先の日曜日、毎年京都にて開催される「海軍倶楽部総会」に出席させていただきました。
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▲ 毎年総会が行われる「レストラン菊水」
大正時代から京都四条大橋東詰にたたずむ歴史的建築です。
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今回の講演者は水偵偵察員としてレイテ沖海戦(重巡最上)、レイテ航空戦に参加された加藤昇中尉(海軍飛行予備学生第13期)でした。瑞雲Tシャツでお世話になって以来、加藤さんのお話は3度ほど拝聴しておりますが、毎回驚かされるのはその意気軒昂ぶり。正確な記憶力、理路整然でハキハキとした語り口、そして朗らかな笑顔・・・今年で95歳になられますが、約50分間一度も座られることなく平然と話しておられました(驚)
講演中、心に残った点などを以下に列記させていただきました。
※ 私がまとめたもので、加藤さんの発言そのものではありません。
■ 日本の国柄を大切に
神話の時代から皇紀2677年の現在まで、125代の男系天皇とともに歩んできた日本民族のルーツを忘れてはいけない。
■ 大東亜戦争は侵略戦争ではない
有名な終戦の詔勅に比べ、開戦の詔勅を読んだ人は少ないのではないか。そこには日本が開戦に踏み切った理由が明記されている。
■ 戦場の実態 ※ 「戦争の話はあまりしたくないのですが」 と前置きして語られました。
レイテ沖海戦では西村艦隊・重巡「最上」に水偵搭乗員として乗り組み、スリガオ海峡突破を目指したが「多勢に無勢」で全滅した。「最上」艦上での体験、目にした光景は凄惨極まりなく、甲板中に死体・負傷者がごろごろしていた。比島航空戦では634空「瑞雲」の機長(偵察)としてレイテ方面へ爆撃・偵察を繰り返したが、単機での夜間出撃時は本当に怖かった。当時は出撃前によく注射をしてもらったが、今思えばヒロポンだったようだ。飛行予備学生13期はわずか8カ月で少尉任官する超速成教育で戦場へ送られた。従って飛行時間も少なく、終戦時で200時間くらいだったと記憶している。
■ 安全保障の基本
自分の国は自分たちで守るのが基本。平和を叫ぶのは大事だが、人間である以上、理想や綺麗ごとだけでは現実に対応できない。北朝鮮の核問題が継続するならば、日本も核武装を検討せざるを得ない。
Tシャツ稼業を始めて以降、戦闘体験者さまの話を聞く機会に恵まれ、毎回貴重な体験と実感しています。幸いにも私の身内・親族に戦死者は皆無なのですが、そのせいか、若い頃は「先の大戦で失われた尊い犠牲のうえに今の日本がある」と聞いても正直ピンときませんでした。その後戦史関連書籍やインタビュー記事などを細々と読み続け、さらに体験者の凄まじいお話を聞くうちに、ようやく多少実感できるようになってきたところです。
その程度の私ではありますが、今の日本人は以下2点に対する意識が低すぎるのでは?と心配しています。(1)日本はなぜ大東亜戦争(支那事変、対米英戦争)を起こしたのか (2)その戦争で日本軍兵士は如何に戦ったか、の2点です。戦勝国による国際秩序が脈々と生き続ける現在、個人的にいわれなき批判や中傷を受けるケースは多々あるでしょう。例えば中国の方は事あるごとに「日本は中国を侵略したじゃないか」と非難します。確かに満州事変は侵略と言われても仕方がありません。しかし支那事変に至る経緯(盧溝橋事件→第二次上海事変)に関しては、少し勉強すればそんな単純な構図ではなかったことが直ぐに分かります。歴史とは勝者によって創られるものですし、日本もあの悪名高い極東軍事裁判を受け入れて国際社会に復帰した以上、国家としてこれに異義を唱えることは出来ませんし、実際やっていません。それば国際条約違反であり、国際信義に反するからです。( ※ 国家間の条約や約束を簡単に反故にする国もありますが ) しかし民間レベルなら話は別です。今後二度とあのような惨禍を繰り返さないために、これからの日本人はもっと大東亜戦争とそれに至る事実について探求する心を持ってほしいものです。
どうも重い話になってしまいました。すみません。