ラバウル戦闘機隊Tシャツ デザイン機解説 ⑭ 飛鷹 零戦21型 2014/05/31
本日は空母「飛鷹」の零戦21型です。
「い」号作戦の後も第3艦隊空母機のソロモン方面への派遣投入は続き、
奮闘 → 消耗 → 基地航空隊に吸収 を繰り返しました。
昭和18年4月に204空飛行長としてラバウルに着任し翌昭和19年1月まで防空戦を指揮した横山保中佐は
回想記 『 あゝ零戦一代 』 ( 光人社 ) の中で、当時搭乗員の間で囁かれていたという言葉を紹介しています。
『 ラバウルのパイロットは、死ななきゃ内地へ帰れない 』
⑭ 飛鷹 零戦21型
空母飛鷹 は姉妹艦「隼鷹」と同じ商船改造空母として昭和17年7月に竣工、ミッドウェイ海戦後に再編された新機動部隊 第3艦隊 で隼鷹、龍驤とともに第2航空戦隊(2航戦)を構成し、直後の8月に勃発したガダルカナル島争奪戦を支援するためソロモン方面の海空戦に突入していきました。 空母としての飛鷹は、ソロモン方面初出動時に機関故障により南太平洋海戦、第3次ソロモン海戦に参加できず、また翌18年6月の2航戦飛行機隊ソロモン進出時には内地出撃直後に魚雷攻撃を受けて航行不能に陥るなどやや不運艦のイメージがありますが、その飛行機隊は数度に渡ってラバウル、ブインへ進出し、基地航空部隊と共に奮戦しています。ソロモン方面における飛鷹飛行機隊の主要作戦は以下の通りです。 |
■ 昭和17年10月 : 隼鷹とともにガ島近海へ進出、艦攻、艦戦による攻撃を実施。 ■ 10月下旬~12月中旬 : ラバウルへ飛行機隊を派遣( 零戦16、九九艦爆17)、一部はブインへ前進して第3次ソロモン海戦に参加。 ■ 翌18年4月2日~17日 : 1航戦飛行機隊とともにラバウル、ブインへ進出、「い」号作戦に参加。
■ 6月10日 : トラック進出のため隼鷹とともに横須賀を出港。 ■ 7月~8月 : 7月上旬にブインへ進出した飛鷹飛行機隊は7月15日付けで龍鳳飛行機隊へ編入され、隼鷹隊、204空、251空、582空などとともに中部ソロモン方面の作戦に参加。約1ヶ月の戦闘で2航戦飛行機隊は半数の搭乗員を喪失する。 ■ 9月1日 : 2航戦の残存搭乗員は全員が基地航空隊転入となり、引き続き中部ソロモンでの作戦に従事することとなる。この結果、2航戦飛行機隊はゼロとなり、各飛行機隊はシンガポール、トラックなどで再建を急いだ。 ■ 翌昭和19年1月25日~2月20日 : 再建された2航戦飛行機隊(隼鷹、飛鷹、龍鳳)はラバウルへ全力進出して疲弊した204空と交代、航空部隊総引き揚げとなる2月20日まで253空とともにラバウル防空に奮戦した。1ヶ月足らずの戦闘で2航戦兵力は艦戦69機→37機、艦爆36機→4機、艦攻27→5機 と急激に消耗し、事実上壊滅状態となった。 ■ ■
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【 左 】 「い」号作戦時、山本長官に見送られる空母飛行機隊の零戦21型 昭和18年4月7日~15日にかけて実施された「い」号作戦は、1航戦( 瑞鶴、翔鶴、瑞鳳 )2航戦 ( 飛鷹、隼鷹 ) 空母飛行機隊を基地航空戦に投入した大規模作戦でしたが、連合軍航空兵力に大打撃を与えるには至りませんでした。 写真の零戦は空母飛行機隊の1機と言われ、乱雑?とも見える応急的迷彩塗装が確認できます。 |
【 デザイン機解説 】 昭和18年4月、「い」号作戦時の空母「飛鷹」零戦21型を塗装図( ※ )などを参考に描いています。ガ島撤退作戦以降、ラバウル方面の基地航空隊では零戦に対する暗緑色迷彩塗装(上面ベタ塗り)が始まっていましたが、空母搭載機での対応は遅れ、い号作戦時は各母艦ごとに応急的迷彩塗装が施され、マダラ状、網目状、格子状など多様なパターンが見られます。また、当時の機動部隊(第3艦隊)飛行機隊符号は「A」でしたが、い号作戦時には省略され、数字表記もアラビア数字に統一されました。従って「2-1」は「AII-I」と同意味で、第2航空戦隊1番艦を示しています。当時「飛鷹」は2番艦であったとの記述も多数あり、迷いましたが・・・今回は2航戦1番艦として描かせていただきました。後に続く機番号「103」は想像ですので根拠はありません。 ( ※ )『 永遠の名戦闘機ゼロファイターの全貌 零式艦上戦闘機 』(2013年11月、「丸」編集部・編)37頁 『 歴史群像シリーズ 決定版 日本の空母搭載機 』(2010年、学研)折込み塗装図イラスト 図42 |
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