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鹿児島報告(その1) 「第一国分基地」跡  2012/04/27

4月20日、大阪(伊丹空港)から鹿児島空港へ飛び、最初に訪れたのが「第一国分基地」跡地(現在の陸上自衛隊国分駐屯地を含む霧島市国分広瀬・国分福島一帯)です。
昭和20年4月17日、鹿屋から「第一国分基地」へ移動した「343空」を待っていたのは、約1か月に渡るB-29邀撃戦でした。4月21日早朝、戦闘407・林隊長を含む紫電改23機が同基地から飛び立っていきました。そしてこれが林隊長最後の空戦となったのです。

◂ 鹿児島空港周辺は特攻基地
「第二国分飛行場」の跡地なのですが、今回は“343空と林隊長ゆかりの地”である「第一国分基地」優先ということで・・・展望デッキから旧滑走路方向(南東端)を望見するに止めました。

鹿児島空港から空港バスでJR国分駅へ移動(約25分)、
さらに私バスにて「陸上自衛隊国分駐屯地」へと移動いたしました。( いわさきバス?「自衛隊前」バス停下車)


より大きな地図で 鹿児島空港 → 国分 を表示

◂ 「第一国分基地」跡
昭和17年、約300ヘクタール(甲子園球場グラウンドの約270倍)に及ぶ航空基地が構築されました。
1600×1000mの滑走路と33基の掩体壕を持ち、176名の士官と約2300名の兵員を収容できたとのこと。現在の「陸上自衛隊国分駐屯地」敷地はほとんどが滑走路であったと思われます。

事前に調べたところでは、残念ながら旧基地の名残りは殆ど現存しておらず、
住宅地内に残る 「発電施設」跡 が唯一の史跡とのことなので、まずはそちらへ向かいました。

自衛隊駐屯地正門から歩くこと10分ほどで “そのあたり” に着いたのですが、案内板の様なものは一切なく、それらしき物は見当たりません(焦) 幸い、近くに郵便局(福島簡易郵便局)がありましたので尋ねてみますと・・・なんと目と鼻の先にありました!昔から「探し物下手」といわれますが、本領発揮ですな(^^;

幹線道路をはさんで郵便局向かい側の細い辻を入ると、すぐに見えてきました。案内板などが皆無だったのは、私有地内にあるからなのですね。

写真撮影の許可をいただくため、史跡に隣接する所有者さま宅を訪ねますと、たまたまご主人さま、奥さまがご在宅で快く了解していただきました。さらに幸運なことに、お二人から史跡に関するいろいろな話を聞かせていただくことができました。以下はその概要です。

■ ご主人は幼少の頃から同地にいらっしゃるため、施設内部の様子を熟知されている。
■ 子供が遊ぶと危険なため、北側に開いていた出入り口(?)は私費で埋めてしまったとのこと。
  従って現在は内部に入ることはほぼ不可能
■ 数年前、市役所の役人が突然現れ、無断で史跡を柵で囲い「立入禁止」にしようとしたことがあった。
■ 付近には機関銃陣地跡が残っていたが現在は撤去されており、当発電所が最後の残存史跡かもしれない。
■ 現在も小学生が授業で見学に来ることがある。また、地方からの一般見学者もたまにやって来る。
■ 周辺一帯には多様な史跡物が埋まっており、小学校の砂場を掘ると航空機の破片らしきものが出土する。

▲ 南側

▲ 危険防止のため埋められた出入り口

▲ 東側から:左上に煙突の跡が見えます

▲ 北側へ回ると・・・

▲ もう一つの煙突が確認できます

▲ 同じく北側の壁面

「第一国分飛行場」が存在したことを示す、唯一?の貴重な「史跡」ですので、なんとか霧島市で管理していただきたいと思うのですが、市で保全するとなると予算的なことも含めいろいろ問題もあるようです。一方、社団法人霧島市観光協会・霧島市特産品協会・妙見温泉振興会・鹿児島県ホテル旅館生活衛生同業組合 霧島支部・霧島商工会議所の5団体が共同運営する観光サイトでは「遊ぶ・巡る」というタグ内で当史跡が紹介されていたりします。

最後に、ご主人がわざわざ描いてくださった「見取り図」を掲載させていただきます。私の聞き取り情報などを赤字で加えました。

所有者ご夫妻さまには、突然お邪魔したにもかかわらず丁重なご対応をいただき、感謝いたしております。
本当にありがとうございました <(_ _)>

このようなご時世ですから、戦争時代の史跡に対する一般的意識が低いのはやむを得ないのかもしれませんが・・・
「そこ」には国や親族のために命懸けで戦った方々がいらっしゃったのですから、今流行りの“実効支配”ではありませんが、その「形」は残す必要があるでしょう。なんとか霧島市で正式に管理していただく運びになればとささやかながら願っております。

※ 「探し物下手」の私が申し上げるのも恥ずかしいのですが、わかりにくい場所であることは間違いありませんので、簡単な地図を作成いたしました。ご参考になれば幸いです。→ MAP表示



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さて、第一国分基地の司令部壕があった自衛隊駐屯地正門前には、
同基地から特攻出撃していった英霊を鎮魂する石碑 『 特攻機発進之地 』 が建っております。

「国分海軍航空隊」は昭和19年8月15日に「出水海軍航空隊国分分遣隊」から独立して開隊した練習部隊でしたが、翌20年3月に解隊し「観音寺海軍航空隊」として香川県に移転しています。その後沖縄戦を前にした3月中旬以降、第一・第二国分基地には各地航空隊から特攻隊が進出、400名余の英霊が沖縄へ飛び立っていきました。
※ 343空の第一国分展開時期は4月中~下旬の半月間ほどでしたが、この間も同基地からは彗星10機(13名)零戦2機(2名)が特攻出撃しています(合掌)

同記念碑は自衛隊駐屯地開設9年後の昭和39年に建てられたもので、毎年4月22日に霧島市主催の慰霊祭が行われています。私が訪れたのは4月20日でしたが、翌々日の慰霊祭に向け、すでにテント設営などが進んでおりました。

▲ 国分駐屯地正門

▲ 駐屯地正門より慰霊碑を見る

▲ 慰霊祭の準備中






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午後からは林隊長が戦闘407を率いて錬成を重ねた地「出水基地」跡へと移動することにしましたが、どう行けば一番早いのか(安いのか?)がよくわからず・・・ 結局 JR「国分」から日豊本線、鹿児島本線を乗り継いで「川内」まで行き、そこから肥薩オレンジ鉄道にて「出水」へと移動しましたが、バスで行く手もあったのかも?

途中、林隊長戦死の地の最寄駅「折口」を通過したのですが、お参りするのは翌4月21日(御命日)と決めておりましたので、失礼ながら車窓より祈らせていただきました。

▶ 次回は「出水基地」跡をご紹介いたします。

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