相変わらず驚きの「関西零戦搭乗員会」 2016/06/13
去る土曜日、兵庫県西宮市でおこなわれました「関西零戦搭乗員会総会」に参加させていだきました。
相変わらず意気軒昂かつ記憶力明晰な元343空 笠井上飛曹さまは頼もしい限り。お話させていただくとすぐに判るのですが、上飛曹の魅力はなんといっても人間としての「素直さ」にあるのですね。ミーハーではありますが、ますます「ファン」になってしまいました。
さて、戦争ご体験者や海軍航空を愛する方々とのお話を通じて勉強させていただく関零会、今回の私的トッピクスは大体以下の通りでした。
■ 元343空 笠井智一上飛曹さまの講演
201空「戦闘306」時代の昭和19年7月、ヤップ島において菅野分隊がB-24邀撃に多用した「直上方背面攻撃」の詳細を模型なども使って丁寧にご説明いただきました。笠井さん自身は同攻撃を10数回敢行されたそうです。ヤップ島 最後の出撃となった7月24日、被弾不時着水ののちサメの徘徊する海を2~3時間泳ぎ続けて原住民に助けられた時の状況や、その原住民の方と戦後再会された逸話なども懐かしそうに語っておられました。そしてやはり強調されていたのは紫電改の優秀性です。零戦21型から52型、紫電、紫電改と乗り継いで戦い続けた笠井さんの実感としては、紫電改は最高で「これでグラマンに勝てる!」と確信されたとのこと。
手前味噌で恐縮至極ですが、敢えて言わせてください・・・「Tシャツにご注目!」 |
■ 元725空「桜花43乙型」搭乗員、尾上洲廣さま
本土決戦となった場合、比叡山基地から特攻出撃する運命にあった甲飛13期の尾上さま。2年前初めてお会いした時から毎回親しくお話させていただいておりますが、それには理由がありまして・・・実は尾上さまは私の叔父(故人)と旧制中学で同級生だったのです。今回は郷土史に寄稿された手記をわざわざコピーしてお持ちいただきました。弱冠17歳で死と向かい合う葛藤とはいかなる感情だったのか?ありがたく読ませていただきました。
【左】 尾上さんが725空配属となったのは昭和20年7月、比叡山基地への移動は7月20日頃だったとのこと。搭乗予定だった「桜花43乙型」はそれまでの母機発進型とは異なり、地上基地からカタパルト射出できるよう改造されたタイプで、ジェットエンジンを搭載して200km近い航続距離を持ち、射出実験にも成功して実戦機の量産体制への計画も進んでいたといいます。発進基地は比叡山のほかに房総半島(千葉県安房郡三芳村)にも整備されていました。 |
■ ガンカメラ映像試写会
米軍ガンカメラ映像の分析・研究で大きな成果を上げておられる「宇佐市塾」のご担当者さまより、最新の未公開映像を見せていただきました。未公開ゆえ詳細は書けないのですが、343空紫電改の喜界島空戦を皮切りに、桜花を空中投棄して不時着水する神雷部隊の一式陸攻、見事な機動で射弾をかわす佐世保空(父島派遣隊)の二式水戦などなど、まさに驚きの連続。
【左】上映時の様子です
ガンカメラ映像につき日本軍機の被弾シーンが多く、我々日本人にとっては悲痛映像オンパレードとなるわけですが、これらは空戦の真実をありのままに伝える「映像」であるが故に貴重な歴史資料たりえるのです。ですから、これらを瞼に焼き付けたうえで今、そして未来をどう考えるかが大切なのでしょうね。 |