オリンピックのJUDO 2012/08/02
暑中お見舞い申し上げます。
やっぱり オリンピックはいいですね~♪
他人事の様で選手の皆様には申し訳ないのですが、
「4年に一度」に賭ける超一流アスリート達の真剣勝負を
家に居ながら観戦できるなんて・・・こんな幸せなことはありません。
是非、また日本で開催してもらいたいですね。
さて、学生時代 10年間ずっと柔道をやっていたもので
やっぱり一番気になるのは柔道ですかね。
中学~高校時代は同地区の強豪校だった「報徳学園」「御影工業」などの壁を破れず、
団体・個人とも県大会地区予選での敗退を繰り返しました。
大学では奇跡的?に一度だけ団体戦で全国大会( 全日本学生柔道 / 日本武道館 )
に出場できましたが、全国レベルの試合は後にも先にもこれが最初で最後。この時の1回戦の相手は「大東文化大学」
今でこそ有名ですが、 当時は無名?でしたし、関西勢の我々は初めて聞く名前でした。
『 なんや?文化服装学院みたいな名前やな。ひょっとしたら勝てるんとちゃうか? 』
※ 大東大ならびに文化服装学院 関係者の皆様、何卒お許しくださいませ m(_ _)m
~ などと勝手に盛り上がっていたのですが・・・完敗・圧敗でした。
5人戦で0-5、総試合時間10分なかったかと orz
この大会の優勝校はたしか「東海大学」で、
2学年上?にあの山下康裕さんがいらっしゃったと記憶しています。
翌日、1回戦負けのショックもどこへやら
当時最盛期だった原宿をブラブラしていたことは言うまでもありません (^^;
ということで、私のような元・二流柔道部員にとっては、
全日本レベル=「怪物」 オリンピック選手=「化け物」
のイメージなんですよ。
そんな「化け物」であるはずの日本代表たちが苦戦するのを目の当たりにするのは、
なにか複雑というか・・・信じられない思いですね。
「柔道」自体、国際化の影響で私の頃(昭和40~50年代)とは大きく変貌しています。
昔は「一本を取りにいく」ことが最重要とされました。
「指導」「注意」「効果」がまだ無かった時代、
たとえ「有効」を何十本取られようが、最後に「技あり」か「一本」を取れば逆転です。
兵庫県警出身の監督もしょっちゅう言っておりました。
「 一本取られるちゅうことは、相手に殺されるちゅうこっちゃ。死にとうなかったら先に一本取らなアカン 」
勝負の鍵を握る「組み手争い」の激しさは昔も同じでしたが、今では直ぐに「指導」「注意」が飛んできます。
おのずと、勝つためにはポイントを取って逃げ切る戦略が重要となり、
その結果 「一本を取る柔道」 から 「ポイントを取るJUDO」 に変化してしまいましたね。
簡潔に言えば、日本古来の「柔道」は国際的にはもはや存在していません。
よく柔道家の方が仰る
「 柔道ではなくJUDOになってしまった 」 ~ などと嘆く気は毛頭ございませんが・・・
変貌したとはいえ、日本が「本家」なのですから
選手にはその「誇り」を持って戦っていただきたいですね。