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二式飛行艇Tシャツ 制作報告 その(2)  2015/11/04


10月中のデザイン完成を目指していた二式大艇Tシャツですが、やっぱり無理でした ( ̄ヘ ̄;)

主な原因は描画の意外な?難しさですね。
デザインサイズ的には「小さい」部分につき楽観していたのですが・・・
全体バランス(縮尺率)や視点角度など、やっかいな問題に手を焼きつつ、ようやく以下の要素を描き終わりました。

■ 整備兵 5名
■ 搭乗整備員 1名
■ 海面、繋留ブイ
■ 背景(山並み、桟橋上で見送る人々)


少しづつ飛行艇を取り巻く「世界」が出来上がってきましたね ♪

二式大艇Tシャツ背面デザイン

▲ 背面デザインの全体イメージ


二式大艇Tシャツ背面デザイン

▲ 仮想ストーリーはこんな感じ・・・内地の飛行艇基地、出撃直前になっても左翼2番(内側)4番(外側)エンジンの不調がおさまらず、最後まで調整を試みる整備兵と見守る先任整備下士官。整備兵は引き出し式の整備・点検用足場に乗っている。見送りの人波に向かって敬礼しているのは、心配して先乗りした搭乗整備員(機関士)。



いよいよこれから、最終パーツとなる“艇に乗り込まんとする搭乗員たち”に取りかかります。


■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 


ところで、「二式飛行艇」(二式大艇)をモチーフとするのは2回目なのですが、
図らずも似たようなアングルで描いていることに最近になって気付きました。
よっぽどこの角度が好きなのか、はたまた頭が固いのか(笑)

2式飛行艇Tシャツ

【 旧作品 】 水上滑走する「二式飛行艇」と接近する内火艇






川西二式飛行艇(二式大艇)長袖Tシャツ

松山へ行ってきます 2015/11/06日

以前の日記でも少し書かせていただきましたが、
「一式陸攻Tシャツ」のテーマとなったガダルカナル雷撃(昭和17年8月8日)に参加された「三沢空」搭乗員さまが
四国松山にご健在です。※ 当時の編成で「三沢空」第2中隊 第1小隊 2番機 偵察員


一式陸攻Tシャツ背面イメージ

▲ 一式陸攻ガダルカナル雷撃Tシャツ



私がこの事実を知ったのはTシャツ発売のあとだったのですが、本当に驚きましたね。
「あの決死的雷撃の当事者が、今も生きていらっしゃる!」


その後、周囲からの情報提供によりご住所が判りましたので、ご挨拶の手紙とTシャツを送らせていただきました。
どのような反応があるか?非常に不安だったのですが・・・幸いなことに大変お喜びいただき、
何度か電話でお話をさせていただくうちに、今回の松山訪問となりました。
90をはるかに超えるご高齢ですが本当にお元気な方でして、こちらも方もまたビックリです(笑)


一式陸攻の雷撃

▲ この攻撃に参加されていた方です。よくぞ御無事で!


ということで、11月8日(日)松山市へ行ってまいります。
ついでに松山飛行場周辺の掩体壕群も見学したいところですが、時間があるかどうか。





一式陸上攻撃機 ガダルカナル雷撃Tシャツ

松山へ行ってきました  20125/11/09


前回日記で書きました通り、去る11月8日(日)日帰りで愛媛県松山市を訪れました。

目的はもちろん、旧「三沢空」一式陸攻偵察員として「第一次ソロモン海戦」ガダルカナル雷撃に参加された
天野環(たまき)さま[丙飛5期、飛練21期]のお話を聞くことでした。

今年で94歳になられる天野さまですが、お会いしてみると・・・いたってお元気でビックリ!
バイタリティといいますか、感性豊かといいますか・・・活力溢れる語り口はとても90を超えたお年寄りのそれでは無く、
私も大いに引き込まれ、かつ多くの質問をさせていただいた次第です。凄惨を極めた戦闘状況も含め数々の貴重な体験談をお聞きすることができましたが、これらの話は天野さまのご了解を得たうえで日記に掲載する予定ですので、準備が出来るまでもうしばらくお待ちくださいませ。

天野さま訪問は午後からでしたので、午前中は松山飛行場周辺の旧海軍掩体壕見学に当て、現存する3つの壕を確認してきました。当日の天気予報は「雨ときどき曇り」につき、珍しく?用意周到に折り畳み傘を用意していたのですが、幸いにして滞在中雨は一滴も降らず、逆に歩き回った分「汗だく」になってしまいました(笑)



ということで、今回の松山訪問につきましては 今後以下のような感じで随時ご報告していく予定です。

松山報告 その(1)・・・ 松山飛行場周辺に残存する旧海軍掩体壕レポート
松山報告 その(2)・・・ 旧「三沢空」搭乗員・天野さまの戦争体験談

天野さまの戦争体験談につきましては、どう考えても「長く」なりそうですので、2~3回に分けて掲載することになると思います。



美しい松山城

▲ 美しかった松山城!城は徒歩で登るに限ります。





一式陸上攻撃機 ガダルカナル雷撃Tシャツ

在庫補充とサイズ拡張のお知らせ  2015/11/10


品切れサイズが増え、大変ご迷惑をおかけしておりました「台南空メモリアルTシャツ」ですが
本日、在庫補充とともに最大サイズ「XXXL」を新設させていただきました。


台南空メモリアルTシャツ

よろしくお願いいたします m(_ _)m




【 モノトーン 】

【 セピアトーン 】

二式飛行艇Tシャツ 制作報告 その(3)  2015/11/13


最後に残っていたパーツ "艇に乗り込む搭乗員たち" をなんとか描き終わり、
ようやく背面デザインが完成に近づきました。


二式飛行艇Tシャツ 背面デザイン



最も小さい人間のサイズ=2センチ未満という細かさで、今回はまさに「小ささ」との戦いでした。
二式大艇の「巨大さ」を表現するために「小ささ」で苦しむとは・・・皮肉なもんですね。もう、目がおかしくなりそうです(笑)


二式飛行艇Tシャツ 背面デザイン

▲ 一番右の搭乗員は日本刀を手にしています。
結局「ゴム艇」なる小艇の詳細はわからず、私の想像で描かかせていただきました。


それにしても、搭乗員たちが救命胴衣を着用していて本当に助かりました。
なぜかと言いますと・・・画像を見ていただければお判りの通り、
搭乗員であることを表現し得るアイキャッチャーは救命胴衣しか無いからです(^^;


さて、前面はシンプルなワンポイントとする予定です。
ワンポイントゆえにサイズは限られますが、できれば背面とは対照的に「迫力」を表現したいですね。





川西二式飛行艇(二式大艇)長袖Tシャツ

旧海軍「吉田浜飛行場」(松山基地)の残存掩体壕  2015/11/14

去る11月8日(日)、旧「三沢空」陸攻搭乗員さまに会うため日帰りで松山へ行ってまいりましたが
午前中はかねてより行ってみたかった旧海軍掩体壕の見学散策に当てました。

終戦直後 60基以上存在していたと言われる掩体壕ですが、時代と共に宅地開発が進み、現在確認できるのはわずか3基とのこと。これら掩体壕につきましては、先人好史家さまによる記録がネット上に多数存在しますが、今回主に参考にさせていただきましたのは2006年における状態を詳細に記録された以下のサイトです。お蔭様で場所も事前に確認でき、飛行場から徒歩で楽に到達することができました。本当に感謝しております。

■ サイト「掩体壕」
  トップ  
http://uroneko02.com/entai_top.htm
  松 山 http://uroneko02.com/entai_matuyama.htm


【 場 所 】


現存する3基はいずれも戦時中掩体壕が密集していたと思われる現「松山飛行場」滑走路南端周辺エリアに存在し、現住所では「松山市南吉田町」となります。南北に走る県道22号沿いに点在するこれら3基はそれぞれ距離も近く、一番離れている掩体壕①と③でも直線距離は300mほどしかありません。「掩体壕」さまのサイトではこの3基以外に、過去に確認された2基の場所も明らかにされておりましたので、今回はそちらも確認してまいりました。

▲ サイト「掩体壕」さまの情報を元に再制作させていただいたマップです。①~③は現存する掩体壕。④⑤はかつて存在していたとされる場所です。見ての通り松山空港からは非常に近く、十分に歩いて行ける距離でした。

【 左 】 昭和22年米軍撮影の松山飛行場周辺空撮画像に合わせてみますと、大体赤で囲んだあたりだと思われます。※あくまでも私の検証です。



【 残存掩体壕 3基の現状 】


■ 掩体壕 ①
(愛媛県松山市南吉田町511番地 あたり)


「掩体壕」さまの2006年リポートでは、唯一内部まで入れる掩体壕だったのですが、今回行って見ると大きく変貌しておりました。掩体壕そのものはゆるぎなく存在しているのですが、ほぼ左半分が住居化されており人が住まれている様子。近くに寄ってみますと、内部から人の声が聞こえます。表札は無いものの扉横にインターホーンがありましたので、しばらく迷った末、押してみました。かなり迷惑そうなお顔で出てこられたお兄さんに事情を説明したところ、『 外から写真撮るのはいいいけど、中はあかん 』 とのこと。あくまで私の勘なのですが、どうやら中で麻雀をやっておられるようです。まさか・・・雀荘化?

▲ 県道22号をはさんで望見。中央に掩体壕の右半分が見えています。

▲ 近づいて見ると、なんと!左半分が住居化していました。

▲ 前部左半分は完全に閉じられ、正面には扉が。

▲ 壕の右半分はほぼ放置状態。

▲ 真横から見る。端部分が大きく削り取られています。

▲ 後ろより見る。後方スペースは完全に隣家のポーチと重なっています。



■ 掩体壕 ②
 (愛媛県松山市南吉田町939番地 あたり)

県道22号をはさみ、掩体壕①の北西約270mに位置するのがこの②です。ここは「掩体壕」さまの2006年リポートから全く変化がないようです。壕前面に住宅が建っているため内部はもちろん正面からの観察も困難な状況でした。ただし、住居裏側の小さな広場に回ると壕の後部がむき出しになっていますので触って確認することもできます。

▲ 壕の正面は住宅でほぼ塞がれています。

▲ お宅のお庭越しに見える右半分。かっての航空機掩体壕は車庫として使われている?

▲ 後方にからは十分に観察できます。

▲ 後方真後ろから。横には小屋が立っています。

なんとか壕内部を見学できないものか?と住居前をウロウロしていたところ、筋向いの家からおばさん登場 『 何してるのん?』 その眼差しは明白に不審者に対するそれでした。慌てて掩体壕を見に大阪から来たことなどを説明すると、おばさん曰く『 せっかく来たんやから、頼んで見せてもらったらええのんとちゃう?』 ということで、おばちゃんに背中を押され、インターホーンが見当たらなかったので何度か大声で叫んでみました 『 すみませーん、大阪からきた者ですが、掩体壕の見学をさせていただけませんでしょうか?』 ・・・ するとしばらくの後、2階ベランダにご主人様らしき方が現れて一言、『 中には何もないよ!勘弁してよ 』 ・・・ 『 誠に失礼いたしました。もう帰ります。』 そりゃそうだ。日曜の朝っぱらから家の前で叫ばれてはたまったものではありません。ふと横を見ると、さっきまで直近で見ていたおばさんの姿は影も形も無い。

次へ向かう道すがらたまたま出会ったお爺ちゃんに取材したところ、終戦直後には多数の掩体壕が残っていたこと、朝鮮から来た人たちなどが鉄筋を抜くために掩体壕を破壊して回っていたことなど、昔話を聞かせていただきました。



■ 掩体壕 ③
 (愛媛県松山市南吉田町1020番地 あたり)

掩体壕②から北東へ200m、県道22号沿いの最も分りやすいところに存在するのがこの③です。ここも「掩体壕」さまの2006年リポートとほぼ同じ状態で畑の脇に鎮座していました。相変わらず倉庫として使われているようで、入口部はトタン板で閉鎖されているため内部を見ることはできません。が、壕全体の形状は十分確認できます。正面扉の横には「掩体壕」と書かれた看板が立てかけられていました。

▲ 県道22号から簡単に見つけられます。壕の背後には堂之元川が流れています。

▲ 正面は完全に閉じられています。

▲ 斜め後方より。

▲ かまぼこを2つ縦に連結した様な形状。

▲ 正面は全面的に塞がれているため、入口の形状はわかりません。何かの倉庫として使われているようです。

▲ 扉横に置かれた「掩体壕」と書かれた木製看板。いつからあるのだろうか?



【 未確認掩体壕の現状 】


未確認掩体壕 ④
 (愛媛県松山市南吉田町624番地 あたり)

県道22号から一筋入ったところですが、ここは完全な住宅地でそれらしき痕跡は全くありません。この筋では子供たち数人が遊んでいたのですが、2度目に通りかかった時には明らかに疑惑の目?で見られていました。困惑していると、近くの家からおばさん登場。救い!とばかりにいろいろ質問してみましたが 『 ここに住んで20年ほどになるけど、そんな話は聞いたことが無い。』 とのことでした。

未確認掩体壕 ⑤ (愛媛県松山市南吉田町624番地 あたり)

未確認掩体壕④から北へ約150mのところ。ここでもやはり何の痕跡も見つけることはできませんでした。「そこ」に建っている民家の方に情報を聞こうとインターホーンを押したところ、またまた怪しまれ?お婆さん(多分)と扉越しで会話する羽目に。『 昔はなんかあったように聞いてますけど、今はないです。』 とのこと。本当にご迷惑をおかけいたしました。



■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■ 



ということで、現存掩体壕3基を確認することができました。
この3基の場所はすべて私有地であると思われ、現状においてそれぞれ活用(①住居、②車庫、③倉庫)されていますので、直ぐに撤去される可能性は低いとは思います。ただ老婆心ながら一番心配なのは、現在農地脇で倉庫?として使われている掩体壕③でしょうか。22号沿いの好立地?ですし、新たな土地開発が決れば畑地とともに簡単に消去されてしまいそうな感じがします。かつては紫電改、紫電、彩雲などが格納されていたと思われる貴重な掩体壕、何とかその存在・形を残していただきたいのですが・・・。





松山上空大空戦!「343空」紫電改 vs グラマンF6Fヘルキャット

二式飛行艇Tシャツ 制作報告 その(4)  2015/11/19

二式大艇Tシャツのデザイン、やっと完成いたしました。

取りあえず今回は「長袖」だけの制作で、カラーは「ホワイト」「ヘザーグレー」の2色展開の予定です。
あくまでも年内発売を目指しておりますが・・・ちょっと微妙かも知れませんね ( ̄ヘ ̄;)



二式大艇Tシャツ前面ワンポイントデザイン




【 左 】 前面デザイン

(イラストレーターのイメージ画像)

かなりシンプルなワンポイントです。
機体名の字体は、現在「海上自衛隊鹿屋航空基地」に野外展示されている唯一の現存機「川西第426号」機のものを参考にデザインしました。

一方、背面デザインの最終形は以下(↓)のようになっております。



二式大艇Tシャツ背面デザイン

     ▲ 背面デザイン ( イラストレーターのイメージ画像 )

ど忘れしていた「H-6電探用アンテナ」を機首側面に追加しています。機首先端のものも描きたかったのですが、デザインの煩雑化を避けるため今回は側面だけとしました。上空には飛行する2機の大艇を加え、デザインバランサーも兼ねた下部の英文コピーでは二式飛行艇(二式大艇)の概略を簡潔に書かせていただきました。



二式大艇Tシャツデザインイメージ





川西二式飛行艇(二式大艇)長袖Tシャツ

二式飛行艇Tシャツ 制作報告 その(5)  2015/11/27


二式大艇Tシャツ、本日印刷所に入りました。

これから色校正を経て本生産に入ります。
あくまで年内発売を目指しておりますが、現時点ではどうなるか全くわかりません。

季節柄、今回は長袖のみの制作となりますが、来春には半袖も追加したします。
Tシャツカラーは「ホワイト」「ヘザーグレー」の2色、
サイズはいつも通りS~XXXLまでのフルカバーです。 ※ XXXLサイズは「ホワイト」のみとなります。

どうかご期待くださいませ m(_ _)m

二式大艇Tシャツ商品イメージ

▲ イラストレーターのイメージ画像です。今回はシルクスクリーン印刷につき、使用カラーは3色のみ。



■ ■ ■ ■ ■

さて、次回作品のテーマは「伊四〇〇 & 晴嵐」です。
揺れる洋上、時間との闘い!「晴嵐」発進準備を進める整備兵や搭乗員たちの雄姿を描きたいと思っております。
が、例によって苦戦の予感たっぷり(^^;





川西二式飛行艇(二式大艇)長袖Tシャツ

二式飛行艇Tシャツ 制作報告 その(6) 色校正 2015/12/07


色校正は本日問題なく終了しました。

今回の印刷カラーは3色ですが その内ひとつは日の丸・軍艦旗の「赤」ですので、実質2トーン(2階調)です。「Osabetty's」開業以来もう5年のお付き合いとなる東大阪市の老舗印刷所さま、期待通りの階調を出してくれました。



二式大艇Tシャツ ホワイト

▲ Tシャツカラー:ホワイト
階調は暗緑系の2トーン。二式大艇、搭乗員、整備兵などの細かいディティールも明快に再現されています。
※ 上の画像は露出補正、ホワイトバランスともに失敗気味ですが(^^;Tシャツカラーはホワイト(真っ白)です。


二式飛行艇Tシャツ ヘザーグレー

▲ Tシャツカラー:ヘザーグレー
こちらはグレー系の2階調。Tシャツ地色との兼ね合いで少し心配していた英文コピーでしたが、問題無く読めて一安心。



この分ですと天長節(12月23日)までに発売できそうです。

今回発売は「長袖」のみで、Tシャツカラーは「ホワイト」「ヘザーグレー」の2色。
サイズはいつも通り「S」から最大サイズまでカバーいたします。なお、「XXXL」サイズは「ホワイト」のみとなります。


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さて、旧「三沢空」陸攻偵察員 天野さまのお誘いもありまして、今週末松山市で開催される「愛媛零戦搭乗員会 総会兼忘年会」に参加させていただくこととなりました。毎年四国在住の旧海軍航空関係者や愛好家など数十名が参加されるこの集い、どんな方々にお会いできるのか今から楽しみです。11月に続き今年2回目の松山ですが、日帰り強行軍の先月とは違い今回は一泊ですので・・・! 温泉も楽しんできたいと思います(喜)





川西二式飛行艇(二式大艇)長袖Tシャツ

愛媛零戦搭乗員会   2015/12/16


去る土日、「愛媛零戦搭乗員会」参加のため、四国松山は道後温泉へ一泊二日で出掛けてまいりました。

愛媛の会は初参加につき緊張していたのですが・・・見渡すと知ったお顔、どこかでお会いした方が結構いらっしゃる。
旧海軍の方7名、ご親族さま、戦史研究家、搭乗員研究家、海軍航空隊愛好家などなど約50名が集まる盛会でした。1830スタートの宴会では色々な方としゃべっている内にあっという間に「お開き」の2100に。その後も各部屋へ場所を移し、深夜まで戦史談義が続きました。

私の場合、「零戦搭乗員会」は毎回勉強させていただくとともに、いろいろな意味で驚異的?な方々と会える貴重な場なのです。多すぎてすべては書けませんが、今回の私的トピックスは以下のような感じでした。


■ 同会会長・北沖さま(操練53期!)の95歳とは思えない矍鑠(かくしゃく)たるお姿に驚嘆。
■ 「三沢空」一式陸攻偵察員 天野さま(94歳)と1カ月ぶりに再会。相変わらずお元気そうで嬉しい限りです。
■ 343空「偵4」杉野さまから、当時の松山基地滑走路の様子や掩体壕保存の話など教えていただきました。
■ 343空「戦闘301」近堂さまより、宮崎勇少尉(2012年他界)の思い出話を聞かせていただきました。
■ 桜花特攻戦史の金字塔『神雷部隊始末記』の著者 Kさまと初めて親しくお話しさせていただきました。
■ ガンカメラ映像による戦史発掘で知られる「宇佐市塾」(大分県中津市)の方から松山基地銃撃未公開映像を
  見せていただきました。
■ 「零戦里帰りプロジェクト」のYさまから現状をお聞きしました。


三沢空偵察員、天野さんと

【 左 】
宴会の翌朝 「三沢空」天野さま宅を訪問させていただきました。
右上のパネルにご注目。

昭和17年8月8日のガ島雷撃を生き抜かれ、今年で94歳になられる天野さま曰く・・・
『100歳は通過点、わしは120まで生きるよ。あんたも長生きしなされや 』

参りました <(_ _)>
私のほうが先に逝ってしまいそうです(笑)



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


【 松山番外編  愛媛県立 松山商業訪問 】


さて、以下は戦史とは全く関係のない「球史」の話です。

実はわたくし、自称「超高校野球ファン」でして、甲子園には過去数えきれないほど観戦に行っております。その記念すべき観戦第1回目が昭和44年夏の決勝「松山商-三沢」(延長18回引き分け)だったわけで、まぁ 松山商とは縁があるのですね。ということで、松山に来たら松山商業を訪れる。これは私にとって必然なのです。

土曜日でしたので「野球部練習してるかなぁ?」などと考えながら勝山町で市電を降りて学校へ向かいましたが、なんと年1回の文化祭「商神祭」の最中でごった返しておりました。しかも、圧倒的に女子生徒が多い! どうしよう・・・ 校門前で躊躇していますと、先生らしき方が「どうぞ」と招き入れてくれました。これ幸いとばかりに入り込み、ついでに野球部関係展示物の案内までしていただきました。先生、感謝しております。


▲ 【左】 栄光の伝統を誇る野球部  【右】 78回夏決勝での矢野選手「奇跡のバックホーム」 これは凄かった!

▲ 【左】 大会記録「11連続安打」を含め猛打をふるった68回夏大会の記念碑 【右】 全国制覇した51回夏の切り抜き集



甲子園出場42回、優勝7回(夏5回、春2回)を誇る古豪・松山商業ですから、練習グラウンドは別の場所にあるのかと思いきや、さにあらず。実は学校の中にあるのです。校庭がそのまま野球グラウンドとなっておりまして、野球部以外の運動部のほうが校外で練習しているとのこと。今回は文化祭でしたので練習は無く、グラウンドも臨時駐車場と化しておりましたが、内野エリアだけはフエンスで保護されておりました。さすがですな。 しかし、練習見たかったな。


最近は今治西、済美などに押されて甲子園から遠ざかっておりますが、戦前から積み重なるその伝統は偉大そのもの。
必ずや復活して甲子園でまた素晴らしい野球を見せてくれることでしょう。

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