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パソコン駆動率、低迷  2016/07/15


数週間なにも書かず、誠に申し訳ございません m(_ _)m
実はパソコンが絶不調に陥っておりまして、現在必死の延命作業中でございます。
従いまして、デザイン作業もなかなか進められない状態です。

7年間使い続けているパソコン(win7)の老朽化は否めない事実ですし、しかも32bitではなおさらですね。そろそろ買い替えなければならないのは自明の理ですが・・・予算の問題もあり、万一の場合に備えつつ、なんとか今年中は本機で切り抜けたいと思っております。

さて、様々な不具合が頻発するのですが、主な症状は以下のふたつ。

(1) 電源投入しても冷却ファンが回転するのみ。OSは立ち上がらない。
(2) 長時間使用すると作動速度が徐々に低下し、最終的にフリーズ → 強制終了

症状(1)は頻繁にお目にかかることは無いのですが、(2)のパターンは皆様もご経験があるかもしれませんね。
こういったケースでは、まっ先に「メモリー」を疑うのが基本です。

原因特定のためには、まず全てのメモリーをソケットから取り外して電源を投入し、ビープ音(警告音)が鳴るかどうかを確認します。ここで警告音が鳴ればマザーボードはほぼ無事であるとことがわかるからです。つまり、マザーボードが正常に作動しているから「メモリーが無いよ!」という警告音が発せられるのですね。逆に無音だった場合はマザーボード自体に不具合が生じている可能性が高く、残念ながら御臨終が近いという判断になります。

今回は無事?ビープ音が出ましたので、まずは一安心。
取りあえず以下の応急処置を施してみたところ、電源投入後の問題はかなり解消されました。

■ メモリーソケット部をエアダスターで入念に掃除。さらに念のためメモリーを新品に交換。
■ CPUクーラーのヒートシンクとその周辺の埃を大掃除。


パソコン内部

▲ 冷却ファンが回れば、埃が集まる ▲


いつの時代もパソコンの大敵はなのですが、皮肉なことに、この両者は相反する関係にあります。具体的に言いますと、現在における一般的冷却手法である「冷却ファン」を回せば回すほど空気と一緒に埃も集まってくるのですね。そしてパソコン内部に蓄積した埃が帯電を起こすことにより様々な不具合を誘発するのです。この連鎖を断ち切るには、こまめにPC内の掃除を行うしか手が無いのですが、まぁこれが・・・実に面倒臭い(^^; かといって長期間放置してしまうとCPUクーラーのヒートシンクは埃まみれとなり、これを掃除するのは本当に苦痛です。最近ではようやく水冷システムが普及し始めたようですが、こちらもメンテナンスフリーでは無く、ラジエーター部の掃除が必要となります。しかしまぁ、ヒートシンクの掃除よりは「まし」かも知れませんね。「空冷」「水冷」ともに整備はそれなりに大変なわけでして・・・ふと航空機エンジンが頭をよぎりました(笑)


▲ 一昨年まで「大阪交通博物館」に展示されていた中島飛行機の発動機「ハ-45」( 海軍呼称=誉 )
CPUクーラーのヒートシンクとは規模が違いますが、シリンダー周辺に密集する冷却フィンがなんとも不気味です(笑)
同館の展示物は今年開館した「京都鉄道博物館」に移管されたと聞きますが、鉄道資料ではない「誉」は展示されていないようですね。富士重工に戻されたのかな?気になります。

海軍倶楽部 2016/09/21


去る日曜日、京都で開かれた「海軍倶楽部 平成27年度総会」に参加させていただきました。

まだまだ薄学の私にとって「海軍倶楽部」は「関西零戦搭乗員会」と同じく、戦闘ご体験者や様々なジャンルの海軍研究家・愛好家さま方と直接お話が出来る誠に貴重な会合なのです。お蔭様で今回も甲飛13期のWさま、陸攻偵察員として沖縄夜間爆撃に出撃された松島空の I さま、空母「大鳳」通信員としてマリアナ沖海戦を経験されたSさま、などなど・・・
多くの貴重な体験談をお聞きすることができました。

毎回「海軍倶楽部」では旧海軍軍人さまの講演がありまして、
今回は重巡洋艦「利根」に乗組まれた馬場利一さま(90歳)の講話です。

16歳で海軍へ入隊した馬場さまは、昭和18年3月海軍航海学校を優秀な成績で卒業し、念願の重巡「利根」乗組み(航海科)を命じられます。戦局が悪化の一途を辿る中、インド洋方面通商破壊戦、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦をくぐり抜け、昭和20年7月末、米艦載機空襲によって「利根」が着底した際も乗艦していたといいますから、まさに最後まで「利根」とともに戦い続けたご奉公でした。

シブヤン海で沈みゆく戦艦「武蔵」、サマール島沖では火だるまと化した僚艦「筑摩」を目撃、さらに「利根」艦上では機銃弾によって重傷を負いながらも不屈の闘志で指揮を執り続ける艦長(黛治夫大佐)、血で染まった真っ赤な通信紙に突っ伏しながらも手だけが動いていた通信兵、次々と戦死する同期生・・・その体験談は「凄まじい」としか例えようがありません。

戦後、若者の食生活向上のために給食や学生食堂を運営する会社を立ち上げられ、現在も会長職の重責にある馬場さま曰く 『 今の時代でも海軍五省は通用する。部下の教育を含め、私はずっとそれを実践してきました。自らの行いが人・社会の役に立っているか常に考えなければなりません。』


さて、「海軍倶楽部総会」は毎年 京都「四条大橋」東詰にある老舗洋食レストラン「菊水」で開催されているのですが・・・このレストラン、関西の方ならご存知の通り大正15年竣工のレトロ感あふれる外観がたまりません。さらに総会当日は1階入り口前に二種軍装の参謀殿がお出ましするという有難いサプライズ?も恒例となっております。




四条大橋を描いた昭和初期の絵葉書に見るレストラン「菊水」。現在とほぼ同じ姿で建っています。周囲の家屋が低いこともあり、その存在感はまさに「威容」というべきか。




デザートに登場したのは、なんと「間宮羊羹」。艦隊乗員や前線基地への食糧補給を主務とした給糧艦「間宮」で製造された羊羹は連合艦隊で大人気だったそうです。





戦務参謀殿、雨中ご苦労様でございます!

紫電改操縦員 笠井智一さまの自叙伝  2016/09/26


元343空 笠井上飛曹さまの自叙伝がついに、発売となりました!
『最後の紫電改パイロット 不屈の空の男の空戦記録』 潮書房光人社(定価:本体2,000円+税)

本作品の特に優れたところは、以下3点だと思います。

(1) 文章が読み易く平易である。(戦史・軍事に詳しくなくても十分理解できます)
(2) 戦記物でたまに見られる史実の誇張等は一切なし。
   従って戦闘機操縦員・笠井さんの海軍生活がリアルに伝わってくる。
(3) 笠井さんから現代日本人へのメッセージが明快に発信されている。※ ← ここは私の一押しポイントです。

ということで、光人社刊行本のなかでは良い意味で「異色」、快作ですね。  是非お読みくださいませ!


最後の紫電改パイロット



【 笠井智一さまの軍歴概要 】

※ 同自叙伝 及び「源田の剣 改訂増補版」を参考に私が勝手にまとめたものにつき、過度に信用しないでくださいね。


■ 16歳で海軍航空隊に志願

昭和16年  
昭和17年01月
      04月
昭和18年05月

      10月
      11月
甲種予科飛行練習生第10期(甲飛10期)に応募、受験
合格通知届く
土浦海軍航空隊に入隊 (17歳)
予科練卒業
霞ケ浦航空隊千歳分遣隊での操縦員養成へ進む(第32期飛行練習生
飛行練習生教程修了。希望通り戦闘機専修の命を受ける。
徳島航空隊 着任、戦闘機専修課程(延長教育)へ進む
※ 通常は最低半年を費やす延長教育であったが操縦員不足深刻化の折り、僅か20日余りの訓練で実践部隊配属となる。

■ 263空 ( 通称「豹」部隊 ) 〜 マリアナ、カロリンの戦闘

昭和18年11月
  




昭和19年03月
      04月中旬


      04月25日
      05月01日
      05月上旬

      06月15
         17日
      
         19〜20日
         28〜29日
戦闘機部隊 263空に配属となり、松山基地へ移動して戦闘機訓練を続行
※ 263空は来たるべき決戦航空兵力として前年7月に編成された大本営直轄「第一航空艦隊(一航艦)」を構成する一部隊であった。しかしマーシャル、トラック方面での戦況悪化は一航艦各部隊に錬成猶予を許さず、昭和19年2月、連合艦隊指揮下に入った一航艦に対してマリアナ進出が下令される。263空では2月21日に第一陣の零戦18機がテニアン島へ進出したが、23日の米艦載機との戦闘で壊滅的損害を出した。
香取基地より発進、硫黄島、サイパン島を経てグァム島へ進出。空戦訓練に励む。
杉田庄一(すぎたしょういち)一飛曹、グァム島に着任
※ 204空時代ソロモン方面で死闘を展開した歴戦の兵・杉田の列機となった笠井さんは、以降343空(二代・剣部隊)まで厳しい指導を受けながら共に戦うこととなる。
初空戦。グアム島上空でB24爆撃機を邀撃
一飛曹に進級
ビアク島防衛「渾作戦」支援のため263空はグアム島を発し、ペリリュー島へ進出。
パラオ方面で激しい空戦を重ねる。
米軍サイパン島に上陸開始
263空のサイパン米軍攻撃に参加の後、グアム島へ着陸。
その後1週間ほどグアム島に来襲する米艦載機群と邀撃空戦を繰り返す。
マリアナ沖海戦で海軍機動部隊敗北
生存損搭乗員5名とともに761空の陸攻に便乗、グアム島を脱しペリリュー島へ転進。杉田兵曹は修理した零戦でペリリュー島へ移動。

※ 263空はペリリュー・グァムを拠点にパラオ、マリアナ方面で奮闘したが、あ号作戦(マリアナ沖海戦)時には戦力の殆どを喪失。7月10日付で解隊となり、笠井一飛曹、杉田兵曹を含む残存隊員はダバオ、セブ島を拠点とする 201空へ吸収される。


■ 201空 戦闘306 〜 ヤップ島防空から比島航空戦へ

昭和19年07月10日
    


    07月中旬〜下旬


    
    07月24日
    
    07月25〜8月初旬
    08月上旬〜下旬

    09月8日〜9日
    09月10日
    
       12日



    9月末〜10月下旬



    10月25
       26日

       27日


    
       29日
    
    11月01日
    11月初旬
       上旬
       中旬
    
       中旬〜下旬
       30日

    12月初旬
       中旬
201空 戦闘306 に編入。フィリピンダバオへ移動。
※ ここで、同じくマリアナ方面で壊滅した343空(初代・通称「隼」部隊)より転籍していた分隊長・菅野直(かんのなおし)大尉と出会う。この後、笠井さんは343空(二代・剣部隊)に至るまで菅野大尉、杉田兵曹とともに戦い続けることとなる。
菅野大尉指揮一個分隊の一員としてヤップ島へ進出、連日来襲するB-24爆撃機の邀撃に当る。7月20日の戦闘では甲飛10期同期生2名の体当たり自爆を目撃する。
※ 菅野分隊は連日来襲するB-24爆撃機に対して直上方攻撃を多用した果敢な邀撃戦を展開、多数機を撃墜破した攻により一航艦司令長官より表彰される。
ヤップ島上空で被弾し、海上に不時着。約4時間泳ぎつづけて岸にたどりついた後、島民の助けを受けて部隊へ生還。この日の戦闘で菅野分隊の稼働機はゼロとなった。
菅野大尉、残存隊員とともに駆潜艇でヤップ島を脱出。2週間かけてダバオへ帰着
比島決戦への戦力温存と練成のため戦闘306はセブ島へ転進。
零戦による反跳爆撃訓練に従事。
戦闘306、セブ島北方300kmのレガスピーへ移動。
「米軍ダバオ周辺に上陸」の報を受け、セブ島へ移動するも誤報と判り(ダバオ誤報事件) 翌日レガスピーへ戻る。
米艦載機の大空襲によってセブ島に集結していた201空戦闘機隊は壊滅的損害を受ける。レガスピーで邀撃した笠井一飛曹はかろうじてグラマン編隊の攻撃をかわすが、もはや零戦ではF6F編隊に太刀打ちできないことを痛感。
※ 同日の戦闘で戦闘306隊長・森井大尉が戦死したため、菅野大尉が隊長となる。
零戦受領のため菅野大尉、杉田兵曹ほか数名ととも輸送機で本土帰還
中島飛行機小泉製作所(群馬県太田市)に駐留して試験飛行などに従事
※ 笠井さんたちがフィリピンを離れた直後に「捷一号作戦」が発動され、10月19日、一航艦司令・大西中将は201空に対して海軍初の特別攻撃隊(特攻隊)編成を命じる。
海軍初の神風特攻隊「敷島隊」マバラカット飛行場より出撃

菅野大尉指揮の空輸隊(零戦16機)、マバラカット飛行場に帰着。前日に零戦による特攻(敷島隊)が行われたことを知る。
午前中にニコルス基地へ移動。午後、菅野大尉指揮の特攻直掩隊に参加し、薄暮のレイテ湾上空で特攻機3機の突入を確認する。
※ 笠井さんたちが掩護したのは彗星艦爆4機編成(計8名)の「第二神風特別攻撃隊 忠勇隊」で、この中には甲飛同期の野々山尚一飛曹が含まれていた。
輸送機でマバラカットへの帰途、P38の襲撃に会うが、菅野大尉が操縦桿を握りルバング島に胴体着陸。数日後、地元船でルソン島へ移動してマバラカットへ帰着。
上飛曹に進級
特攻機直掩に2回出撃

菅野大尉、特命を受けて内地帰還。横須賀で「戦闘301」再編成に着手
杉田兵曹とともに特攻志願するも201空副長に却下される。その2日後、杉田兵曹と笠井上飛曹を含む「戦闘306」甲飛10期6名に本土帰還命令が下る。
輸送機を乗り継ぎ、約1週間をかけて台湾経由で鹿児島・笠之原基地に到着。
菅野大尉を飛行隊長とする新編「戦闘301」が正式に発足
※ 同隊は343空(二代)が編成されるまで形式的に252空所属とされた。
横須賀で菅野大尉と合流。戦闘301指揮下に入り、紫電11型による慣熟訓練を開始。
試作機の紫電改を初めて操縦。「これでグラマンには負けない」と確信する。

■ 343空(二代・剣部隊) 戦闘301 〜 新鋭機「紫電改」で最後の闘いへ

昭和19年12月下旬
      12月25日
昭和20年01月初旬




    03月19日


    04月01日
    04月上旬
       12日
       15日
       17日
       

       30日
    06月上旬
    08月01日
戦闘301、松山基地へ移動
343空(二代・剣部隊)松山で開隊
杉田上飛曹、戦闘301に着任
※ 343空各飛行隊は5月頃を目途に編隊空戦の錬成に励んだが、肝心の紫電21型(紫電改)の機数不足や燃料制限などによって訓練は思うように進捗せず、3月の時点で紫電改への機種改変を完了していたのは最も早く松山に進出した菅野大尉の戦闘301のみで、戦闘701、407はまだ紫電を一部残している状態であった。
松山上空大空戦(343空の初戦闘)
※ 杉田上飛曹の2番機を務める笠井さんは体調不良(下痢)のため参加できず、今も「生涯の不覚」と悔やんでおられる。
米軍沖縄上陸
戦闘301主力、特攻機掩護(進路啓開)のため鹿屋に進出
喜界島制空戦闘に参加、撃墜2機(不確実)の戦果をあげる
鹿屋基地にて杉田上飛曹機の墜落(戦死)を目撃
喜界島方面制空に参加するも出撃離陸時に原因不明の事故で墜落。
右足を骨折するなど意識不明の重傷を負い、入院を余儀なくされる。
 ※ 同日、343空は鹿屋から第一国分へ移動。
343空、長崎の大村基地へ移動。
本隊復帰を果たし、再び戦列に加わる。
戦闘301 菅野隊長、屋久島西方のB-24邀撃戦で未帰還となる。

その後も戦闘301で奮戦を続け終戦に至る。共同撃墜機数10機


ついにパソコン買換えを決意  2016/10/11


7年に渡って酷使し続けたウチのパソコン(win7、32bit)が限界に近づきつつあるのは明らかですが、後継機種の選択でず〜っと悩んでおりました。普通なら最新のWin10を選ぶところですが、簡単には決められない問題が2つあったのです。


 【 問題1 】 デザインソフトの適応性

私がデザインに使う主要ソフトはAdobe社の「イラストレーター」と「フォトショップ」なのですが、バージョンが古いため(8年前発売のCS4)Win10上で正常に作動するか確認する必要がありました。しかし、これがどうもハッキリしないのですね。ネット上には「動いた」「動かない」双方の情報が見られ、肝心のAdobe社公式サイトではこの件に全く触れておらず、暗に「自己責任」を主張しているようにも見えます。


この時点で、Win10は避けた方が賢明との方針に傾きましたが、一方、Win7に関しても気になる問題が発生していました。


 【 問題2 】 Win7 サポート期限の見極め

以前よりWin7の延長サポート終了は2020年1月14日と公表されていたのですが、今年に入ってから突然、マイクロソフト社の方針が以下のように2転3転しました。

(転1) 2016年01月 : 突然、一部高性能CPU(第6世代 Skylake)搭載機のサポート期間を2017年7月17日までに
              大幅短縮すると発表。
(転2)  〃  03月 : 2か月前の発表期限から1年間延長、2018年7月17日までとすると発表。
(転3)  〃  08月 : 元々の延長サポート期限に戻すと発表。

この一連の流れを概説しますと・・・
Win10導入促進のため、Win7の一部高性能CPU(第6世代 Skylake)搭載機に限ってサポート期間を大幅に短縮する方針を決定したものの、顧客から総スカンを喰らって元に戻した、というドタバタ劇だと思われます。

しかし、この迷走ぶりには振り回されました。何しろ正月に発表されたサポート期間では、高性能版Win7を購入してもわずか1年半しか使えないことになるからです。露骨すぎるWin10への誘導策、そら反発喰いますわ(笑)

が、これだけお騒がせしたマイクロソフト社ですから、今後また方針を一変させるかも知れず・・・念のため電気量販店店員などに聞き込みを続けた結果、今後の再変更はまず無いとの確信を得ました。つまり、Win7のサポート終了は予定通り 2020年1月14日までで確定的 ということです。※ ちなみにWin8.1の延長サポート期限は2023年1月10日とされています。

といった感じで、初夏以降あれこれ悩み続けましたが・・・
最終的に後継機はWin7(プロフェッショナル、64bit、第6世代CPU搭載)とすることにしました。これで今後3年余を乗り切り、2020年のサポート終了次第 Win10へアップグレードする予定です。



本当によく頑張ってくれました

2009年11月に購入して以来7年間、32bitのハンデもなんのその、幾多のトラブルを乗り越えてきたPCでしたが、いよいよ最後を迎えます。当時は最新だったSSDを搭載していますがHDとともに一般的な寿命はとうに過ぎており、いつ「突然死」してもおかしくない状況でした(合掌)

新パソコン導入完了  2016/10/24

昨夜、新しいパソコンの設定作業がほぼ終了しました。
これでようやくデザイン作業を再開できそうです (・∀・)

致し方ないとは言うものの、新しいパソコンの導入作業というのは誠に煩わしいですね。
インターネット接続設定とブラウザのアップデートに始まり、メール設定、セキュリティソフト再インストール、各種ソフト・データの引っ越し&動作確認などなど・・・面倒臭いことこの上ない。作業中は様々なトラブルが発生しましたがほぼ想定内。ところが、Windows Update の更新で思わぬ落とし穴(↓)にはまり、このリカバリーだけで昨日の日曜丸1日を費やす羽目となりました (>_<)

Windows7で以下のような経験をされた方はいませんか?

コントロールパネルから Windows Update を実行すると更新プログラムの確認が始まるが、これがいつまで経っても終わらない。結局中断を余儀なくされ、アップデートに失敗する。

【左】 Windows Update の
エンドレス状態

「更新プログラムを確認しています」と表示され、この状態がただ延々と続く。

この悪夢を中断させるには、強引にウインドウを閉じたりせず、タスクトレイを右クリックしてタスクマネジャーから終了させることをお勧めします。

今回の新パソコンでも同じ症状が現れましたが、これはある程度予想していました。今回購入したパソコンは Windows7(sp1)プリインストール版ですので、OSのインストール時期(=パソコン販売店がインストールした時期)が古かった場合、以降に公開された更新ファイルは導入されていないからです。そこで、セキュリティ関連の更新履歴を参照したところ案の定、最終更新日は今年の1月18日でした。つまり、販売店が Windows7をインストールした1月18日以降の更新ファイルは(当然)一切入っていないのです。ここまでは、まぁ予想通りでした。

対処法をネット検索したところ、すぐに答えが見つかりました。問題解決には今夏に配布された重要な2つの更新パッケージ(KB3020369、KB3172605)の導入が必須であるとのこと。さっそくマイクロソフト公式サイトからこれらをダウンロードし、インストールのためダブルクリックしました。すると Windows Update スタンドアロン インストーラー が立ち上がり、更新プログラムの検索を開始しましたが・・・なんとこっちもエンドレスなのです。とりあえず3時間ほど放置してみましたが終了する気配は微塵もない。「どうなっとるんや?」 想定外の事態にうろたえてしまいました。なぜなら Windows Update はセキュリティ上きわめて重要な機能につき、これが正常に作動しないとほぼ間違いなくシステムに不具合が発生するからです。

さて、どうしよう。 焦りつつも黙々とネット検索を続けた結果、幾つかのブログ記事から意外な実態が見えてきました。要点のみ述べますと・・・原因は不明だか、更新パッケージをインストールする際にはインターネット接続を切断する必要があるとのこと。 「何じゃそりゃ?」 しかし他に試みる選択肢も無く、さっそくLANケーブルを引っこ抜きインターネット切断状態で再試行(オフラインインストール)してみると・・・あら不思議、上手くいった(笑)

インターネット接続を戻した後、さっそくコントロールパネルから Windows Update を実行してみると・・・エンドレスだった更新プログラム確認はたった5分であっさり終了。その後 更新プログラム(108個)の自動インストールに約1時間を費やしましたが、Windows Update をなんとか正常化することができました。 やれやれ一安心。

▲ 正常化した Windows Update のウィンドウ  更新プログラムを随時インストール可能となった一方、Windows10への誘導などマイクロソフトの戦略プログラムもまた入ってくることになる。

それにしても、マイクロソフト社には腹立ちますねぇ! 同社公式サイトには今回のようなトラブル事例に関する情報は一切掲載されておらず、更新パッケージのダウンロードページにはいかにも簡単作業であるかのような謳い文句が表示されているのです。『 この更新プログラムをインストールすると、Windows の問題が修正されます 』 おいおい、顧客に対して不誠実すぎないか? 前回日記でも書いた露骨な Windows10誘導キャンペーン といい、今回の件といい・・・マイクロソフト社に巨大企業の驕りを感じるのは私だけではないのでは?

でも結局 私の場合、使い慣れたWindowsを使うしかないんですよね。 (-_-x)



【 新しいPCの外観 】

旧機に比べてコンパクトながら インテル第6世代プロセッサー、512GB SSD、32GBメモリを搭載、処理能力は劇的にアップしました。水冷式CPUクーラーを組み込んでいますので静音性・メンテナンス性も大幅に向上。2019年末にWindows10へアップグレードして更に限界まで使い倒す予定です。一方、7年使い続けた32bitの旧機は予備役編入となりますが退役扱いとはせず、サブPCとして活用しながら長寿記録に挑戦します。



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