商品番号 0-006
商品名
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メッサーシュミットMe163、B17爆撃機大編隊に突入!/オーガニックコットンTシャツ |
商品番号
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0-006 |
グループ
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ドイツ軍Tシャツ |
モチーフ
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ドイツ空軍 / メッサーシュミット Me163 Kometo
USAAF アメリカ陸軍航空隊 / ボーイング B-17 爆撃機 |
販売期間
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2010年6月~2013年1月 |
印刷手法
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シルクスクリーン印刷 3色 |
世界初有人ロケット戦闘機として大戦末期に登場したドイツ空軍 メッサーシュミットMe163 Kometo( ※ コメート=彗星) しかしその革新的な機体もほとんど戦果を上げられずに終わっています。構図は、後世に多大な影響を与えたMe163とパイロット達のパイオニア精神に敬意を表する意図で想像したデザインです。( 実際には1944年12月にMe163の実戦出撃は確認されていないようです。) 【 構 図 】 ドイツ軍最後の反撃「ラインの護り」(バルジの戦い)もほぼ絶望的となり、敗色濃い1944年(昭和19年)12月下旬。飛行機雲を引きながら“わがもの顔”で飛来する米軍B-17大編隊に対し、降下攻撃を仕掛けんとする第400戦闘航空団(JG400)所属Me163Bの雄姿をイメージしました。ドイツ語コピーはパイロットの複雑な心境を物語っています。 ■ ドイツ語コピー解説 : |
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B-17大編隊の遠近感を出すのがまず大変でした。さらに「雲」とエンジン排気の「飛行機雲」が重なるため、かなり苦悩した記憶がありますが、それなりの世界は表現できたと思っております。 |
■ シルクスクリーン 3色 ■
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【 メッサーシュミット Me163 Kometo ( 彗星 ) 】
第2次大戦時ドイツ空軍が開発した、史上初そして最後の実戦投入ロケット推進有人戦闘機。 開発スタートは1938年(昭和13年)で、無尾翼機の権威、A.リピッシュ(当時ドイツ滑空研究所所属)の「DFS194」に、H.ヴァルターのロケットモーターを搭載する先進的発想だった。リピッシュ・グループのメッサーシュミット社(Me社)移籍に伴い、1939年(昭和14年)以降開発の舞台はMe社へと移る。1941年(昭和16年)10月、試験機は時速1,004.5キロ(マッハ0.84)という驚異的世界記録を達成し、航空省は量産化を決定。 | ||
▲ A.リピッシュ博士 |
▲ H.ヴァルター博士 |
▲ JG400司令官 シュペーテ少佐 |
【 左 】 1941年(昭和16年)10月2日、人類初の水平飛行時速1000キロ超えを達成した試作機、Me163AV4「KE+SW」。 この世界最高記録は当然ながら極秘扱いとされた。 | ||
しかしロケットエンジン開発は難航。 実験部隊・Ekdo16でも事故が続出したため、Me163専門部隊「第400戦闘航空団」(JG400)の創設は1944年(昭和19年)にまでずれ込む。エンジン不調・爆発等による事故が絶えない中、5月14日にシュペーテ大尉(Ekdo16)が初出撃。接敵に成功するも、エンジンフレームアウト(停止)により攻撃機会を逸し戦果無し。 驚異的なスピードと上昇力を持つMe163の登場は連合軍に衝撃を与えたが、エンジン燃焼時間が約6分と極端に短いことからくる活動範囲の限界と、超高速ゆえの射撃困難性、30mm機関砲の慢性的不調、燃料取扱いの難しさ、頻発するエンジン不調・事故、さらに末期には酸化剤(T液/高濃度過酸化水素)調達不能に陥るなど、実用兵器としてはほとんど役に立たなかった。 1945年(昭和20年)2月生産打ち切り決定。 パイロットの多くは新鋭ジェット戦闘機・Me262部隊へと移動し、最後の戦いを繰り広げることになる。 空軍が受領したMe163の総数279機中、実戦離陸できたのは25%のみ。総戦果も撃墜10機に届かず、実験・訓練において失われた機体数ははるかにこれを上回る。しかし同機が戦後の航空界・ロケット工学界に与えた影響は極めて大きく、特にその推進システムはA-4(V2号)とともに宇宙ロケットの基礎となった。 | ||
【 左 】 ドイツ東部ライプツィヒ近郊、ブランディス基地で発進司令を待つMe163b群。 | ||
■ 主要諸元 : 「Me163 B-1a」 (最量産機種)
□全長:5.85m □全高:2.76m(台車上) □全幅:9.40m □翼面積:18.5㎡ □自重:1,900kg |