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空母瑞鶴メモリアルTシャツ改 制作報告(3) デザイン完成  2014/11/04


本日よ〜やくデザイン完成、印刷所へ原稿を送りました。

取りあえず一安心。
が、今回は微妙なグラデーションがありますので、これからが大変かもしれません (- _ -;)
まずは色校正ですね。

瑞鶴Tシャツのイメージ

▲ イラストレーターのデザイン画像です。



ということで今のところ発売時期は不明ですが、おそらく12月に入ると思います。
今回は長袖も創りますのでどうかご期待くださいませ m(_ _)m

空母瑞鶴メモリアルTシャツ改 制作報告(4) 色校正完了  2014/11/13


本日、印刷所にて初校をチェックしてまいりました。
ありがたいことに大きな問題はなく、これから本生産に入ります。

リリース時期はなんとも言えませんが、遅くとも12月初旬までには発売できそうです。
どうかご期待くださいませ <(_ _)>



■ 前面 ( Z旗ワンポイント)

▲ 印刷所が気を遣って2種類出してくれました。使うのは金色文字の下のタイプです。
  旗表面の微妙な「影」もうまく出ています。

■ 背面 Aタイプ ( 艦橋シルエット)

▲ 黎明の空のグラデーション、見事に再現してくれました。当デザインの「黒色」はすべてTシャツ地色をそのまま活かしておりますので、実際の印刷面積はけっこう少ないのです。星々の中には南半球の代表的星座「南十字星」も描かせていただきました。(艦橋の真上あたり)


■ 背面 Bタイプ ( エンガノ岬沖海戦、零戦52型発艦 )

▲ 回転するプロペラの“存在感”が難しいと思っていたのですが、レイヤーを2枚重ねることで上手く再現してくれました。

紫電改操縦員の体験談 その1  2014/11/30


先週京都市内で行われた『 笠井智一海軍上等飛行兵曹の戦争体験を聞く会 』に参加させていただきました。

笠井さんと言えば紫電改で名高い「343空(二代)剣部隊」の数少ないご健在操縦員のお一人でありまして、
私のような“戦史好き”にとっては正に「ヒーロー」なのですが・・・よくご存知でない方もいらっしゃるかも知れませんので
僭越ながら以下に概略を書かせていただきます。



笠井智一(かさい ともかず)海軍上等飛行兵曹

大正15年3月生まれ(現在88歳)、兵庫県篠山出身

笠井智一上飛曹


■ 16歳で海軍航空隊に志願

昭和16年  
昭和17年01月
昭和17年04月
   18年05月

      10月
      11月
甲種予科飛行練習生第10期(甲飛10期)に応募、受験
合格通知届く
土浦海軍航空隊に入隊 (17歳)
予科練卒業
霞ケ浦航空隊千歳分遣隊での操縦員養成へ進む(第32期飛行練習生
飛行練習生教程修了
徳島航空隊 着任、戦闘機専修課程(延長教育)へ進む
※ 通常は最低半年を費やす延長教育であったが操縦員不足深刻化の折り、僅か20日余りの訓練で実践部隊配属となる。

■ 263空 ( 通称「豹」部隊 ) 〜 マリアナ、カロリンの戦闘

昭和18年11月
  




   19年03月
      04月中旬


      04月25日
戦闘機部隊 263空に配属となり、松山へ移動して戦闘機訓練を続行
※ 263空は来たるべき決戦航空兵力として前年7月に編成された大本営直轄「第一航空艦隊(一航艦)」を構成する一部隊であった。しかしマーシャル、トラック方面での戦況悪化は一航艦各部隊に錬成猶予を許さず、昭和19年2月、連合艦隊指揮下に入った一航艦に対してマリアナ進出が下令される。263空では2月21日に第一陣の零戦18機がテニアン島へ進出したが、23日の米艦載機との戦闘で壊滅的損害を出した。
香取基地より発進、硫黄島、サイパン島を経てグァム島へ進出
杉田庄一(すぎたしょういち)一飛曹、グァム島に着任
※ 204空時代ソロモン方面で死闘を展開した歴戦の兵・杉田の列機となった笠井さんは、以降343空(二代・剣部隊)まで厳しい指導を受けながら共に戦うこととなる。
笠井さん初空戦。グアム島上空でB24爆撃機を邀撃
※ 263空はグァム・サイパンを拠点にマリアナ、パラオ方面で奮闘したが、あ号作戦(マリアナ沖海戦)時には戦力の殆どを喪失。7月10日付で解隊となり、笠井さん、杉田さんを含む残存隊員はダバオ、セブ島を拠点とする201空へ吸収される。

■ 201空 戦闘306 〜 ヤップ島防空から比島航空戦へ

昭和19年07月
    


    07月中旬〜下旬



    10月下旬




    10月26日

    10月27日



    11月初旬
    11月初旬〜中旬

    11月30日
201空 戦闘306 に編入
※ ここで、同じくマリアナ方面で壊滅した343空(初代・通称「隼」部隊)から転籍していた分隊長・菅野直(かんのなおし)大尉と出会う。この後、笠井さんは343空(二代・剣部隊)に至るまで菅野さん、杉田さんとともに戦い続けることとなる。
菅野大尉指揮一個分隊の一員としてヤップ島へ進出、連日来襲するB-24爆撃機の邀撃に当る。7月20日の戦闘では甲飛10期同期生2名の体当たり自爆を目撃する。
※ 菅野分隊は連日来襲するB-24爆撃機に対して直上方攻撃を多用した果敢な邀撃戦を展開、多数機を撃墜破した攻により一航艦司令長官より表彰される。
零戦受領のため菅野大尉、杉田ほか数名とともに本土帰還
中島飛行機小泉製作所(群馬県太田市)に駐留して試験飛行などに従事
※ 笠井さんたちがフィリピンを離れた直後に「捷一号作戦」が発動され、10月19日、一航艦司令・大西瀧治郎中将は201空に対して海軍初の特別攻撃隊(特攻隊)編成を命じる。
菅野大尉指揮の空輸隊、マニラ北方・マバラカット飛行場に帰着。零戦による特攻が行われたことを知る。
午前中にニコルス基地へ移動。午後、菅野大尉指揮の特攻直掩隊に参加し、薄暮のレイテ上空で特攻機3機の突入を確認する。
※ 笠井さんたちが掩護したのは彗星艦爆4機編成(計8名)の「第二神風特別攻撃隊 忠勇隊」で、この中には甲飛同期の野々山尚一飛曹が含まれていた。
菅野大尉、特命を受けて内地帰還。横須賀で「戦闘301」再編成に着手
笠井さんを含む「戦闘306」甲飛10期生6名に本土帰還命令が下る。直ちに横須賀で菅野大尉の指揮下に入り、紫電11型による慣熟訓練を開始。
菅野大尉を飛行隊長とする新編「戦闘301」が正式に発足
※ 同隊は343空(二代)が編成されるまで形式的に252空所属とされた。

■ 343空(二代・剣部隊) 戦闘301 〜 新鋭機「紫電改」で最後の闘いへ

昭和19年12月下旬
      12月25日
昭和20年01月初旬




    03月19日


    04月上旬
       12日
       15日
       17日

    05月中旬
戦闘301、松山基地へ移動
343空(二代・剣部隊)松山で開隊
杉田上飛曹、戦闘301に着任
※ 343空各飛行隊は5月頃を目途に編隊空戦の錬成に励んだが、肝心の紫電21型(紫電改)の機数不足や燃料制限などによって訓練は思うように進捗せず、3月の時点で紫電改への機種改変を完了していたのは最も早く松山に進出した菅野大尉の戦闘301のみで、戦闘701、407はまだ紫電を一部残している状態であった。
松山上空大空戦(343空の初戦闘)
※ 杉田上飛曹の2番機を務める笠井さんは体調不良(下痢)のため参加できず、今も「生涯の不覚」と悔やんでおられる。
戦闘301主力、特攻掩護(進路啓開)のため鹿屋に進出
喜界島制空戦闘に参加、撃墜2機(不確実)の戦果をあげる
鹿屋基地にて杉田上飛曹機の墜落(戦死)を目撃
喜界島方面制空に参加するも出撃離陸時に原因不明の事故で墜落。
足を骨折するなど意識不明の重傷を負い、入院を余儀なくされる。
本隊復帰を果たし、再び喜界島方面制空戦闘に参加

その後も戦闘301で奮戦を続け終戦に至る。個人撃墜機数10機


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



簡潔にまとめるつもりだったのですが ・・・ やっぱり長くなってしまいました ( ̄ヘ ̄;)
ということで、笠井さんの講演内容につきましては次回ご紹介させていただきます。

瑞鶴Tシャツの発売は12月6日(土)です  2014/12/02


お待たせしております・・・かどうかは判りませんが(^^;
ようやく瑞鶴Tシャツの発売日が12月6日(土)に決まりました。

季節は一気に冬模様ですが、今回は長袖も創りましたのでどうかよろしくお願いいたします。



瑞鶴Tシャツの発売日は12月6日です。

▲ 2タイプの背面デザイン  【左】 艦橋シルエット 【右】 最後の闘い



紫電改操縦員の体験談 その2 2014/12/09


前回の日記では笠井さんの戦歴紹介だけに終わってしまいました。
今回はその講演内容について書かせていただきます。

講演の冒頭、笠井さんはこのように仰いました。
私は右翼でも左翼でも、もちろん軍国主義者でもありません。
上官の命令に従い、ただ無我夢中で戦った者であります。

若干16歳で自ら海軍航空隊に志願され、ひたすら国のために戦い続けた笠井さん。
戦闘ご経験者の談話は多くの刊行物等に紹介されておりますが、やはり生でお話を聞くのは「違う」と実感しました。
そして貴重な声を聞いた者は・・・それを他に伝える、または残す努力をする使命を帯びるのだと私は思います。

ということで、私の記憶に残る限り以下に書かせていただきます。
が、何分拙い記憶ですので・・・明白な間違い等があれば是非ご指摘いただきたく思います。
※ なお、以下の記述は私が記憶を元にまとめたもので、笠井さん本人の発言という訳ではありません。



■ 短かった徳島航空隊での延長教育

通常なら最低半年はかける延長教育(戦闘機専修)だったが、僅か20日余りの訓練で実践部隊(263空)配属となった。記憶では96式艦戦に2〜3回、零戦に5〜6回搭乗しただけで、当時の技量は離着陸が出来る程度。
そんな状態のまま実践部隊へ放り込まれた。

■ 初めての洋上長距離飛行

マリアナ方面への長距離飛行では、行けども行けども見渡す限りの大海原と雲だけで孤独を感じたが、
湾曲した水平線を見て、生まれて初めて「地球が丸い」ことを実感した。

■ 南洋に来た!

グァム島では椰子の木、原住民、モンキーバナナなど初めて見るものばかりで「南洋に来た」実感があった。
現地の物は勝手に収穫できないため原住民にタバコやお菓子を渡して取ってもらったが、椰子のジュースは最高に美味しかった。

■ 初空戦

グアム島でB-24を邀撃したが、敵機が大きかったせいか照準がうまくいかず、杉田兵曹にこっぴどく怒られた。

■ ヤップ島でのB-24邀撃戦

・ 大型爆撃機編隊を攻撃する際は先頭機を攻撃すると後続機の防禦火網にやられる可能性が高いため、
  編隊後尾のいわゆる「カモ番機」に狙いをつけ、これに全機で反復攻撃を加えるのが常だった。

・ 直上方背面攻撃は敵の編隊火網をかいくぐる最上の戦術だった。
  攻撃方法は難しく、恐ろしかったが、(菅野大尉に)「やれ」と言われたら、やるしかなく、覚悟を決めた。

・ 空戦中、甲飛10期同期生2名(冨田隆治一飛曹、松尾哲夫一飛曹)の体当たり自爆を機上から目撃したが、
  「かわいそう」「悲しい」といった感情は一切湧かなかった。
  「よぉし、やった!明日は俺がやったる!」これしかなかった。

■ 零戦受領のため本土帰還

中島飛行機工場(群馬県太田市)に並ぶ大量の零戦を見て喜んだが、ほとんどがエンジン未装備でガッカリした。完成した機体から順に試験飛行を行い、不具合チェック→修正を繰り返したが、調整作業は思うように進ます、
結局太田には10日ほど駐留したと思う。

■ 「第二神風特別攻撃隊 忠勇隊」を直掩

・ ニコルス基地からの出撃直前、特攻隊員の中に甲飛同期の野々山尚一飛曹を発見して言葉を交わした。
  「頼むで」「まかせとけ」といったごく短い会話だったと記憶している。

・ レイテ湾上空で特攻機の突入を確認した時、彼らへの同情は全く感じなかった。
  瞬間湧き上がってきたのは「よくぞやった!待っとれよ、次は俺の番や!」この意気あるのみだった。

・ 特攻を見届けた者の一人として
  「特攻隊の英霊に感謝の念を抱かない者は、日本人ではない。

※ この日笠井さんはお話されませんでしたが・・・杉田兵曹と笠井さんを含む戦闘306甲飛同期数名は特攻出撃を201空・玉井中佐(副長)に直訴しています。しかし願いは容れられず、後日帰国命令が下りました。

■ 本土帰還、横須賀で菅野大尉の指揮下に入る

・ 横須賀では当初、任務は「マル大」(桜花)の直掩だと教えられた。

・ 追浜で紫電11型による訓練に入ったが、ある日、黄色に塗装された紫電改が1機だけ配備された。
  搭乗してその高性能に感動するとともに「よぉし!これでグラマン(F6F)に勝てる!」と確信した。

■ 常に必勝の念で

戦争中、“日本は負けるかもしれない”などと考えたことはただの一度も無かった。
その一方、いくら墜としても次々にやって来る米軍の物量に対しては驚きに似た感情があった。
「いったい、どないなっとるんや?」

■ 杉田兵曹

・ とても豪快な人柄で「酒」も教えてもらった。

・ 列機を非常に大切にした人で、徹底した編隊飛行訓練でしごかれた。
  常々、杉田兵曹は列機に対してこのように言っていた。
  「俺について来い。敵機は俺が落とす。列機は俺と同様に射撃すれば協同撃墜になる。」

・ 喜界島制空戦闘で編隊からはぐれてしまい、その後F6Fと戦闘、敵2機は白煙を曳き急降下していった。
  単独帰投の後、急いで指揮所にて申告した。「ただ今帰りました。2機撃墜!」
  その直後、先に帰っていた杉田兵曹の怒声がさく裂した。
  「馬鹿野郎!あの2機は白煙を曳いてはいたが落ちてはおらん!墜ちたのを確認したのか!」
  司令の目前で2〜3発鉄拳制裁を受けたが、列機の動きを見ていてくれた杉田兵曹の凄さを実感した。

・ 杉田兵曹が山本長官機護衛零戦隊の1機であったことは戦後になってから知った。

■ もっと紫電改があれば!

紫電改は本当に優秀だったが、いかんせん機数が揃わなかった。
零戦のように大量生産が出来ていれば、もっと米軍を痛めつけることが出来たはず。


笠井智一上飛曹

▲ ありがとうございましたm(_ _)m 笠井上飛曹さま、いつまでもお元気で



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 



88歳になる笠井さんですが今もって益々意気軒昂、熱意に溢れたその語り口には本当に引き込まれてしまいました。
笠井さんの証言映像はネット上にいくつか存在しますが、NHKの戦争証言アーカイブスに13部に渡るロングインタビューが収録されています。是非ご覧くださいませ。

NHK戦争証言アーカイブス 笠井智一さんインタビュー

競馬場の風景  2014/12/11


去る日曜日、料理人時代の友人に誘われ、
生まれて初めて競馬場(JRA阪神競馬場)へ行ってきました。


JRA阪神競馬場


サラリーマン時代に麻雀を少々やっておりましたが、今はギャンブルには全く興味無しでして
今回ももちろん「見てるだけ」(^^;


JRA阪神競馬場


野球場、ゴルフ場などと同様、人工物ではあるものの
やはり「緑があって広大なスペース」は気持ちイイ。しかも馬が走る♪
ちょうど「瑞鶴Tシャツ」の商品ページをアップした直後で疲労困憊でしたが、、
お蔭様で大いにストレスを発散させていただきました。


JRA阪神競馬場


そして「競馬場」という場所はなかなか面白い。これはわかりました。
様々なタイプの人達が混在しているんですね。
一人で来ている玄人っぽいオジサン、デートがてら?のカップル、
真剣な表情の学生グループ、一喜一憂する5人家族、VIP席から見下ろす方々、などなど。
つまり、馬より人間の方が圧倒的に面白い。なんか江戸川乱歩のようになってきましたが(笑)
絵に描いてみたい「人間臭い風景」が其処彼処にころがっておりましたね。


JRA阪神競馬場



次回作は久々の「陸」カテゴリーとなります  2014/12/27


今年も残すところあと僅かとなりましたが、本年度はなんとか4作品をアップすることができました。
「3ヶ月1作品」を目標としておりますので、なんとかクリアですね ( ̄0 ̄;)

  1. 零式水上観測機「R方面航空部隊」Tシャツ(3月)
  2. ラバウル戦闘機隊Tシャツ(6月)
  3. 局地戦闘機「雷電」302空Tシャツ(10月)
  4. 「瑞鶴」メモリアルTシャツ(12月)

しかし、1年が過ぎるのはホント早いですねぇ
ショートランド島の椰子林をどう描くか悩みまくっていたのがつい昨日のように感じます。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


さて・・・現在構想中の次回作ですが
テーマは 第1次・第2次上海事変に於いて日本人居留民を守り抜いた
「上海海軍特別陸戦隊」(通称:シャンリク)です。

西安事件 → 盧溝橋事件 → 第2次国共合作・第2次上海事変 → 日中全面戦争 と続く流れは誠に複雑で、
スターリン独裁のソ連、蒋介石の中国国民党、毛沢東の中国共産党が深く関わっているだけにその真相は永久に日の目を見ないのかもしれません。表の歴史(結果)だけを見れば、ともに全面戦争を望まなかった日本と中国国民党は泥沼の戦いへと突入していったのです。

今回は、日中全面戦争の最終的な引き金となった「第2次上海事変」(昭和12年8月〜9月)における
上海海軍特別陸戦隊をモチーフとする予定です。

ポイントなるデザインアイテムは、
 ■ ヴィッカース・クロスレイ四輪装甲車
 ■ 九五式側車付自動二輪
 ■ ベルグマン短機関銃
などですが・・・
なんといっても上海租界の街並、その大陸感?をいかに表現するか、これが最大の難関でしょう(頭痛い)


上海海軍特別陸戦隊Tシャツイメージ画

前面デザイン用イメージラフのひとつです。 ※ 背面には上海市街での戦闘を描く予定

みなさま良いお年を  2014/12/31

いよいよ2014年も本日で最後となりました。

お買い上げいただいたみなさま、
励ましやアドバイス、コメント、お便り、歴史資料などを送ってくださったみなさま、
本当に、本当にありがとうございました。
来年も「Osabetty's」を続けていけるのも、ひとえに皆様方のお蔭でございます <(_ _)>


さて突然ですが、「Osabetty's」は来年6月で5周年(!)を迎えます。
いかなる状況に陥っても、最低5年間は続ける
これが開始当初の目標でしたので、どうにか達成できそうな見通しとなりました。
本当に感謝の気持ちでいっぱいでございます。

現在、その感謝の気持ちを「形」にしてお返しできないものか思案しているところでして、
「値引き」「送料無料」といった金銭的還元ではなく「オリジナルプレゼント」の方向で検討しております。

〜 などと大きなことを書いてしまいましたが・・・
売上規模は「納税義務免除の小規模事業者」の中でも底辺を彷徨っているような状況ですので、
予算的に果たして実現できるかどうか・・・今のところは「検討中」としか申し上げられないのが無念です ○| ̄|_


みなさまどうか良いお年を。
2015年が皆様にとって幸せ溢れる年になることを祈っております。


みなさま良いお年を



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