日本人的な戦闘機「零戦」 2010/05/26
これが最初の店長日記です。
まずは・・・当店商品に今後も登場するであろう、大好きな「零戦」についてのダラダラ雑感です。
「12試艦戦」(零戦)の開発に当っては、格闘戦性能と航続距離を重視するあまり防御力はほぼ考慮外とされ、機体は極限まで軽量化されました。今思えばこの時点でほぼ改良の余地のない機体だったわけで、ある意味では進化を極めた生物のような「完成度」と同時に、もうこれ以上進化不能の「悲壮感」を併せ持った戦闘機だったような気がします。
この精密品の真価を発揮させるには、高度かつ繊細な操縦技術が要求されたであろうことは想像に難くありません。
しかし、昭和12年頃から中国戦線で実戦を積み重ねていた海軍航空隊には、名人級パイロットが既に多数存在していました。彼ら職人達がこの高性能戦闘機を操って活躍した結果、大東亜戦争初期に於ける制空権確保につながったわけです。まさに戦略的な働きだったといえましょう。
その後米軍は大馬力エンジン搭載の新鋭戦闘機を計画投入し、その特性を活かした高速による一撃離脱戦法に徹し始めます。“零戦と同じ土俵で勝負しない戦法”というよりは、急速に進化する戦闘機戦術の世界的潮流に沿っているといった方が正解でしょう。これは単に戦術の違いだったわけですが、得意の格闘戦に持ち込む機会が減少した零戦は、その存在価値を急速に希薄化させていきます。
一方、悲しいかな日本には高出力発動機を高品質大量生産する基礎工業力はなく、技術者達の必死の尽力や国民総動員の生産体制にもかかわらず、その後終戦まで完全に満足な発動機を開発することは遂に出来ませんでした。空襲による工場の壊滅、海上封鎖による物資の欠乏等がこれに拍車をかけたのは言うまでもありません。結果、進化限界の零戦にさらなる改良?を加え続けるしか手がなかったのでしょう。
過酷な消耗戦によって熟練搭乗員が失われていった時、果たしてどうなったのか?いかに気迫に溢れようとも、にわか促成の搭乗員では零戦のみならず繊細な日本機を乗りこなすことはできない~という大変悲しい事実です。
こう考えてくると「零戦」は良くも悪くも、非常に日本人的な戦闘機だったといえましょう。
個人が自らの研鑽によってその能力を名人芸にまで磨き上げ、その名人芸にのみ応える造り込まれた高性能マシン。いかにも私たち日本人が好みそうなシチュエーションではないでしょうか?
ところで、日本人は「組織的」とよく言われますが、私は逆な気がします。
一部集団・個人による超人的活躍で局地戦闘にはたびたび快勝するが、全体としての戦略目標は達成できない。現在の社会に於いても、優れた研究者や技術者が多数点在するにもかかわらず、会社や国家の組織戦略としてその財産を生かしきれていない。日本人独特の「正々堂々」とか「潔く」といった潜在的価値観の影響なのか、タフ&冷徹な戦略思考が苦手なんだろな、多分。
う~~ん。なんか複雑な気持ちになってしまうんですが・・・。
私はそんな日本人気質が大好きですし、日本人に生まれたことを誇りに思う今日この頃です。
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