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紫電改操縦員 笠井智一さまの自叙伝  2016/09/26


元343空 笠井上飛曹さまの自叙伝がついに、発売となりました!
『最後の紫電改パイロット 不屈の空の男の空戦記録』 潮書房光人社(定価:本体2,000円+税)

本作品の特に優れたところは、以下3点だと思います。

(1) 文章が読み易く平易である。(戦史・軍事に詳しくなくても十分理解できます)
(2) 戦記物でたまに見られる史実の誇張等は一切なし。
   従って戦闘機操縦員・笠井さんの海軍生活がリアルに伝わってくる。
(3) 笠井さんから現代日本人へのメッセージが明快に発信されている。※ ← ここは私の一押しポイントです。

ということで、光人社刊行本のなかでは良い意味で「異色」、快作ですね。  是非お読みくださいませ!


最後の紫電改パイロット



【 笠井智一さまの軍歴概要 】

※ 同自叙伝 及び「源田の剣 改訂増補版」を参考に私が勝手にまとめたものにつき、過度に信用しないでくださいね。


■ 16歳で海軍航空隊に志願

昭和16年  
昭和17年01月
      04月
昭和18年05月

      10月
      11月
甲種予科飛行練習生第10期(甲飛10期)に応募、受験
合格通知届く
土浦海軍航空隊に入隊 (17歳)
予科練卒業
霞ケ浦航空隊千歳分遣隊での操縦員養成へ進む(第32期飛行練習生
飛行練習生教程修了。希望通り戦闘機専修の命を受ける。
徳島航空隊 着任、戦闘機専修課程(延長教育)へ進む
※ 通常は最低半年を費やす延長教育であったが操縦員不足深刻化の折り、僅か20日余りの訓練で実践部隊配属となる。

■ 263空 ( 通称「豹」部隊 ) 〜 マリアナ、カロリンの戦闘

昭和18年11月
  




昭和19年03月
      04月中旬


      04月25日
      05月01日
      05月上旬

      06月15
         17日
      
         19〜20日
         28〜29日
戦闘機部隊 263空に配属となり、松山基地へ移動して戦闘機訓練を続行
※ 263空は来たるべき決戦航空兵力として前年7月に編成された大本営直轄「第一航空艦隊(一航艦)」を構成する一部隊であった。しかしマーシャル、トラック方面での戦況悪化は一航艦各部隊に錬成猶予を許さず、昭和19年2月、連合艦隊指揮下に入った一航艦に対してマリアナ進出が下令される。263空では2月21日に第一陣の零戦18機がテニアン島へ進出したが、23日の米艦載機との戦闘で壊滅的損害を出した。
香取基地より発進、硫黄島、サイパン島を経てグァム島へ進出。空戦訓練に励む。
杉田庄一(すぎたしょういち)一飛曹、グァム島に着任
※ 204空時代ソロモン方面で死闘を展開した歴戦の兵・杉田の列機となった笠井さんは、以降343空(二代・剣部隊)まで厳しい指導を受けながら共に戦うこととなる。
初空戦。グアム島上空でB24爆撃機を邀撃
一飛曹に進級
ビアク島防衛「渾作戦」支援のため263空はグアム島を発し、ペリリュー島へ進出。
パラオ方面で激しい空戦を重ねる。
米軍サイパン島に上陸開始
263空のサイパン米軍攻撃に参加の後、グアム島へ着陸。
その後1週間ほどグアム島に来襲する米艦載機群と邀撃空戦を繰り返す。
マリアナ沖海戦で海軍機動部隊敗北
生存損搭乗員5名とともに761空の陸攻に便乗、グアム島を脱しペリリュー島へ転進。杉田兵曹は修理した零戦でペリリュー島へ移動。

※ 263空はペリリュー・グァムを拠点にパラオ、マリアナ方面で奮闘したが、あ号作戦(マリアナ沖海戦)時には戦力の殆どを喪失。7月10日付で解隊となり、笠井一飛曹、杉田兵曹を含む残存隊員はダバオ、セブ島を拠点とする 201空へ吸収される。


■ 201空 戦闘306 〜 ヤップ島防空から比島航空戦へ

昭和19年07月10日
    


    07月中旬〜下旬


    
    07月24日
    
    07月25〜8月初旬
    08月上旬〜下旬

    09月8日〜9日
    09月10日
    
       12日



    9月末〜10月下旬



    10月25
       26日

       27日


    
       29日
    
    11月01日
    11月初旬
       上旬
       中旬
    
       中旬〜下旬
       30日

    12月初旬
       中旬
201空 戦闘306 に編入。フィリピンダバオへ移動。
※ ここで、同じくマリアナ方面で壊滅した343空(初代・通称「隼」部隊)より転籍していた分隊長・菅野直(かんのなおし)大尉と出会う。この後、笠井さんは343空(二代・剣部隊)に至るまで菅野大尉、杉田兵曹とともに戦い続けることとなる。
菅野大尉指揮一個分隊の一員としてヤップ島へ進出、連日来襲するB-24爆撃機の邀撃に当る。7月20日の戦闘では甲飛10期同期生2名の体当たり自爆を目撃する。
※ 菅野分隊は連日来襲するB-24爆撃機に対して直上方攻撃を多用した果敢な邀撃戦を展開、多数機を撃墜破した攻により一航艦司令長官より表彰される。
ヤップ島上空で被弾し、海上に不時着。約4時間泳ぎつづけて岸にたどりついた後、島民の助けを受けて部隊へ生還。この日の戦闘で菅野分隊の稼働機はゼロとなった。
菅野大尉、残存隊員とともに駆潜艇でヤップ島を脱出。2週間かけてダバオへ帰着
比島決戦への戦力温存と練成のため戦闘306はセブ島へ転進。
零戦による反跳爆撃訓練に従事。
戦闘306、セブ島北方300kmのレガスピーへ移動。
「米軍ダバオ周辺に上陸」の報を受け、セブ島へ移動するも誤報と判り(ダバオ誤報事件) 翌日レガスピーへ戻る。
米艦載機の大空襲によってセブ島に集結していた201空戦闘機隊は壊滅的損害を受ける。レガスピーで邀撃した笠井一飛曹はかろうじてグラマン編隊の攻撃をかわすが、もはや零戦ではF6F編隊に太刀打ちできないことを痛感。
※ 同日の戦闘で戦闘306隊長・森井大尉が戦死したため、菅野大尉が隊長となる。
零戦受領のため菅野大尉、杉田兵曹ほか数名ととも輸送機で本土帰還
中島飛行機小泉製作所(群馬県太田市)に駐留して試験飛行などに従事
※ 笠井さんたちがフィリピンを離れた直後に「捷一号作戦」が発動され、10月19日、一航艦司令・大西中将は201空に対して海軍初の特別攻撃隊(特攻隊)編成を命じる。
海軍初の神風特攻隊「敷島隊」マバラカット飛行場より出撃

菅野大尉指揮の空輸隊(零戦16機)、マバラカット飛行場に帰着。前日に零戦による特攻(敷島隊)が行われたことを知る。
午前中にニコルス基地へ移動。午後、菅野大尉指揮の特攻直掩隊に参加し、薄暮のレイテ湾上空で特攻機3機の突入を確認する。
※ 笠井さんたちが掩護したのは彗星艦爆4機編成(計8名)の「第二神風特別攻撃隊 忠勇隊」で、この中には甲飛同期の野々山尚一飛曹が含まれていた。
輸送機でマバラカットへの帰途、P38の襲撃に会うが、菅野大尉が操縦桿を握りルバング島に胴体着陸。数日後、地元船でルソン島へ移動してマバラカットへ帰着。
上飛曹に進級
特攻機直掩に2回出撃

菅野大尉、特命を受けて内地帰還。横須賀で「戦闘301」再編成に着手
杉田兵曹とともに特攻志願するも201空副長に却下される。その2日後、杉田兵曹と笠井上飛曹を含む「戦闘306」甲飛10期6名に本土帰還命令が下る。
輸送機を乗り継ぎ、約1週間をかけて台湾経由で鹿児島・笠之原基地に到着。
菅野大尉を飛行隊長とする新編「戦闘301」が正式に発足
※ 同隊は343空(二代)が編成されるまで形式的に252空所属とされた。
横須賀で菅野大尉と合流。戦闘301指揮下に入り、紫電11型による慣熟訓練を開始。
試作機の紫電改を初めて操縦。「これでグラマンには負けない」と確信する。

■ 343空(二代・剣部隊) 戦闘301 〜 新鋭機「紫電改」で最後の闘いへ

昭和19年12月下旬
      12月25日
昭和20年01月初旬




    03月19日


    04月01日
    04月上旬
       12日
       15日
       17日
       

       30日
    06月上旬
    08月01日
戦闘301、松山基地へ移動
343空(二代・剣部隊)松山で開隊
杉田上飛曹、戦闘301に着任
※ 343空各飛行隊は5月頃を目途に編隊空戦の錬成に励んだが、肝心の紫電21型(紫電改)の機数不足や燃料制限などによって訓練は思うように進捗せず、3月の時点で紫電改への機種改変を完了していたのは最も早く松山に進出した菅野大尉の戦闘301のみで、戦闘701、407はまだ紫電を一部残している状態であった。
松山上空大空戦(343空の初戦闘)
※ 杉田上飛曹の2番機を務める笠井さんは体調不良(下痢)のため参加できず、今も「生涯の不覚」と悔やんでおられる。
米軍沖縄上陸
戦闘301主力、特攻機掩護(進路啓開)のため鹿屋に進出
喜界島制空戦闘に参加、撃墜2機(不確実)の戦果をあげる
鹿屋基地にて杉田上飛曹機の墜落(戦死)を目撃
喜界島方面制空に参加するも出撃離陸時に原因不明の事故で墜落。
右足を骨折するなど意識不明の重傷を負い、入院を余儀なくされる。
 ※ 同日、343空は鹿屋から第一国分へ移動。
343空、長崎の大村基地へ移動。
本隊復帰を果たし、再び戦列に加わる。
戦闘301 菅野隊長、屋久島西方のB-24邀撃戦で未帰還となる。

その後も戦闘301で奮戦を続け終戦に至る。共同撃墜機数10機


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