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ラバウル戦闘機隊Tシャツ デザイン機解説  251空 零戦22型  2014/05/29


解説はようやく背面デザイン機に入り、7回目の本日は 251空 零戦22型 です。

最近、このデザインを何人かの方にお見せしたのですが、
「派手ですねぇ」「目立ちますよ!」といったご意見が圧倒的でした。

自分ではやや抑え気味?にデザインしたつもりだったのですが・・・
物事に没頭しすぎると客観的視点が失われるとよく言いますが、
まさにその通り、ハマッてしまったようです ( ̄ェ ̄;)



251空 零戦22型 とラバウル東飛行場


第251航空隊 は ソロモンで消耗した旧「台南空」の再建部隊で、豊橋航空隊での再編・錬成を経て、昭和18年5月にラバウルへ進出します。

零戦22型を中心に約60機、搭乗員約70名の陣容でしたが、実戦経験者は台南空“生え抜き”の大野竹好中尉、大木芳男飛曹長、西澤廣義一飛曹、遠藤桝秋一飛曹、山崎市郎平一飛曹、山本末廣二飛曹など10人程度に過ぎませんでした。※ 251空で実戦部隊初配置となった士官搭乗員の中には、後に剣部隊「343空」飛行隊長としても活躍する鴛淵孝中尉、林喜重中尉の顔が見られます。

251空は米軍の中部ソロモン侵攻を阻止すべく204空、582空などとともに激闘を繰り返しますが消耗は急速に進み、昭和18年9月1日付けで夜間戦闘機隊へと改編され、生き残った零戦搭乗員は201空、204空、間もなく進出予定の253空などへ転出となります。ラバウル進出以来約4ヵ月に渡る戦闘で、251空零戦隊の撃墜報告は約230機に達しますが、ほぼ半数にあたる34名の搭乗員を失いました。

一方、小園指令の肝いりでラバウルへ進出していた改造夜戦隊(2式陸偵を複座に改造、胴体に斜め銃を装備)は、5月末〜8月までにB−17、B−24、ハドソンなど15機を夜間撃墜して威力を発揮、9月1日付けで 夜間戦闘機「月光」として制式採用されました。零戦隊削除の後、251空は夜戦部隊「月光」隊として引き続き奮戦を続けます。



【 デザイン解説 】

251空 零戦22型 機番号「105」

編隊飛行する251空零戦隊を捉えた左の写真や塗装図(※)などを参考に描いております。251空の部隊符号は「UI」でしたが、ラバウル進出時は応急の暗緑色迷彩とともに塗り潰され、写真のように機番号のみとなっていたようです。
( ※ ) 『 日本海軍戦闘機隊 』
    (2010年7月、大日本絵画 )200頁

【 左 】 あまりにも有名な零戦写真

251空のラバウル進出後間もない昭和18年5月頃、海軍報道班員・吉田一氏が陸攻から撮ったと伝えられるこのショットは最も美しい零戦写真の一つとして知られており、105号機の搭乗員は西澤廣義一飛曹であるとの見解も見られるのですが・・・?



東飛行場指揮所と花吹山

ラバウル名物と呼ばれた活火山 花吹山 東飛行場指揮所を多くの写真などを参考に描いています。指揮所前には くろがね四駆 を描いてみましたが、当時ラバウルにあったかどうかは全くわかりません(^^; 
なお、武田信行氏による西澤さんの伝記小説 『 最強撃墜王 』 (2009年、光人社)には、251空がラバウルへ進出した際、旧台南空時代に使用していた指揮所には204空が入っており、251空は少し離れた別の指揮所を使ったとの記述が見られます。



【 左 】 ラバウル東飛行場指揮所

今回のデザインに当り、最も参考とさせていただいた画像です。撮影時期はよく判りませんが・・・後方の見張り塔がやや簡易的に見えますので、ガ島争奪戦以前、まだ建設間もない頃ではないかと勝手に想像しています(??)







ラバウル戦闘機隊Tシャツ

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