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紫電改操縦員の体験談 その1  2014/11/30


先週京都市内で行われた『 笠井智一海軍上等飛行兵曹の戦争体験を聞く会 』に参加させていただきました。

笠井さんと言えば紫電改で名高い「343空(二代)剣部隊」の数少ないご健在操縦員のお一人でありまして、
私のような“戦史好き”にとっては正に「ヒーロー」なのですが・・・よくご存知でない方もいらっしゃるかも知れませんので
僭越ながら以下に概略を書かせていただきます。



笠井智一(かさい ともかず)海軍上等飛行兵曹

大正15年3月生まれ(現在88歳)、兵庫県篠山出身

笠井智一上飛曹


■ 16歳で海軍航空隊に志願

昭和16年  
昭和17年01月
昭和17年04月
   18年05月

      10月
      11月
甲種予科飛行練習生第10期(甲飛10期)に応募、受験
合格通知届く
土浦海軍航空隊に入隊 (17歳)
予科練卒業
霞ケ浦航空隊千歳分遣隊での操縦員養成へ進む(第32期飛行練習生
飛行練習生教程修了
徳島航空隊 着任、戦闘機専修課程(延長教育)へ進む
※ 通常は最低半年を費やす延長教育であったが操縦員不足深刻化の折り、僅か20日余りの訓練で実践部隊配属となる。

■ 263空 ( 通称「豹」部隊 ) ~ マリアナ、カロリンの戦闘

昭和18年11月
  




   19年03月
      04月中旬


      04月25日
戦闘機部隊 263空に配属となり、松山へ移動して戦闘機訓練を続行
※ 263空は来たるべき決戦航空兵力として前年7月に編成された大本営直轄「第一航空艦隊(一航艦)」を構成する一部隊であった。しかしマーシャル、トラック方面での戦況悪化は一航艦各部隊に錬成猶予を許さず、昭和19年2月、連合艦隊指揮下に入った一航艦に対してマリアナ進出が下令される。263空では2月21日に第一陣の零戦18機がテニアン島へ進出したが、23日の米艦載機との戦闘で壊滅的損害を出した。
香取基地より発進、硫黄島、サイパン島を経てグァム島へ進出
杉田庄一(すぎたしょういち)一飛曹、グァム島に着任
※ 204空時代ソロモン方面で死闘を展開した歴戦の兵・杉田の列機となった笠井さんは、以降343空(二代・剣部隊)まで厳しい指導を受けながら共に戦うこととなる。
笠井さん初空戦。グアム島上空でB24爆撃機を邀撃
※ 263空はグァム・サイパンを拠点にマリアナ、パラオ方面で奮闘したが、あ号作戦(マリアナ沖海戦)時には戦力の殆どを喪失。7月10日付で解隊となり、笠井さん、杉田さんを含む残存隊員はダバオ、セブ島を拠点とする201空へ吸収される。

■ 201空 戦闘306 ~ ヤップ島防空から比島航空戦へ

昭和19年07月
    


    07月中旬~下旬



    10月下旬




    10月26日

    10月27日



    11月初旬
    11月初旬~中旬

    11月30日
201空 戦闘306 に編入
※ ここで、同じくマリアナ方面で壊滅した343空(初代・通称「隼」部隊)から転籍していた分隊長・菅野直(かんのなおし)大尉と出会う。この後、笠井さんは343空(二代・剣部隊)に至るまで菅野さん、杉田さんとともに戦い続けることとなる。
菅野大尉指揮一個分隊の一員としてヤップ島へ進出、連日来襲するB-24爆撃機の邀撃に当る。7月20日の戦闘では甲飛10期同期生2名の体当たり自爆を目撃する。
※ 菅野分隊は連日来襲するB-24爆撃機に対して直上方攻撃を多用した果敢な邀撃戦を展開、多数機を撃墜破した攻により一航艦司令長官より表彰される。
零戦受領のため菅野大尉、杉田ほか数名とともに本土帰還
中島飛行機小泉製作所(群馬県太田市)に駐留して試験飛行などに従事
※ 笠井さんたちがフィリピンを離れた直後に「捷一号作戦」が発動され、10月19日、一航艦司令・大西瀧治郎中将は201空に対して海軍初の特別攻撃隊(特攻隊)編成を命じる。
菅野大尉指揮の空輸隊、マニラ北方・マバラカット飛行場に帰着。零戦による特攻が行われたことを知る。
午前中にニコルス基地へ移動。午後、菅野大尉指揮の特攻直掩隊に参加し、薄暮のレイテ上空で特攻機3機の突入を確認する。
※ 笠井さんたちが掩護したのは彗星艦爆4機編成(計8名)の「第二神風特別攻撃隊 忠勇隊」で、この中には甲飛同期の野々山尚一飛曹が含まれていた。
菅野大尉、特命を受けて内地帰還。横須賀で「戦闘301」再編成に着手
笠井さんを含む「戦闘306」甲飛10期生6名に本土帰還命令が下る。直ちに横須賀で菅野大尉の指揮下に入り、紫電11型による慣熟訓練を開始。
菅野大尉を飛行隊長とする新編「戦闘301」が正式に発足
※ 同隊は343空(二代)が編成されるまで形式的に252空所属とされた。

■ 343空(二代・剣部隊) 戦闘301 ~ 新鋭機「紫電改」で最後の闘いへ

昭和19年12月下旬
      12月25日
昭和20年01月初旬




    03月19日


    04月上旬
       12日
       15日
       17日

    05月中旬
戦闘301、松山基地へ移動
343空(二代・剣部隊)松山で開隊
杉田上飛曹、戦闘301に着任
※ 343空各飛行隊は5月頃を目途に編隊空戦の錬成に励んだが、肝心の紫電21型(紫電改)の機数不足や燃料制限などによって訓練は思うように進捗せず、3月の時点で紫電改への機種改変を完了していたのは最も早く松山に進出した菅野大尉の戦闘301のみで、戦闘701、407はまだ紫電を一部残している状態であった。
松山上空大空戦(343空の初戦闘)
※ 杉田上飛曹の2番機を務める笠井さんは体調不良(下痢)のため参加できず、今も「生涯の不覚」と悔やんでおられる。
戦闘301主力、特攻掩護(進路啓開)のため鹿屋に進出
喜界島制空戦闘に参加、撃墜2機(不確実)の戦果をあげる
鹿屋基地にて杉田上飛曹機の墜落(戦死)を目撃
喜界島方面制空に参加するも出撃離陸時に原因不明の事故で墜落。
足を骨折するなど意識不明の重傷を負い、入院を余儀なくされる。
本隊復帰を果たし、再び喜界島方面制空戦闘に参加

その後も戦闘301で奮戦を続け終戦に至る。個人撃墜機数10機


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



簡潔にまとめるつもりだったのですが ・・・ やっぱり長くなってしまいました ( ̄ヘ ̄;)
ということで、笠井さんの講演内容につきましては次回ご紹介させていただきます。

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