魚雷を打ち込め"との叱咤激励に応えて
■ 昭和17年1月、ラバウル方面に移動中の空母赤城での源田航空参謀とのやりとり
村田 「航空参謀、アメリカの軍法会議の話を知っていますか?」
源田 「いや、知らんよ。どうしたのだ」
村田 「はぁ、そうですか。では教えましょう。なんでも、キンメルが法廷に呼び出されたそうです」
源田 「ほう、それで?」
村田 「ところが、あんまりあわてていたもので、前をよくしめていなかったらしいんです」
源田 「・・・・・・」
村田 「そこで裁判長が注意しました。キン見ゆるぞと」
源田 「なに!」
村田 「キンメルも負けていなかったようです。
さっそく、でも帯が解けている(ルーズベルト)のよりよいでしょうと」
源田 「馬鹿野郎!」
■ インド洋作戦時、搭乗員たちと雑談中に源田参謀に対して
村田 「明日はお客さん沢山おいでになりますから、
あなた方はゆっくり、お客さん御馳走でも喰っていてください。
私たちはなるべく早く発艦し、着艦にはまた、謙譲の美徳を発揮して、敵機が帰ってから着くことに
しますから」
源田 「ひどい奴だ」
村田重治大佐、いろいろな意味で忘れがたいお方です。