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ラバウル戦闘機隊Tシャツ デザイン機解説  瑞鳳 零戦21型  2014/06/02


15機目の本日は、空母「瑞鳳」零戦21型です。
そろそろ発売日が発表できると思うのですが、もう少しお待ちくださいませ <(_ _)>



瑞鳳 零戦21型



空母瑞鳳 は給油艦「高崎」を改装して昭和15年末に完成した日本初の改造空母で、翌16年3月、鳳翔とともに第3航空戦隊を編成します。日米開戦後は内海にて戦艦部隊の防空・対潜哨戒任務に当り、昭和17年6月のM1作戦(ミッドウェイ海戦)で戦艦部隊とともに出撃しますが会敵は無く、作戦失敗のため内地へ戻りました。

ミッドウェイ敗北の翌月、瑞鳳は再編機動部隊「第3艦隊」へ編入され、翔鶴、瑞鶴とともに第1航空戦隊(1航戦)を構成しました。直後の8月にガダルカナル島争奪戦が勃発、新機動部隊は南東方面の消耗戦に突入していきます。瑞鳳飛行機隊のソロモン方面での主要作戦は以下の通りです。

■ 昭和17年9月中旬 : ソロモン海域に進出するも会敵せず、内地帰還

■ 10月26日 : 翔鶴、瑞鶴、隼鷹(2航戦)とともに南太平洋海戦に参加
  日本軍はホーネット撃沈、エンタープライズ中破の戦果を挙げたものの搭乗員145名を喪失
  急降下爆撃を受けた瑞鳳は翔鶴(大破)とともに修理のため内地帰還

■ 昭和18年2月上旬 : ガ島北方海域に進出、撤退作戦の間接護衛にあたる

■ 2月中旬〜3月下旬 : ウェワク、カビエンに戦闘機隊を派遣、陸軍部隊のニューギニア増援を援護

■ 4月7日〜14日 : 1、2航戦飛行機隊ラバウル進出、「い」号作戦に参加。瑞鳳隊の撃墜報告18機

■ 8月29日〜9月3日 : カビエンに飛行機隊を派遣

■ 11月2日〜11日 : 翔鶴、瑞鶴飛行機隊とともにラバウル進出、「ろ」号作戦に参加
  瑞鳳隊は数次にわたるブーゲンビル島沖航空戦、ラバウル邀撃戦で撃墜35機(不確実10機含む)を
  報告するも、搭乗員8名を喪失

■ 12月18日 : 1航戦3空母の零戦隊で編成された派遣隊がラバウル進出
  (瑞鶴、翔鶴、瑞鳳より零戦7機づつ 計21機、搭乗員21名)
  トラックへ後退する翌19年1月下旬まで基地航空部隊とともにラバウル防空に奮戦、搭乗員14名戦死

この後「瑞鳳」は 昭和19年2月1日付けの改編で「千歳」「千代田」とともに第3航空戦隊を編成、新設飛行機隊「653空」とともに「あ」号作戦(マリアナ沖海戦)へと向かいます。


【 左 】 い号作戦発動!ブイン基地の零戦隊

作戦初日の昭和18年4月7日、ガダルカナルを目指してブイン飛行場を発進する零戦隊。マダラ模様の迷彩が確認できますが、防諜上の理由で部隊符号・機番号が消去されているため、所属部隊は不明とのこと。基地航空部隊ではアンテナ支柱を切除した機が多かったと聞きますが、列線に並ぶ零戦群にはアンテナ支柱がハッキリ確認できるので、もしかしたら空母戦闘機隊かもしれません(??)

【 デザイン機解説 】

昭和18年4月「い」号作戦時の空母「瑞鳳」零戦21型 を100%想像で描いております。
当時1航戦の部隊符号は「AI 」でしたが、ラバウル進出時の塗装では「A」は省略されており、数字表記もアラビア数字に統一されていました。従って「1−3」は「AI−III」と同意味で、1航戦3番艦=瑞鳳 を示しています。







ラバウル戦闘機隊Tシャツ

ラバウル戦闘機隊Tシャツ デザイン機解説  582空 零戦22型  2014/06/03


まだまだ続く「ラバウル戦闘機隊Tシャツ」デザイン機解説!
本日は16機目、艦戦・艦爆混合部隊「582空」の零戦22型です。



582空 零戦22型



第582航空隊
は 東部ニューギニア・ソロモン方面で作戦中の艦戦・艦爆混成隊 2空 が、昭和17年11月1日付けで改称した部隊です。

引き続き同方面で約9ヶ月にわたって奮戦を続けた後、昭和18年8月1日付けで艦爆のみの部隊となり、戦闘機搭乗員は本土帰還、一部は現地戦闘機部隊へ転入しました。この間の戦闘で582空が報告した戦果は空中撃墜220機に達します。

同隊の主要作戦は以下の通り。

■ 昭和17年11月11日〜14日 : ガダルカナル島輸送船団の上空直衛

■ 11月中旬〜12月末 : ラエを中継基地に東部ニューギニア方面の船団護衛、制空

■ 昭和18年1月下旬〜2月上旬 : ブイン、ムンダへ進出
   「瑞鶴」派遣隊、252空、204空、陸軍飛行第11戦隊などとともにガ島撤収「ケ号作戦」を支援

■ 3月上旬 : 米軍が飛行場建設中のルッセル島(ガ島北西沖)を艦爆とともに2次に渡り攻撃

■ 4月7日〜14日 : 「い」号作戦に全力参加
  582空は4月7日(ガ島方面沖艦船攻撃)、12日(ポートモレスビー飛行場攻撃)、14日(ミルン湾艦船攻撃) 
  と参加し、艦爆18機、零戦のべ58機を出撃させた。

■ 5月13日 : 204空、253空とともに、零戦隊のみでルッセル島を攻撃( 五〇二作戦 )

■ 6月5日 : ブインに来襲した敵戦爆連合を邀撃し、SBD、F4Uなど撃墜15機(不確実2機含む)を報告

■ 6月7日、12日 : 251空、204空とともに零戦隊のみでルッセル島を攻撃( 六〇三作戦「ソ」作戦 )

■ 6月16日 : 251空、204空とともにガ島ルンガ泊地艦船を攻撃( 六〇三作戦「セ」作戦 )
  24機が出撃した582空艦爆隊は半数以上の13機を一気に喪失した。

■ 6月末〜7月12日 : 6月30日の米軍レンドバ島上陸によってムンダ飛行場をめぐる戦闘が激化
  582空は204空、251空、7月上旬ブインに進出してきた2航戦「龍鳳」飛行機隊とともにレンドバ方面攻撃、
  ブイン防空に奮闘したが、7月12日のレン ドバ攻撃を最後に戦闘機隊を解散戦闘機搭乗員13名は204
  空に転入
して戦闘を続行した。


【 左 】 ブイン基地で発進を待つ582空零戦22型

同写真は昭和18年4月7日「い」号作戦初日のものとされています。582空の部隊符号は「T3」でしたが、零戦隊は独特のクサビ形帯を胴体に描いて共通標識とし、尾翼には機番号のみを表記していました。右奥に見える2本帯の機は582空飛行隊長・進藤三郎大尉搭乗機とのこと。
この日、ブイン基地からは4つの攻撃隊が発進し、582空は第2攻撃隊として出撃していますので、滑走路を発進中の部隊は第1攻撃隊(瑞鶴、瑞鳳の零戦隊と瑞鶴艦爆隊)ではないかと想像しますが・・・??

【 デザイン機解説 】

昭和18年6月16日「セ」号作戦時の「582空」零戦22型、飛行隊長・進藤三郎少佐機( 機番号173 )を塗装図(※)などを参考に描きました。( ※ )『 日本海軍戦闘機隊 』( 2010年、大日本絵画 )239頁

神立尚紀・著 『 祖父たちの零戦 』 ( 2010年、講談社 )158頁には、この日の出撃を見守った582空 守屋清主計中尉の回想として、進藤少佐機の特徴を示す以下(↓)の記述が見られます。

『 進藤機は、両翼に長銃身の二十ミリ機銃、二号銃三型を装備した新型の零戦二二型甲である。機番号は173、濃緑色の機体の後部胴体に描かれた「く」の字二本の黄色い指揮官標識が鮮やかに印象に残った。』





ラバウル戦闘機隊Tシャツ

新作発売は6月12日(木)です  2014/06/06


「ラバウル戦闘機隊Tシャツ」の発売は来週木曜日、6月12日を予定しております。
どうかよろしくお願いいたします <(_ _)>


ラバウル戦闘機隊Tシャツの発売は6月12日です




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今回の制作に当って相当数の資料・文献などを読んだのですが、
ソロモン航空戦の“凄まじさ”をほんの少しだけ理解できたような気がいたします。


零戦隊は個々の空戦では連合軍戦闘機とほぼ互角の戦いをしていたにもかかわらず、
日本軍は戦略的敗北を重ねて後退を余儀なくされました。


い号作戦の山本長官

▲ 「い」号作戦初日の昭和18年4月7日、零戦隊を見送る山本長官
  同作戦以降の長官の戦略は果たしてどのようなものだったのか?


充分な後方支援体制が築けず、限られた隊員・機材で戦わざるを得ないラバウル航空隊に対し、
連合軍側が物量的に勝っていたことは明白なのですが・・・
飛行艇、小艦艇、潜水艦を大量動員したパイロット救助体制、
一定期間毎にパイロットを交代して後送休養させるシステム、などなど、
戦争に対する合理的思考においても日本軍を凌駕していました。
( これも「物量差」と言ってしまえばそれまでですが )


兵器能力にも差がありましたが、決定的だったのは「防禦」に対する考え方でしょう。
例えば、日本側の主要打撃兵力だった一式陸攻がその脆弱な防御ゆえに敵戦闘機の好餌となったのに対し、
零戦が防禦火網・防弾力に優れた B−17、B−24 を撃墜するのは文字通り「至難の業」でした。



「 九九式棺桶 」  「 一式ライター 」

「 ラバウルじゃあ命は10日間だよ 」

「 ラバウルのパイロットは、死ななきゃ内地へ帰れない 」



限りなく劣悪な環境下で奮闘された搭乗員のみなさまには感謝と畏敬の念しかありません。



関西零戦搭乗員会  2014/06/15


昨日、「関西零戦搭乗員会」総会にお邪魔させていただきました。

前回同様、参加者の皆様の“濃い情報”に耳を傾けさせていただきましたが、
恐れ入るのは史実(真実)探求に対する執念と熱意ですね。
主にデザインのために都合よく?調べようという魂胆の私とは、次元が違います(^^;

関西零戦搭乗員会20140614

▲ K上飛曹、その「器の大きさ」に改めて感服

商品補充のお知らせ 2014/06/19


本日、品切れになっておりました下記2商品の
サイズ「S」「M」を補充させていただきました。



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さて、今後の制作予定は・・・
まだハッキリと申し上げられないのですが、モチーフとしては2つほど検討しております。



ある奇跡  2014/07/08


本日は少し長いのですが、「ちょっといい話」のご紹介です。


・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・  


昨秋、Tシャツをお買い上げいただいたお客さま I さん から、あるご相談を受けました。

旧海軍敷設艇(ふせつてい)「成生」(なりゅう)の写真を
ずっと探しているのですが、お心当りはないでしょうか?

詳細をお聞きしたところ・・・

I さんのご祖父様は旧海軍の水兵長で、乗組まれていた敷設艇「成生」は終戦間際、
潮岬沖で米潜水艦の雷撃を受けて沈没、多くの乗組と共に戦死されました。
軍歴証明書などからその事実を知った I さんは、お母さま( I 水兵長のお嬢さま)のために、
そして自らのために、最後のご奉公艇となった「成生」の写真を長年に渡り探し続けているが
どうしても見つからない、とのこと。


どちらかと言えば(というよりは圧倒的に)艦艇より航空機に興味がある私は
「とてもお力になれそうにない」と思いながらも、出来る限り調べてみることにしました。




まずは手っ取り早いところから、
インターネット上の画像を徹底的に検索してみましたが、全く収穫なし。


次に、既刊の海軍艦艇写真集などに掲載されている可能性を探ってみました。
暇を見ては大阪の古本屋・古書店や図書館を巡り、幾つかの写真集をチェックしたのですが、
敷設艇画像は結構あるものの、やはり「成生」は発見できません。


個人的にほぼ万策尽きたため、あとは“その道の智者”にすがるしかない 〜 ということで、
まず 『海軍倶楽部』 会員のNさん『関西零戦搭乗員会』Uさんに相談し、
さらに、『海軍倶楽部』 総会で一度だけご挨拶させていただいたことのある
高名な海軍艦艇写真収集家 Kさんに(思い切って)手紙を書き、情報提供をお願いしてみました。


様々な方のご意見を聞くうち、今件の困難性?の原因が徐々に判ってきました。
空母、戦艦、巡洋艦など有名な大型艦に比べると、敷設艇、哨戒艇などいわゆる「小艦艇」の写真は
一般的に需要が少ない(失礼な言い方ですが)ため、発掘が十分に進んでいないようなのです。
つまり、小艦艇写真自体は決して少ないわけではなく、おそらく全国のご遺族様方のお手元に保管されているのですが、時間と手間・金をかけてそれらを地道に探し出そうとする方は極端に少ない、といった現状なのです。


その意味で、海軍艦艇写真収集家 Kさんに密かに期待していたのですが、
その後ご連絡は無く( ※ 本当はあったのですが、後述します )、何度かこちらからお電話しようかと考えたのですが・・・
Kさんといえば、多くの海軍艦艇写真集の巻末にそのお名前が確認できる 知る人ぞ知る権威 でいらっしゃいますので、
私ごとき「Tシャツ屋」が催促の電話を入れるのは、ど〜〜しても気が引けました。
そうこうしている内に何の成果も無いまま年が明け、2014年の正月を迎えます。




元旦、数少ない年賀状を眺めていて・・・凍りつきました。
なんとKさんから年賀状が届いていたのです(もちろん、いただくのは初めて)
しかも、余白に以下の書き込みが・・・!

『 成生のP(写真)、探しまくったが無いので、
 お電話かけても出られませんでした 』

冷えぇぇぇえ!
Kさんは何度かウチにお電話されていたのでした。
たまたま留守電を設定し忘れた時にかけられたに違いありません。新年早々、顔面蒼白です!
神速でお電話して謝罪させていただいたところ、全く怒っていらっしゃらなかったので、いや〜救われました(汗)


Kさんによれば、どうしても見つからないため、「大和ミュージアム」所蔵の写真資料まで当っていただいたそうで・・・
またまた恐縮至極となりました。


がしかし、その道の権威 ・ Kさんでも発見できなかったということは・・・「もうダメか」
そう観念した私は、I さんに経過と残念な結果をお伝えすることにしました。
I さんからは大変な感謝の言葉をいただきましたが、私個人としては・・・やっぱりチョット残念!なのですね。



その後、「成生」の件は忘れかけていたのですが・・・
5月のある日、「関西零戦搭乗員会」のUさんから驚きのメールが入ったのでした。


なんと、旧海軍制作の教育映画の中に「成生」がしっかり写っているというのです。
しかも、その映画 『海軍と体操』 は You Tube にアップされており、普通に閲覧可能とのこと。


早速確認したところ・・・なんと素晴らしいことか!
海上を疾駆する敷設艇のほぼ全景が数秒間に渡って写っており、
その舷側には右横書きカタカナでハッキリと「ウユリナ」の文字が!
更に驚いたことに、次シーンでは甲板上で体操に励む水兵さんたちの姿まで捉えている。
Uさんによれば、甲板の規模は明らかに敷設艇レベルであり、
従ってその体操映像も「成生」甲板上である可能性があるらしい。
さすがUさん、ありがとうございました!

▲ 映画『海軍と体操』2/2 よりキャプチャした敷設艇「成生」の勇姿と甲板上の体操風景です。
You Tubeでご覧になりたい方は
【コチラ】からどうぞ。7分05秒あたりから「成生」が登場します。


映像をご覧になった I さんが歓喜されたのは言うに及ばずですが、
一番喜ばれたのは I さんのお母様( I 水兵長のお嬢さま)だったそうです。
お母様がお父上( I 水兵長)に最後に会われたのは6歳の時、昭和20年春頃の舞鶴で、
白軍装のお父上に肩車してもらったことを今でも鮮明に記憶されておられるとのこと。
・・・柄にもなくジーンとしてしまいました (T_T)


この話を聞かれたUさんの一言が、妙に記憶に残っています。
まだまだ戦後は終わっていない



今回は I さんのご了解を得て、この話を書かせていただきました。
たまたま探していた旧海軍艦艇、それも発見困難な小艦艇の姿が写真ではなく、映像で残っていたとは・・・
戦前の記録技術なども考え併せれば、ある意味「奇跡的」と言えるのかも知れません。
きっと、 I さんの決して諦めない熱意がミラクルを呼び寄せたのでしょうね(祝)


瑞鶴Tシャツ 販売終了のお知らせ  2014/07/19


3年に渡り販売してまいりました「瑞鶴メモリアルTシャツ」ですが、
本日をもって販売終了とさせていただくこととなりました。
お買い上げいただきましたみなさま、本当にありがとうございました m(_ _)m



■ Ver.2を制作します!

好評だったデザインを背面に移し、前面および袖に新デザインを追加した
瑞鶴メモリアルTシャツ 改(仮称)を制作する予定です。

既存デザインが部分的(艦橋周辺のシルエット)ですので、
前面の新デザインは、出来れば瑞鶴の全体像をシンプルに表現したいと思っています。
現在検討中のキーワードは「海上迷彩」「航跡」「Z旗」といったところですが、
毎度のことながら思った通りにはいきませんので・・・さてどうなるか(^^;

局地戦闘機「雷電」Tシャツ 制作報告  2014/08/01


現在デザイン制作中の次回作、雷電 Tシャツ ですが、
よ〜やく【前面デザイン】が完成に近づきました。

352空(長崎県大村基地)の第3分隊長機に描かれた有名な「電光」マーキングをバックに、
飛翔する302空・雷電21型をデザインしております。

雷電Tシャツデザイン

最も重視したのは機体描画のアングルでして、
「雷電」独特のズングリした重量感と、堀越チームならではの美しいフォルムの両立を心掛けました。
色々と試した結果、この構図が一番「絵になる」と判断したのですが・・・どうでしょうかね(^^;

雷電Tシャツイメージ


さて、問題は【背面デザイン】ですね。
テーマは、
厚木基地における「302空」雷電隊の出動風景
と決めております。
全体の色調や視点、基地施設(飛行隊指揮所)のディティールなどなど・・・
問題が山積しておりますが、なんとかあと1週間で「絵」にする予定です。

雷電Tシャツデザインラフ

▲ イメージを膨らませるため、いつもデザイン前に描いているラフ画の一つです






局地戦闘機「雷電」302空Tシャツ

局地戦闘機「雷電」Tシャツ 制作報告(2)  2014/08/03


背面デザインは厚木基地302空の雷電隊出動風景ですが、基本部分がほぼ完成いたしました。

細かいデザインながら、全体的にはレトロっぽい仕上がりをイメージしておりますが・・・
どうなるのか、私自身も全く予測がつきません(^^;


雷電Tシャツ背面デザイン

▲ 中央機は302空の雷電21型、黄色の胴体帯は分隊長搭乗機を示しています。
背景の第一飛行隊指揮所は、戦中写真やニュース映画、戦後の進駐軍画像などを参考に、足りない部分は
想像で描きました。見張り台上の旗旈信号は何の根拠もなく勝手に描いております。
※ 因みに上から「吹き流し」「Z旗」「番号1(第一飛行隊=雷電隊)」「離着陸方向=N(北)」です。



これから全体バランスに注意しながら人員などを描き加え、
デザインに命を吹き込んでいく予定です。

■人員(約10〜13名)

 □ 搭乗員:2〜3名
 □ 整備員:4〜5名
 □ 飛行隊幹部:2〜3名(指揮所前)
 □ 見張り台上:2名

■ 他の要素

 □ くろがね四起(指揮所周辺)
 □ 零戦編隊の機影(上空)
 □ 雲


さて・・・、最初から一番難しいと判っていたのですが、
いま最も悩んでいますのは「回転するプロペラ」の描画手法です。これは真剣に悩ましい。
室温30度超で作業していても殆ど苦なりませんが、このプロペラだけは・・・
考えただけで憂鬱になりますね。





局地戦闘機「雷電」302空Tシャツ

朝日新聞、よ〜〜やく「大誤報」を認める  2014/08/06


すでにみなさまご存知の通り、旧日本軍による朝鮮人婦女子の大量強制連行は事実だとして
長年に渡り反日キャンペーンを主導していたあの朝日新聞が、昨日の紙面にて初めてその誤りを認めました。

しかし、1面に掲載されたいわゆる総括社説では『慰安婦問題の本質 直視を』と題し、
以下のように結論付けています。

『 戦時中、日本軍兵士らの性の相手を強いられた女性がいた事実を消すことはできません。
慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質なのです。』

笑っちゃうくらいとんでもない論点のすり替えですね。
今まで散々同紙が書きたてた結果、
いま韓国および一部世界で不本意ながら問題視されているのは「旧日本軍による組織的大量強制連行」なのです。
問題の本質?とやらを「女性の人権・尊厳問題」にすり替え、
自らの誤報記事によって著しく貶められ続けた日本の国益と尊厳、汚された私たちのご先祖様方の名誉、
そして日本国民が被り続けた莫大な精神的損害に対して一切謝罪しないばかりか責任逃れを謀ろうという、
誠に姑息かつ無責任な社説です。


もし仮に、朝日新聞にとって慰安婦問題なるものの本質が「女性の人権・尊厳」にあるというのなら、
真っ先に取り上げなければならないのは日本人慰安婦であり、現在韓国で集団起訴に発展している「米軍慰安婦問題」や、ベトナムにおける韓国軍の蛮行なども当然追及してしかるべきですが、
まぁ朝日系は1行、1秒たりとも報道しませんからね。


韓国・中国の世界的反日キャンペーンや国連人権委員会の勧告などは、朝日の記事を根拠とするものが多く、
もし朝日新聞に報道機関としての良心がカケラでも存在するのであれば、世界主要メディアに対して迅速に説明を
行うべきですが・・・まぁ責任逃れ一色のこの態度ですから、何もしないでしょう。


さて、世間一般レベルではとうの昔から誤報(捏造)と認識されていたこの問題、
なぜ今になって、誤りを認めたのか? まぁそんなことはどうでもいい下衆な話なんですけどね。
想像するに、韓国が来年発表するという「慰安婦白書」に重要根拠の一つとして引用されることを危惧したとか、
販売部数が低下傾向にあるとか、大手広告主・代理店から警告を受けたとか、まぁその程度の保身レベルでしょう。


この記事の重大性を積極的に報道するTV局はなぜかほとんど無いのですが、
関西ローカルの読売テレビ(日テレ系列)が素早く取り上げており、比較的分かり易いので是非一度ご覧ください。
「おい 朝日!責任をとれ!」YTB『 朝生ワイド す・またん! 』



私は朝日新聞を含め、いわゆる大手メディアの報道を信用しておりません。
いかに「天下の公器」などと虚勢を張っても所詮は民間企業ですから、
販売売上、視聴率、広告収入などに依存せざるを得ないわけでして、
そこに「公平・真実・正義」を報道する姿勢はどうしても存在しえないのです。
都合の悪いことは「報道しない自由」でスルーしちゃいますし。

となると当然、問題の本質?は
100%国民の聴取料金で運営されているNHK、という結論に至るわけですね(笑)

戦争の「真の教訓」を考える  2014/08/15


毎年この時期になりますと終戦・戦争関連番組が多くなりますね。
それはそれで誠に結構なことなのですが、私が毎年想うことを思いつくままに書いてみましょう。
長文の上、堅苦しい話題ですので・・・お読みになる方は何卒ご辛抱くださいませ(^^;


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まず、私たちは先の戦争から正しい教訓を得るよう努力しなければなりません。
そうでなければ、300万超のご先祖さまの英霊に申し訳が立たないからですね。
そして、戦争の時代を出来る限り正しく振り返るには、最低でも以下3点を意識して勉強する必要があると思います。

(1) 日本はなぜ大東亜戦争(日中戦争を含む)を行ったのか?
(2) その戦争で一般国民はいかに被害を被ったのか?
(3) その戦争で日本軍はいかに戦ったのか?

これら3つは全てが重要視点であり、
どれが欠けてもあの戦争に対する公正な判断は難しくなるでしょう。

あの朝日新聞やNHKを含む大手マスコミに公正な報道を期待するのは酷?なのかも知れませんが、
ここ20年ほどの報道ボリュームを見る限り、(1)の視点が圧倒的に少ないのは明らかな事実です。

この現象にはあの東京裁判史観が暗い影を落としていると思われます。
東京裁判に関しては故・パール博士の反対意見書が有名ですが、
同意見書における博士の主張はまさに正論で、以下の2点に要約できると思います。

(1) 東京裁判はそれ自体が法的に無効である(法の不遡及、罪刑法定主義の無視など、裁判の名に値しない)
(2) (その上で)当時の国際法・国際慣例法における「戦争犯罪」に照らして慎重に判定を下すなら、A級戦犯
   各被告において戦争犯罪を認めることは著しく困難であり、従って全員無罪としなければならない。
    もし戦争犯罪人を指摘するならば、原爆投下による非戦闘員大量虐殺を命令したトルーマン米大統領が
   これに該当することは明白である。

国際法廷の皮を被った報復行為に過ぎなかった東京裁判を、いまだに“真実・正義の審判”と認識されている方は現代社会においてほぼ皆無だと思いますが、戦後、日本はサンフランシスコ講和条約において『東京裁判を受け入れる』ことを条件の一つとして国際社会に復帰した以上、残念ながら日本国・日本政府としてこれに異を唱えることは許されません。国際条約の持つ意味は限りなく重いのです。

もちろん、民間での言論・著述活動は自由なのですが、大手マスコミ(新聞、テレビ)となると微妙です。
なぜなら、戦争に至る「経緯」を詳細に検証・報道すること自体が東京裁判を否定またはこれに疑念を呈する結果となる可能性が高く、このことがアメリカを中心とする戦勝連合国、「大日本帝国=戦犯国家」と根拠なく決めつける反日マスコミ・政治家、および反日国家(中国、韓国)の大反発を招き、ひいては日本国自体が国際的窮地に追い込まれるであろうことが容易に想像できるため、良識派大手マスコミも本格的には踏み込めないのです。
パール博士のような偉大な法学者を大手マスコミが殆ど取り上げない理由もこの辺りにあるのでしょう。

こうして、日教組による自虐史観(東京裁判史観)教育の元、
非戦闘員の被害と、特攻を含む日本軍の悲壮な戦闘にばかり報道の力点が置かれ続けた結果、
当然の結末として、国民の間には単純な反戦・反軍意識が強く根付くこととなりました。
すなわち、純粋に「戦争反対」「戦争は嫌だ」をただ叫び続けるだけの人々が増えたのですね。

言うまでもなく「戦争」は勝っても負けても悲しみと遺恨しか残らない、人類最悪の行為です。
だからこそ日本は2度と戦争を行ってはならないわけですが、現実問題として戦争・紛争を回避するためには、やはり
先の大戦に至った歴史的経緯を冷静かつ詳細に検証する必要があります。ただ単純に「戦争反対」を叫んでいれば平和を維持できるほど国際政治は甘くないのです。しかし前述の通り、このテーマの本質を大手マスコミが公正かつ大々的に取り上げる可能性はほぼありませんので、書籍・史料などを通して情報収集に努めるなど、地道に知識を蓄積していかねばなりません。大手が報道しないところに真実はある、妙な世の中ですな(笑)

米英蘭仏ソ独そして日本を含む帝国主義列強が利権(国益)を激しく争っていたあの時代、
日本が満州に侵攻したいわゆる「満州事変」は侵略と言われてもしかたがないと私は思っています。
しかし、それに続く日中戦争、大東亜戦争に関しては、中韓が謳う「日本が中国、東南アジアを侵略した」
などという単純な図式では絶対に説明できません。

■ 欧州大戦参入を狙い、早期に対日戦を既定路線化していたと思われる米国の冷徹な外交戦略
■ 中国国民党、中国共産党の双方を巧みに支援・コントロールして国共合作を強引に実現させ、日本軍を中国大陸での戦いに引き込み、日本の国力消耗を画策するとともにアジア再進出の機会を虎視眈々と狙っていたと思われるスターリン独裁のソ連
■ 日中戦争ではほとんど戦闘に参加せず、ひたすら国民党弱体化に暗躍した毛沢東率いる中国共産党

これら複雑極まりない国際情勢を読み切れずに中国大陸に執着固執し、さらにドイツを過信した日本の指導者たちは場当たり的な対応を繰り返したあげく結果的に国策を誤り、中国、ひいては米英との全面戦争へと転がり落ちていった 〜 といった側面は間違いなく存在すると考えられます。つまり、悪い言葉で言えば「ハメられた」という見方もできる訳ですが、相互に謀略の限りが尽くされていた当時の国際戦略・情報戦(現在もそうですが)において、それは「敗北」以外なにものでも無いのです。

上記のストーリー?は現時点における個人的考察の一端ですので、ご意見も多々あろうかと思いますが・・・
国際的孤立を回避し、戦争・紛争に巻き込まれないしたたかな(或いは しなやかな)国策・外交戦略の模索こそが
先の戦争から得るべき最も重要な「教訓」なのではないでしょうか?

現実的国家戦略よりは、どちらかと言えば「大義」「理想」に走りがちな我が国の国民性ではありますが、
今焦点となっている「原発エネルギー問題」「集団的自衛権」「憲法改正」「TPP」「日中関係」「米軍基地移設問題」なども
国家戦略としての幅広い視点で判断・議論していかなければならないでしょう。
そして私個人的には、「日本経済再生」が最大の鍵を握ると思っています。

局地戦闘機「雷電」Tシャツ 制作報告(3)  2014/08/21


本当に暑い日が続きますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

室温30度超のなか、扇風機に助けられながら奮闘しておりますが、
体は全然大丈夫なものの、思考能力や集中力が低下気味でいけません。
高空に上がった搭乗員に近い?のかもしれませんね。


さてそんな中、ようやく背面用イラストが完成に近づきつつあります。

下の画像は 厚木302空雷電隊の昼間出撃風景を描いた、白系Tシャツ用デザインですが、
ブラックTシャツ用には地色の暗さを活かし、黎明(明け方)出撃風景にアレンジする予定です。


雷電背面デザイン

問題の「回転するプロペラ」は最後に描くつもりですが
頭の中では描画方法が出来上がっていますので、まぁなんとかなるんじゃないかと(^^;


来週中にデザインデータを印刷所へ送り、9月末発売を「目指して」おります。
今後も随時経過報告をさせていただきますので、どうかご期待くださいませ m(_ _)m





局地戦闘機「雷電」302空Tシャツ

局地戦闘機「雷電」Tシャツ 制作報告(4)  2014/08/27


背面デザイン、やっとこさ出来上がりました!
回転するプロペラもなんとか上手く描けたかと(^^;

Tシャツカラーはナチュラルホワイト、ディープブラックの2色展開となりますが、
今回の背面デザインはTシャツカラーに合わせて2通り準備しております。

雷電Tシャツ、ホワイトカラー用デザイン

▲ ナチュラルホワイトの背面デザイン

厚木基地302空・雷電隊の昼間出撃風景で、上空には零戦3機編隊を描いています。



雷電Tシャツ、ブラックカラー用デザイン

▲ ディープブラックの背面デザイン

地色のブラックを活かし、黎明(れいめい=明け方)の出撃風景としてアレンジしています。
上空には夜間戦闘機「月光」のシルエットを入れてみました。
月光、銀河など302空 夜戦隊が帰投した後は、日の出とともに昼間戦闘機隊の出番!という感じを狙っておりますが、
雷電隊はこのような時間帯に作戦したことは無かったと思います。そこは想像ということで・・・どうかお許しを m(_ _)m







局地戦闘機「雷電」302空Tシャツ

戦前最後の「日本ニュース」に見る雷電隊  2014/08/31


本日は「雷電Tシャツ」デザインにあたり大いに参考にさせていただいた映像、
日本ニュース 第254号」をご紹介いたしましょう。

終戦間際の昭和20年7月公開ですので本土決戦への戦意高揚を狙ったものと思われますが、
厚木基地のエプロン、滑走路や飛行隊指揮所、超ベテランエース・赤松貞明中尉の空戦指導風景、
離陸する雷電隊、そして火星エンジンの爆音とともに響く強制冷却ファンの金属音などなど、
見どころ・聞きどころ満載です。
BGM「雷電戦闘機隊の歌」も素晴らしく、何度も聞いているうちに節を覚えてしまいました。いい曲です。

映像閲覧は下のリンクからどうぞ
NHKアーカイブス「日本ニュース 第254号」海の荒鷲「雷電」戦闘機隊


▲ 厚木基地エプロンに並ぶ雷電

▲ 302空の雷電

▲ 指揮所前で訓示を受ける

▲ 302空の猛者、赤松中尉

▲ 乗り込む搭乗員

▲ エプロンに並ぶ雷電

▲ タキシングする雷電

▲ 離陸!




映像には多数の搭乗員が写っています。
ニュース公開は終戦間際とはいえ、撮影日は不明。彼らの無事を祈らずにはおれません。





さて、雷電Tシャツのデザインにつきましてはこの日記で色々と書いてきましたが、
現在は下の様なかたちで印刷所に入っております。
色校正が出たらまたアップさせていただきますね。

雷電Tシャツイメージ





局地戦闘機「雷電」302空Tシャツ



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