次は一式陸攻です! 2015/04/12
先日の店長日記で今後の作品構想を幾つかご紹介させていただきましたが、
次回作のテーマは「一式陸上攻撃機」となります。
一式陸攻と言えば、
米軍撮影のガダルカナルにおける鬼気迫る雷撃シーン(↓)が非常に印象深いですね。
これと連続すると思われる写真は数種類存在しますが、
この時の雷撃について少し調べましたので、以下にまとめてみます。
■ 日時 : 昭和17年8月8日正午頃
■ 場所 : ガダルカナル島ルンガ岬 ~ フロリダ島・ツラギ間の海域
■ 所属部隊 : 「4空」または「三沢空」(または両方)
■ 攻撃経緯 : ガダルカナル島争奪戦勃発
8月7日早朝、ツラギ島・ガダルカナル島(以後 ガ島)への米軍上陸の報を受けたラバウル25航戦は、ニューギニア爆撃のため発進準備中だった陸攻27機(4空)零戦17機(台南空)を急遽ガ島へと差し向けた。攻撃隊は敵機動部隊を発見できず、同島周辺の艦艇群に爆撃を試みたが、対空砲火とF4Fの邀撃によって4機を喪失している。
※ この戦闘によって台南空の坂井三郎一飛曹が重傷を負うが、気力でラバウル帰還を果たしている。8月8日朝、雷装一式陸攻26機(4空17機、三沢空第2中隊9機)と零戦15機(台南空)がラバウルを発進、ガ島周辺を遊弋していると思われる敵機動部隊を目指した。途中、4空の3機が引き返し、陸攻隊は23機となる。前日に続き敵機動部隊を発見できなかったためルンガ岬沖~ツラギ周辺の艦艇群に目標を変更、陸攻隊は正午前頃から次々と低空で雷撃針路に入った。攻撃目標となったケリー・ターナー少将指揮の前衛艦隊は熾烈な対空砲火で応戦、矢継ぎ早に8機以上が撃墜された。魚雷を投下出来たのは2~3機ほどだったという。その魚雷1本が駆逐艦「ジャービス」の右舷に命中してこれを大破させ、1機が輸送艦「ジョージ・エリオット」に体当たりして船体放棄へ追い込んだが、F4Fの追撃に会ってさらに4機を喪失。陸攻隊の損失は17機・搭乗員125名にのぼり、ラバウルに帰還できたのは僅かに5機のみ(4空3機、三沢空2機)であった。
※ 三沢空の1機が着陸時に大破したが、搭乗員は救助されている。同日深夜~翌朝にかけては、三川軍一中将指揮の重巡部隊がガ島~フロリダ島間(同海域は後に鉄底海峡と呼ばれることになる)に突入して「第1次ソロモン海戦」が勃発する。夜戦によって重巡4隻を葬った三川艦隊だったが、敵空母からの攻撃を警戒して輸送船群への攻撃は行わず、夜明け前までに北西方へ避退した。あくまでも結果論ではあるが、この時フレッチャーの空母部隊はすでに同方面にはなく、日本軍は米軍のガ島進出を挫く絶好機を逸したかたちとなった。
さらに、先日あるお客さまから「この時の映像を見た」(!)という話しを聞きまして、またまた調べました結果・・・
1952~53年にかけて米NBCで放映されたドキュメンタリーシリーズ 『 Victory At Sea 』 の 「episode 6」 の中に
この雷撃直後の陸攻を映したと思われるシーンが存在することが判りました。
ただし、これがお客様の見た映像であるかどうかは不明。他にも存在するのかも知れません。
もしご存知の方がいらっしゃいましたら是非教えてくださいませ。
同映像は YouTube で閲覧可能です。画質の悪いYouTube映像からは確認できないのですが、
オスプレイ軍用機シリーズ 『太平洋戦争の三菱一式陸上攻撃機』 (大日本絵画)によりますと、
同機は「4空」第1中隊・F-311号機で、8月8日の雷撃直後、避退中のものだと思われるとのこと。
わずか数秒の短いシーンですが、是非ご覧くださいませ。11分04~08秒に陸攻が映っています。
コメント
■ > 花吹山さま ・・・
> 花吹山さま詳細なご報告ありがとうございました!
わざわざお店に足を運ばれたとは・・・軽々しく質問してしまい、恐縮至極でございます。
学徒出陣ですと飛行科予備学生14期、実戦配備の前が鈴鹿空ということは、偵察専修でしょうか。
「針路0、日本列島ヨーソロ」の経緯、ジーンときました。
虎口を脱し、大笑いしている隊員たちの姿・・・絵に描いてみたい光景ですね。
■ 店長様 たった今、カツ・・・
店長様たった今、カツ丼を食べてきました。
以下の通り報告します。
今は息子さんが店を継いでおられます。聞き取りも息子さんからのものです。
・雷装の96式陸攻について
これはプラモデルではなく、レジンで出来ています。ご本人の友達(戦友?)からの贈り物です。かなり精巧に作られています。操縦席や上部銃座もはっきりわかります。ただ、既製品か手作りかは不明とのこと。
・店内に、元駐日大使マンス・フィールド氏からの自筆書簡が飾られています。(大使が任期満了で離日する際の手紙)
ご本人は戦後、どうしても気になる戦果不確実な事案があり、大使を通じ公文書で確認された経緯あり、ちょっとした親交があったとのこと。
磁探による潜水艦を攻撃した際に油が浮いてきたが、本当に撃沈したのか、敵の偽装なのかを確認したかったそうです。
・本の題名について
「針路0、日本列島ヨーソロ (海軍陸攻隊苦闘記 南海に眠る友へ)」は、グラマンの執拗な攻撃をかわし振り切った際に、航法担当下士官に、「今の針路を示せ」という問いに発した回答であり、その時機内はどっと笑いで盛り上がったということです。
針路0は北を意味し、南海にいるご本人達には、その方向に日本があり、故郷があるということで、このまま日本に帰ろうよという戦地で感じる望郷の念を正直に口に出した言葉だったようです。
・ご本人は昭和18年に中央大学を繰上卒業(学徒出陣?)し、第13期予科練卒で三重空→鈴鹿空→九0一空で台湾(高雄)、フィリピン(ミリ)を転戦。
・その他
磁探は周辺に金属が支障をきたすため、7.7ミリ機銃は全部おろした。
戦果を誇りに思うより、部下を一人も失わなかったと自慢していたとのこと。
以前、NHK鳥取放送局の女性が取材に来てローカル番組に取り上げられた。その女性は東京の方に異動したと思う。→井上あさひさん?
息子さんは大学時代は大阪で下宿されていたが、下宿先はご本人の戦友の家で、そこでも当時の話をしょっちゅう聞いていたそうです。
以上、報告終わります。
■ > 花吹山さま ・・・
> 花吹山さまさっそく「末広亭」の画像など拝見させていただきました。
昭和レトロそのものですねぇ。私は昭和30年代生まれですので、この感じは大好きです。
額装の一式陸攻はなんと4空(部隊記号F)ではないですか!
そして雷装「96式陸攻」モデルは今も飛んでいるのでしょうか?
■ 店長様 これがその店で・・・
店長様これがその店です。
http://tabelog.com/tottori/A3103/A310301/31001002/
昭和の面影を残すノスタルジアなラーメン屋です。
派手な飾りはありませんが、一式陸攻の絵が目立ちます。店長もきっと気に入ると思います。
客が居ない時は、隣のテーブルに座って、当時の回想を語ってくれました。
例えば、グラマンに追撃された時は、もうダメだと絶望感を感じながら振り切ったことや、沖縄での艦艇攻撃時には、対空砲火が凄まじくオレンジ色になったサッカーボールが自分の機めがけてビュンビュン飛んできたとか。
また、本にもありまさたが、B-25対一式陸攻の空中戦も面白かったです。
今思えば、もっとよく聞いておけば良かったと後悔しています。
■ > 花吹山さま ・・・
> 花吹山さまコメントありがとうございました。
元陸攻搭乗員のラーメン屋!毎日行っちゃいそうですね。
私も、低空飛行を続けるのは陸攻のような機体にとって本当に難しい航法なのだと思います。
元陸攻操縦員 高橋淳(たかはし じゅん)さんによれば
『海面から3メートルから5メートルくらいの超低空を這うようにして近づいていく。・・・ 魚雷を発射したら、逃げる。そのとき、堪えきれなくなってすぐに上昇したら、間違いなく撃ち落されちまうよ。・・・ 低いところを飛ばすのは、ものすごく大変なんだ。神経が刻一刻とすり減っていくんだよ。ちょっとの操舵ミスで海にドボンだ。今やれと言われてもできないし、やりたくもないね。』※「おおぞら人生、俺流。」より
■ 店長様 私の地元に元一・・・
店長様私の地元に元一式陸攻の乗組員だった方が店主を務めるラーメン屋がありました。数年前に他界されましたが、ラーメンを食べながら、当時の回想を聞いたことに強く印象があります。
自費出版もされ、「針路0、日本列島ヨーソロ (海軍陸攻隊苦闘記)」という作品があります。
その方の機内での役割は、磁探による潜水艦の探索・攻撃だったということでした。本にも書いてありましたが、水面上高度約6メートルで飛行しながら、探索するということは、とてもじゃないが、1時間も出来ることではなかったらしいです。
この写真でもわかるように、水面ギリギリの飛行は戦闘機乗り以上に技を要することではないでしょうか。