「343空」 紫電改、B-29スーパーフォートレスとの死闘
343空は迎撃の間合いを計るため 鹿屋→第1国分(鹿屋北方)→大村(長崎)へと基地を移動しながら奮戦。恐るべき防御弾幕を形成するB-29編隊に対し、戦闘301飛行隊長・菅野直(かんの なおし)大尉がすでに実践していた対大型機攻撃法「直上方背面攻撃」を導入して果敢な迎撃戦を展開しました。 ▼
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■ ■ 菅野直(なおし)大尉と“直上方背面攻撃”について ■ ■
高度差約1000mで反航、敵編隊をほぼ45°左下方に見たところで ほぼ「真上」からの攻撃となるため 殆どの敵機銃座から死角となりますが、双方の相対移動速度が大きいため高度な修正射撃技術が要求されます。また、射撃直後に敵機をギリギリでかわすこととなるため、衝突・接触の危険性が高く、その恐怖たるや半端ではなかったでしょう。
抜群の反射神経と強靭な精神力・勇気が要求される 通常では考えられない攻撃法 でした。しかし、菅野大尉は“イチかバチかの玉砕的戦法”を取る人ではなく、この「荒技」を冷静に実践する技量を備えていたのでした。それが証拠に同時期、敵機とすれ違いざま“狙って”相手機垂直尾翼を自機の主翼にひっかけて破壊・撃破するという離れ業もやってのけています。
この戦法でわずか1週間の間にB-24多数を撃墜破した菅野分隊は、その功により1航艦司令長官より感状を受けています。ビアク島の米軍爆撃隊搭乗員たちは、菅野大尉をその胴体黄色帯(隊長機表示)から「イエローファイター」と呼んで恐れていたという話も伝わりますが、彼らにとってこの攻撃はまさに「恐怖」そのものであったことは想像に難くありません。紫電改を駆って活躍した「343空(剣部隊)」時代、菅野さんは自機に黄色帯を描いていました。「イエローファイター」伝説が事実であったとするならば、黄色帯のルーツはヤップ島時代にあったとも想像できます。 オープンエンド系のざっくりした風合いのヘビーウエイトTシャツ。リブはダブルステッチ
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