くたばれ B-29!
本土防空 「飛行第244戦隊」
昭和19年11月以降 マリアナ基地からの本土空襲が本格化すると、高空を高速で来襲する"超空の要塞"B-29への有効な対抗策を持たなかった陸軍防空戦隊は、武装・防弾鋼鈑などを撤去した軽量機によって"空対空 体当り"を目指す震天隊(震天制空隊)を各戦隊ごとに編成し、壮絶な邀撃戦を開始します。 三式戦「飛燕」装備の飛行第244戦隊(調布)は陸軍最若年戦隊長 小林照彦大尉指揮のもと、隊長以下全機特攻ともいえる鬼気迫る対B-29戦闘を展開。防空戦隊最多の計18回におよぶB-29への体当り(うち戦死7名)を記録し、本土防空の一翼を担って終戦まで戦い続けた同戦隊は、「小林防空戦隊」「つばくろ部隊」としてその勇名をとどろかせました。 |
今回は「飛行第244戦隊」の決死的な対B-29戦闘を讃え、その勇姿を少しでも形に残すべくデザインさせていただきました。プリント手法はシルクスクリーン印刷5色です。
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敬礼する5名のイラストは、中央・最長身の人物が小林照彦戦隊長、両側の4名は初期「はがくれ隊」隊員を想定して描いています。それぞれ現存する写真などを参考にさせていただきましたが・・・右側の「飛燕」イラストと出来る限りスケールを合わせた結果かなり小さくなってしまい、表情までは描けませんでした。 ※ 参考とさせていただいた主な画像はこちらです。 |
← 「はがくれ隊」隊員と小林戦隊長
一応、左から |
赤い尾翼は体当り専門隊にのみ適用される決まりだったようですが、闘志旺盛な小林戦隊長の強い要望により戦隊長編隊にも塗られることとなりました。本部隊の士気高揚を図ったものと思われますが、何よりも自分自身を鼓舞する狙いがあったのではないでしょうか。 |
▲ 小林戦隊長乗機「飛燕」1型丙 3295号機 |
【 小林戦隊長と飛行第244戦隊 】 |
小林照彦大尉が首都防空の主力「飛行第244戦隊」戦隊長に着任したのはB-29による本格空襲が始まったばかりの昭和19年11月末で、時に24歳、陸軍航空史上最年少戦隊長の誕生でした。軽爆(襲撃機)操縦者から戦闘機へ転向し、明野飛行学校修了が244戦隊着任約半年前の昭和19年6月ですので、この時点で戦闘機乗りとしての実戦経験は皆無であったと思われます。 |
しかし・・・着任直後「戦闘機は空中指揮が本来だ。俺に続け!」と訓示を発するや、若い戦隊長の闘志と率先実行の行動力は隊内の士気を大いに鼓舞しました。終戦まで常に先頭に立って244戦隊を指揮し、計18回におよぶ体当り攻撃を含めB-29撃墜破160機以上という部隊戦果を挙げるとともに、個人でも体当たり撃墜1機を含めて公認12機撃墜(B-29 10機、F6F 2機)のエースとなっています。 |
(左)244戦隊着任間もない頃の小林大尉 積極果敢な闘志と率先した行動力で戦隊を引っ張っりました。「言葉が少なく、行動で示す人」との人物評も伝わっています。 |
戦後は三等空佐(旧少佐)として航空自衛隊に入隊、昭和32年6月4日浜松基地の航空事故により殉職されました(合掌) |
昭和19年12月3日、244戦隊「はがくれ隊」 獅子奮迅の活躍
「244」を図案化した戦隊マーク、なかなかシャープです! シャープであるが故に、戦隊名表記を入れるべきか否か かなり迷いましたが・・・“分かり易さ”を重視して下部に配置することにいたしました。 |
小林戦隊長の総撃墜機数「12機」(B-29:10機、F6F:2機)を表現する意味で、実際に戦隊長機に描かれていた「撃墜マーク」を使ったオリジナルマーキングを制作いたしました。大型機10機はすべてB-29撃墜を表わし、飛燕のシルエットがクロスした右上の1機は昭和20年1月27日の体当り撃墜を意味しています。 (右) 昭和20年2月、「飛燕」1型丁の操縦席でカメラにおさまる小林戦隊長 胴体に描かれたスコアマーク下段に1月27日の体当たり撃墜戦果が見える。 |
オープンエンド系のざっくりした風合いのヘビーウエイトTシャツ。リブはダブルステッチ
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