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旧海軍「吉田浜飛行場」(松山基地)の残存掩体壕  2015/11/14

去る11月8日(日)、旧「三沢空」陸攻搭乗員さまに会うため日帰りで松山へ行ってまいりましたが
午前中はかねてより行ってみたかった旧海軍掩体壕の見学散策に当てました。

終戦直後 60基以上存在していたと言われる掩体壕ですが、時代と共に宅地開発が進み、現在確認できるのはわずか3基とのこと。これら掩体壕につきましては、先人好史家さまによる記録がネット上に多数存在しますが、今回主に参考にさせていただきましたのは2006年における状態を詳細に記録された以下のサイトです。お蔭様で場所も事前に確認でき、飛行場から徒歩で楽に到達することができました。本当に感謝しております。

■ サイト「掩体壕」
  トップ  
http://uroneko02.com/entai_top.htm
  松 山 http://uroneko02.com/entai_matuyama.htm


【 場 所 】


現存する3基はいずれも戦時中掩体壕が密集していたと思われる現「松山飛行場」滑走路南端周辺エリアに存在し、現住所では「松山市南吉田町」となります。南北に走る県道22号沿いに点在するこれら3基はそれぞれ距離も近く、一番離れている掩体壕,鉢でも直線距離は300mほどしかありません。「掩体壕」さまのサイトではこの3基以外に、過去に確認された2基の場所も明らかにされておりましたので、今回はそちらも確認してまいりました。

▲ サイト「掩体壕」さまの情報を元に再制作させていただいたマップです。 銑は現存する掩体壕。きイ呂つて存在していたとされる場所です。見ての通り松山空港からは非常に近く、十分に歩いて行ける距離でした。

【 左 】 昭和22年米軍撮影の松山飛行場周辺空撮画像に合わせてみますと、大体赤で囲んだあたりだと思われます。※あくまでも私の検証です。



【 残存掩体壕 3基の現状 】


■ 掩体壕
(愛媛県松山市南吉田町511番地 あたり)


「掩体壕」さまの2006年リポートでは、唯一内部まで入れる掩体壕だったのですが、今回行って見ると大きく変貌しておりました。掩体壕そのものはゆるぎなく存在しているのですが、ほぼ左半分が住居化されており人が住まれている様子。近くに寄ってみますと、内部から人の声が聞こえます。表札は無いものの扉横にインターホーンがありましたので、しばらく迷った末、押してみました。かなり迷惑そうなお顔で出てこられたお兄さんに事情を説明したところ、『 外から写真撮るのはいいいけど、中はあかん 』 とのこと。あくまで私の勘なのですが、どうやら中で麻雀をやっておられるようです。まさか・・・雀荘化?

▲ 県道22号をはさんで望見。中央に掩体壕の右半分が見えています。

▲ 近づいて見ると、なんと!左半分が住居化していました。

▲ 前部左半分は完全に閉じられ、正面には扉が。

▲ 壕の右半分はほぼ放置状態。

▲ 真横から見る。端部分が大きく削り取られています。

▲ 後ろより見る。後方スペースは完全に隣家のポーチと重なっています。



■ 掩体壕
 (愛媛県松山市南吉田町939番地 あたり)

県道22号をはさみ、掩体壕,遼明礁270mに位置するのがこの△任后ここは「掩体壕」さまの2006年リポートから全く変化がないようです。壕前面に住宅が建っているため内部はもちろん正面からの観察も困難な状況でした。ただし、住居裏側の小さな広場に回ると壕の後部がむき出しになっていますので触って確認することもできます。

▲ 壕の正面は住宅でほぼ塞がれています。

▲ お宅のお庭越しに見える右半分。かっての航空機掩体壕は車庫として使われている?

▲ 後方にからは十分に観察できます。

▲ 後方真後ろから。横には小屋が立っています。

なんとか壕内部を見学できないものか?と住居前をウロウロしていたところ、筋向いの家からおばさん登場 『 何してるのん?』 その眼差しは明白に不審者に対するそれでした。慌てて掩体壕を見に大阪から来たことなどを説明すると、おばさん曰く『 せっかく来たんやから、頼んで見せてもらったらええのんとちゃう?』 ということで、おばちゃんに背中を押され、インターホーンが見当たらなかったので何度か大声で叫んでみました 『 すみませーん、大阪からきた者ですが、掩体壕の見学をさせていただけませんでしょうか?』 ・・・ するとしばらくの後、2階ベランダにご主人様らしき方が現れて一言、『 中には何もないよ!勘弁してよ 』 ・・・ 『 誠に失礼いたしました。もう帰ります。』 そりゃそうだ。日曜の朝っぱらから家の前で叫ばれてはたまったものではありません。ふと横を見ると、さっきまで直近で見ていたおばさんの姿は影も形も無い。

次へ向かう道すがらたまたま出会ったお爺ちゃんに取材したところ、終戦直後には多数の掩体壕が残っていたこと、朝鮮から来た人たちなどが鉄筋を抜くために掩体壕を破壊して回っていたことなど、昔話を聞かせていただきました。



■ 掩体壕
 (愛媛県松山市南吉田町1020番地 あたり)

掩体壕△ら北東へ200m、県道22号沿いの最も分りやすいところに存在するのがこのです。ここも「掩体壕」さまの2006年リポートとほぼ同じ状態で畑の脇に鎮座していました。相変わらず倉庫として使われているようで、入口部はトタン板で閉鎖されているため内部を見ることはできません。が、壕全体の形状は十分確認できます。正面扉の横には「掩体壕」と書かれた看板が立てかけられていました。

▲ 県道22号から簡単に見つけられます。壕の背後には堂之元川が流れています。

▲ 正面は完全に閉じられています。

▲ 斜め後方より。

▲ かまぼこを2つ縦に連結した様な形状。

▲ 正面は全面的に塞がれているため、入口の形状はわかりません。何かの倉庫として使われているようです。

▲ 扉横に置かれた「掩体壕」と書かれた木製看板。いつからあるのだろうか?



【 未確認掩体壕の現状 】


未確認掩体壕
 (愛媛県松山市南吉田町624番地 あたり)

県道22号から一筋入ったところですが、ここは完全な住宅地でそれらしき痕跡は全くありません。この筋では子供たち数人が遊んでいたのですが、2度目に通りかかった時には明らかに疑惑の目?で見られていました。困惑していると、近くの家からおばさん登場。救い!とばかりにいろいろ質問してみましたが 『 ここに住んで20年ほどになるけど、そんな話は聞いたことが無い。』 とのことでした。

未確認掩体壕  (愛媛県松山市南吉田町624番地 あたり)

未確認掩体壕いら北へ約150mのところ。ここでもやはり何の痕跡も見つけることはできませんでした。「そこ」に建っている民家の方に情報を聞こうとインターホーンを押したところ、またまた怪しまれ?お婆さん(多分)と扉越しで会話する羽目に。『 昔はなんかあったように聞いてますけど、今はないです。』 とのこと。本当にご迷惑をおかけいたしました。



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ということで、現存掩体壕3基を確認することができました。
この3基の場所はすべて私有地であると思われ、現状においてそれぞれ活用(―撒錙↓⊆峺法↓A匕法砲気譴討い泙垢里如直ぐに撤去される可能性は低いとは思います。ただ老婆心ながら一番心配なのは、現在農地脇で倉庫?として使われている掩体壕でしょうか。22号沿いの好立地?ですし、新たな土地開発が決れば畑地とともに簡単に消去されてしまいそうな感じがします。かつては紫電改、紫電、彩雲などが格納されていたと思われる貴重な掩体壕、何とかその存在・形を残していただきたいのですが・・・。





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