“シャン陸”の名で親しまれた上海海軍特別陸戦隊
1896年(明治29年)、「日清通商航海条約」によって上海における租界開設の権利を得た日本は、アヘン戦争以降欧米列強3国(英米仏)が租界を形成していた国際貿易都市・上海へ進出しました。「日本租界」の設置は英米の反対により頓挫しましたが、多くの日本人が上海市街北東部「虹口」(ホンキュ)地区へ進出し、やがて同地区は「日本租界」と呼ばれるようになります。 一方中国では1912年(明治45年)の辛亥革命によって中華民国が成立、1920年代半ば以降、蒋介石が率いる中国国民党と中国共産党、地方軍閥による内戦抗争が激化します。上海周辺の情勢悪化を受け、居留民保護を担当する海軍は艦隊駐留に加え、鎮守府陸戦隊を特派するなどして列強国とともに租界警備に当りました。1928年(昭和3年)以降は約600名の上海陸戦隊が駐留する体制を取り、翌1929年(昭和4年)には日本租界北部に陸戦隊本部が建設されます。しかし「満州事変」(1931年、昭和6年)に端を発した日中衝突は翌年1月「第一次上海事変」へと発展、上海陸戦隊は国民党軍と初めて本格的に銃火を交え、空母(加賀、鳳翔)の航空支援を受けて、陸軍派遣部隊到着まで約1ヶ月間に渡り租界を守り抜きました。事変後、海軍は鎮守府から独立した唯一の常設陸戦隊 『上海海軍特別陸戦隊』 (2個大隊、約2000名)を新編成、日本人居留民の大きな信頼を得つつ、市街戦に特化した防衛部隊として増強されていきます。
「第一次上海事変」以降は共産党軍掃討に注力していた国民党軍でしたが、1936年(昭和11年)12月に突発した「西安事件」を契機に、蒋介石は国共合作・一致抗日へと舵を切らざるを得なくなります。そして翌1937年(昭和12年)、「盧溝橋事件」「通州事件」を経て日中関係が急速に緊迫化する中、遂に蒋介石は日本との全面戦争を覚悟して上海の日本租界攻撃を命令、8月に「第二次上海事変」が勃発します。守る陸戦隊約4千名に対し、上海周辺に集結した国民党軍は10倍超の約5万名、しかもその主力は1930年代前半より招聘していたドイツ軍事顧問団によって訓練され、ドイツ製火器を装備した国民党軍の最精鋭師団でした。しかし 8月13日に市街戦が始まるや、陸戦隊は残留邦人を学校・寺院などに避難させて不眠不休の防衛戦を展開、国民党軍の執拗な攻撃を10日間に渡って撃退し続け、日本租界を守り抜いたのです。23日、陸軍上海派遣軍が揚子江岸に敵前上陸して国民党軍との激戦が始まると、上海市内での戦闘は収束に向かいました。さらに11月には追加派遣の第10軍が上海南方・杭州湾に上陸するに至って国民党軍は南京方面へ後退を開始、陸軍部隊は追撃戦に入ります。しかし、これは8年に及ぶ日中戦争のプロローグに過ぎなかったのでした。 大東亜戦争末期においても4000名を超える兵員を保っていた上海海軍特別陸戦隊でしたが、終戦とともに国民党軍の手によって武装解除されています。 |
■ デザインコンセプト ■ | |
海軍部隊としては知名度の低い「上海海軍特別陸戦隊」ですが、その特殊な性格上(上海居留邦人の保護)決して忘れてはならない存在であると思います。今回は「シャン陸」の愛称で親しまれた同部隊の勇姿を残すべく、幅広い発想でデザインに取り組ませていただきました。Tシャツカラーはネイビーのみ。 | |
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「上海海軍特別陸戦隊」の特徴は、何と言っても市街戦に特化したその「装備」ではないでしょうか? ということで、同隊に配備された多様な機動車両の中から、ユニークな外見を持つヴィッカース・クロスレイ四輪装甲車と、連絡機動に活躍した九五式側車付自動二輪車、そしてベルグマン式短機関銃をピックアップいたしました。陸戦隊の歴史を描く意図で、隊員4名を含む各モチーフの年代はわざとバラバラに設定しております。 |
デザイン左から |
■ 信号兵(第二次上海事変、昭和12年)・・・ラッパ、双眼鏡(左腰)、筒型の手旗収納袋(右腰)は信号兵の携帯要具。背負っているのはベルグマン式短機関銃 ■ ヴィッカース・クロスレイ四輪装甲車(昭和7年、第一次上海事変)・・・茶褐色塗装と砲塔上面の白塗装、車体番号表記など、第一次上海事変当時の塗装を出来る限り再現しました。 ■ 水兵服の陸戦隊員(第一次上海事変以前)・・・冬季用濃紺水兵服に白脚絆、腰には弾薬盒(だんやくごう)を装備。手にしているのは着剣したベルグマン式短機関銃 ■ 九五式側車付自動二輪車と陸戦隊員(第二次上海事変以降)・・・上海陸戦隊では国産(日本内燃機製)の“くろがね”九五式側車付自動二輪車が多用されていたようなのですが、資料不足のため陸軍の九七式なども参考にして描いています。側車に掛かるのは11年式軽機関銃 |
■ ヴィッカース・クロスレイ四輪装甲車 ■
▲ クロスレイ装甲車2台の支援を受けて防御陣地を敷く海軍陸戦隊(第一次上海事変) ▲ 戦隊本部1階ガレージから出動するクロスレイ装甲車群(第二次上海事変) |
1920年代末から 日本租界に駐留するようになった海軍陸戦隊でしたが、当時の日本に国産装甲車はまだ無く、実用装甲車両の配備が緊急課題となりました。そこで海軍は、当時イギリスがインドなどの植民地警備に多用していた「ヴィッカース・クロスレイ4輪装甲車 M25型」の導入を決定、1928年(昭和3年)以降合計9輌が上海陸戦隊に配備されます。 装輪式のため障害物に弱い、装甲厚不足といった弱点もありましたが、市街戦が主だった「第一次上海事変」「第二次上海事変」ではその機動性・高速性を発揮して大いに活躍しました。
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日中全面戦争への最後の引き金となってしまった「第二次上海事変」(昭和12年8月)における特別陸戦隊の作戦風景を、写真資料や映画などを参考にデザインいたしました。 |
オープンエンド糸使用の袖口リブ付き長袖Tシャツ ■ 素材 : 綿100% 、6.2オンス 16/_天竺 (オープンエンド)■ カラー : ネイビー ■ 印刷手法 : 前面・背面とも = 濃色インクジェット印刷 |