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台南空三羽烏 ポートモレスビー編隊宙返りの決行日は? 2010/12/07

前回の日記にも書きましたが、台南空3羽烏(坂井・西澤・太田)によるこの痛快エピソード、
どうも決行された日付が不明なようです。

そこで、
同エピソードに言及している以下3点の著作を読み直してみました。

  1、坂井三郎空戦記録』 坂井三郎著・1992年・講談社+α文庫
    ( ※「大空のサムライ」の原著。初版は昭和28年・出版協同社刊 )
  2、大空のサムライ』 坂井三郎著・光人社NF文庫・2003年5月新装改訂版
  3、最強撃墜王』 武田信行著・2009年8月・光人社( ※ 西澤氏の人生を描いた伝記 )

すると以下の様な大きな違いが見られるわけです。

著作

日付

編成に関する記述

その他の記述

坂井三郎空戦記録

記述なし

● 指揮官:中島少佐
● 坂井:1中隊1小隊2番機
西澤:  同   3番機
 ※太田の編成、記述なし。

● 0800 ラエ基地発
● 参加零戦18機
● 敵機40〜50機と短時間戦闘 ● 敵機の機種記述なし
● 坂井:1機撃墜
  ほか数機撃墜目撃。

大空のサムライ

5月27日

     ↑
※ 0620 ラエ基地発
● 0814 敵基地上空進入

最強撃墜王

5月20日

● 指揮官:中島少佐
● 太田:1中隊1小隊2番機
    (指揮官直衛)
  西澤:2中隊1小隊2番機
    (笹井中尉直衛)
  坂井:2中隊2小隊1番機
    (小隊長)

● 参加零戦15機
● P-39エアラコブラ40機以上と
短時間空戦。
● 西澤・坂井各1機撃墜

もちろん『最強撃墜王』は西澤氏本人の著作ではありませんので、
“当事者”坂井氏の著書は圧倒的な信憑性を持っておりますが、共通するのは
当日の指揮官が中島正少佐であったということで、これはどうやら間違いがなさそうです。

 ________

ここで気になるのは台南航空隊の出撃記録ですが、
現在は資料探しも便利な時代となっておりまして、
「国立公文書館 アジア歴史資料センター」(通称・アジ歴)からネット上で簡単に検索・閲覧することが可能です。

早速1942年5月の『台南空飛行機隊 戦闘行動調書』をすべて調べたところ、

中島少佐が指揮官となってポートモレスビーへ出撃した日は、
5/6、5/9、5/17、5/20、5/28の5日しかありませんでした。

■次に、坂井・西澤・太田の3氏が揃ってポートモレスビーに出撃した日を調べると、
5/2、5/3、5/12、5/17、5/18、5/26、5/27、5/29の計8日あったことが判ります。

両方の一致日(=中島少佐+3羽烏の出撃日)を見ますと・・・5月17日 しかありません。
従って、記録上からは、「5/17」こそ編隊宙返り実施日であった可能性が最も高いとは言えそうです。
また、指揮官機の誤記録はまずあり得ませんので、
少なくとも坂井氏が記述されている5/27は記憶違いと断定してよいでしょう。

台南空 パイロット


が・・・この5/17説には腑に落ちない点が幾つか存在します。

1、まず5/17の編成ですが、『台南空飛行機隊 戦闘行動調書』によれば当日の編成は

 西澤・・・第1中隊 第1小隊 2番機(指揮官・中島少佐の直衛機)
 太田・・・第2中隊 第1小隊 2番機(第2中隊長・山下大尉の直衛機)
 坂井・・・第2中隊 第3小隊 1番機(小隊長)

となっており、坂井氏の記述(中島少佐直衛2番機=坂井、3番機=西澤)とは大きく異なります。
因みに、坂井氏の書かれている編成は記録を見る限り5月中には発生していません。


2、また、同日はエンジン被弾した山口馨中尉機が帰還途中に墜落する悲劇が起こっており、
坂井氏はこれを5/17の出来事として詳細に記述しておりますし、山口中尉機を見送った後
本隊とともにラエへ帰当したと述べています。
同じ日に3羽烏が例の編隊宙返りをやらかしていた?とはどうしても考えにくいですし、
本隊に20分遅れて帰還したという記述とも完全に矛盾します。

特に2番目の山口中尉機墜落の話・・・
これがどうも引っかかってしまい、私としては5/17はあり得ないのでは?という気がしてなりません。

 ________

そこで気になってくるのが、
『最強撃墜王』に記述のある5/20です。
この日は太田氏の出撃記録がありませんし、出撃機数(15機)、ラエ基地発時刻(0600)、
モレスビー上空進入時刻(0700)も坂井氏の記述とは合致しませんが、
P-39エアラコブラとの小戦闘があった様なことが記されており、これは一致します。
さらに気になるのは、この『最強撃墜王』の刊行時期が2009年と非常に新しいことです。
著者・武田信行氏には5/20に関する何らかの「確証」があったのではないかと考えられる訳ですが、
それは何か・・・?

 ________

ここまで考えて ほぼ完全に行き詰まりました。www 疲れたし・・・ Orz

やはり鍵を握るのは連合国側の目撃証言だが・・・。
実は『坂井三郎空戦記録』では、このエピソードの最後に( )囲みで以下の記述が書き加えられています。(以下引用)
『 「旧版改訂版あとがき」にある元オーストラリア兵スペンス氏、
その後アメリカで会見した戦闘機パイロットたちの中にも、この宙返りを見たとの証言者がいた』
・・・?!?
暇があればこっち方面も少しづつ調べてみたいですが・・・
誰か面白い情報をご存知でしたら是非教えてくださいませ。



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