震天制空隊(震天隊) その1 2013/06/22
戦史にその名を残す「震天制空隊」(震天隊)とは、どのような部隊だったのでしょうか?
今回以降、数回に分けてその経緯と概略を紹介させていただきましょう。
初回は、マリアナ失陥から空対空特攻編成までです。
■ B-29 マリアナ諸島に進出
昭和19年夏 マリアナ諸島を占領した米軍は、対日戦の決定打としてかねてより計画されていた超戦略兵器
B-29 による日本本土への大規模空襲作戦を実行すべく、その準備を一気に加速させる。対日空襲を担うのは米陸軍航空隊「第20空軍」(20AF)隷下の「第21爆撃集団」(21BC / 司令官:ハンセル准将 )で、インド・中国を拠点に作戦中の「第20爆撃集団」(20BC)から転配された「第73爆撃団」( 73 BW )の
B-29 約100機がその初期戦力だった。飛行場整備、人員・物資集積が進む中、東京方面への本格的空襲を前に、航法・爆撃訓練を兼ねたウォーミングアップとして、10月末~11月中旬にかけてトラック島、硫黄島に対し計6回に渡る小規模空襲が実施される。
一方11月上旬には、偵察型B-29 「F-13」 による関東地方への高高度偵察飛行が繰り返され、撮影された大量の航空写真を元に爆撃目標の精査・分類および優先順位の設定が進められた。
▲ 21BC司令官 ヘイウッド・S・ハンセル准将
軍需産業への精密爆撃に執着したが、ワシントンが期待する成果は上げられず、昭和20年1月に更迭される。
※ その後、後任のルメイ少将は都市無差別爆撃へ戦略変更することになる。ルメイが日本人から非難されるのは当然だが・・・B-29作戦に“即効的・破壊的効果”を強く要求する上層部(20AF司令官アーノルド将軍やルーズベルト大統領)の意向に従った~という側面も強かったと思われる。▲ テニアン島ノースフィールド基地をタキシングする
「超空の要塞」 群。恐怖を感じさせる光景である。
11月11日、20AFは初回空襲のターゲットを決定、これを受けた21BCはいよいよ作戦を発動する。
初回空襲予定日は11月17日、目標は当時「誉」発動機( 陸軍呼称:ハ45)を全力生産していた中島飛行機・武蔵製作所、攻撃方法は高度9000m以上からの昼間精密爆撃と決定された。
片道2300キロにおよぶ長距離作戦に帯同可能な掩護戦闘機はもちろん無いため、B-29の高高度性能と強力な編隊火網によって日本機の邀撃を一気に振り切る作戦であった。
■ 本土本格空襲迫る ~ 空対空特攻発令
すでに昭和19年6月以降、中国・成都から北九州・満州へ来襲するB-29群(20AF)と戦闘を交えていた日本陸海軍防空部隊は、“超空の要塞”の恐るべき性能をほぼ正確に把握しており、特にその優れた高高度能力は大きな脅威として認識されていた。しかし、11月1日、5日、7日、10日と関東上空 1万m超の高高度で侵入する偵察型B-29「F-13」を補足出来ず、防空部隊の邀撃力不足が露呈されることとなる。
特に7日は陸海軍計300機超の全力邀撃にもかかわらず 高度1万2000mの「F-13」には全く手が出せず、敵機は悠々と離脱していった。
【左写真】
偵察型 B-29 「F-13」 の1機、
「TOKYO ROSE」号
同機は昭和19年11月1日、初めて東京上空を飛んだB-29として有名。その機体名は日本の対米プロパガンダ放送「Zero Hour」の女性アナウンサーの一人で米兵から人気?があったアイバ・戸栗・タキノ女史に米軍兵士が付けたニックネーム「TOKYO ROSE」(東京ローズ)から取られている。機首には彼女を想像したイラストがノーズアートとして描かれていた。
高高度性能の鍵を握るのは「排気タービン過給機」(ターボ過給機)だが、この時点でアメリカより約10年遅れていた日本ではまだ実用生産に至っていない。2速過給機エンジンと酸素マスクで対抗せざるを得ない日本機にとって高度1万m超への上昇はほぼ性能限界に近く、個人の操縦技量によってかろうじてこなし得る「特殊飛行」と言っても過言ではなかった。こうした状況下の11月7日、高空戦の実情に無理解な参謀本部、防衛総司令部など陸軍中枢からの圧力を受けた関東防空を担う 陸軍 「第10飛行師団」 師団長・吉田少将は隷下5個戦隊に対し、各戦隊4機づつの空対空特攻隊選出を下令する。すなわち、
武装・防弾装備などを撤去した軽量機によって
B-29と同程度かそれ以上の高度まで上昇し、
「体当り」によって攻撃せよ~との指令であった。
この苛酷な特攻指令に対し、各戦隊ではほとんど全員が志願したと伝えられる(!)
任務の特殊性からある程度の技量優秀者を選抜せざるを得ないのだが、彼らは各戦隊にとっては貴重な中核戦力であった。そこで操縦者には 体当り後に脱出可能ならば落下傘降下による生還 が指示されたのである。
※ これより約1か月前の10月中旬、53戦隊(屠龍)ではすでに同様の体当り戦法が独自に考案され、希望者を
募っていたという。
簡単に「体当り」とは言っても、実践するには高度な操縦能力が必要とされる。まず高度1万mまで出来る限り短時間で上昇する必要があるが、エンジン快調機を駆る熟練者でも
40~50分はかかるのである。そして、空気の薄い1万mの高空では舵の効きがにぶくエンジン出力も
低下するため、上昇姿勢のままでの高度維持が精一杯となり、僅かな旋回機動でもたちまち数百m高度を失ってしまう。また、酸素吸入をしていても高高度における判断力低下は避けられない。つまりは“浮いているのがやっと”に近い状態なのだ。さらに、関東高空には時速200Km超の猛烈な
ジェットストリーム(偏西風帯の中の特に強い気流)が吹き荒れる。このような極限状況下で、自機より優速な敵編隊を目視索敵・発見し、敵の進路を瞬時に判断し、猛烈な編隊火網をかわしつつ、巧妙な機動で未来の「衝突位置」へと自機を誘導しなければならないのである。
「至難の業」とは正にこのことで、高度な操縦技量、強靭な体力・精神力に加え、「運」もまた重要な要件であった。
▲ 飛行第53戦隊・空対空特攻「千早隊」の二式複戦「屠龍」
金属板によって閉じられたという後部風防は見えないが、短く切断されたアンテナが確認できる。胴体側面には楠正成の子、正行の出陣歌からとった「鏑矢」(かぶらや)のマークが鮮やかに描かれている。
こうして「第10飛行師団」隷下各戦隊では特攻隊員4名が緊急選抜され、直ちに特攻専門機による 高空体当り訓練 が開始された。特攻専用機の軽量化は各戦隊がそれぞれ工夫をこらしたが、基本的に武装・防弾鋼板は
完全撤去されていたようである。なお、この時点ではまだ空対空特攻隊の統一名称はなく、各戦隊で自由に命名していた。
◎ 次回は、本土空襲と日本軍の邀撃、体当り隊の戦果などについて書かせていただきます。
※ 主要参考文献
● 「本土防空戦」(渡辺洋二、朝日ソノラマ、1997)
● オスプレイ軍用機シリーズ47「B-29対日本陸軍戦闘機」(高木晃治、ヘンリー・サカイダ)
● 「液冷戦闘機 飛燕」(渡辺洋二、文春文庫)
● 世界の傑作機「陸軍3式戦闘機 飛燕」(文林堂)
● 「双発戦闘機 屠龍」(渡辺洋二、文春文庫)
● 第二次世界大戦ブックス4 「B29」(サンケイ新聞出版局)
● 航空情報別冊「日本陸軍戦闘機隊」(酣燈社、1973) などなど
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コメント
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> 花吹山さま高温・高圧ガスにさらされ続ける排気タービンにマグネシウム合金とは、知りませんでした(驚)
軽量化優先で、排気タービン自体を一種の“消耗部品”として捉えていたのでしょうか?
アメリカはその工業力もさることながら、兵器量産に対する“割り切り”も凄いですね。
空恐ろしさを感じます。
■ 私がビックリしたのは、・・・
私がビックリしたのは、その排気タービンがマグネシウム合金製だったということです。軽量化を狙ったことだと思いますが、高温に弱いという弱点をうまく克服できたことも、当時のアメリカの基礎工業力と生産できるという経済力の差がはっきりと現れた一つだと思います。学徒動員で少年少女がこの液冷式エンジンを作ってたのと訳が違いますね。
作品が楽しみです。