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慰霊祭に行ってきます 2015/05/18


以前 『 関西零戦搭乗員会 』 の知人を通じてTシャツを贈らせていただいた あるご遺族さま(Aさま)から
お誘いをいただき、今週末、茨城県で開催される2つの慰霊祭に参列させていただくことになりました。

■ 5月23日(土) 「筑波海軍航空隊 慰霊の集い」(筑波海軍航空隊記念館周辺 / 笠間市)
■    24日(日) 「第四十八回 予科練戦没者慰霊祭」(雄翔園 / 稲敷郡阿見町)

今回お声を掛けていただいたAさまは、
南太平洋海戦で空母「翔鶴」雷撃隊操縦員として出撃、戦死された山岸昌司 飛行兵曹長の姪御さんに当ります。

97艦攻 「南太平洋海戦」 雷撃Tシャツ


【 山岸 一飛曹( 乙6期、戦死後 飛行兵曹長 )の戦闘詳細 】

山岸一飛曹は「翔鶴」の艦上攻撃隊 第1中隊 第42小隊2番機の操縦員で、同乗の電信員は村上守司 三飛曹(乙9期)。その村上三飛曹の同期生で同じ中隊に所属する電信員 萩谷幾久男 三飛曹が山岸機の戦闘状況を目撃していた。

『 豫科練外史 』 第4巻 515~516頁より ( 一部略 )

「全軍突撃」の下令。1中隊2中隊共に散開して突っ込みました。敵が上空に沢山揚げていた戦闘機が追撃してきます。そう、30機以上いたでしょうか。20機の雷撃隊が突入している時には、直衛の味方戦闘機は6、7機、1個小隊に1機くらいしかいないので、各小隊とも敵の戦闘機にたたかれました。

私の小隊は指揮官 村田少佐機が攻撃の的になり敵の戦闘機が2機で指揮官機に食いさがります。真珠湾の雷撃隊長が乗っているのを知っているかのような執拗さです。私は3番機だったので右に、2番機は左に避退しました。上空3000m付近で相当多数の飛行機が空戦中でした。

ぎりぎりまで接敵して空母に魚雷を発射しました。避退するときは、敵駆逐艦の700から800位のところを飛び抜けたのですが、その時もさんざん撃たれました。飛行機がバリバリいう。敵は高角砲を横にして撃っていました。

その時 見たのです。空母に魚雷を発射しようとしていた村上の機(山岸機)らしいのが少し左にかわしました。空母が変針しかけたからです。発射後直進し、空母の上で火を吐き、通り越して護衛の駆逐艦に自爆しました。


南太平洋海戦で攻撃を受ける米空母「ホーネット」

▲ 南太平洋海戦において日本軍機の攻撃を受ける米空母「ホーネット」


土浦方面へ出掛けるのは2年半ぶり。 英霊にしっかりとお祈りしてきます。

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