次回作品は「赤トンボ」です 2012/11/06
操縦員の方の手記や伝記などを読んでおりますと、練習航空隊時代のエピソードがよく登場します。
どんな名人パイロットも全くの初心者からスタートしたわけですから、
練習航空隊での厳しい教育はまさにすべての操縦員の「原点」と言えるのではないでしょうか。
ということで、「赤トンボ」の愛称で軍部のみならず一般国民にも広く親しまれた「練習機」をテーマとすることにしました。
今回は海軍の「93式陸上中間練習機(K5Y1)」を取り上げますが、
戦前、その橙黄色(オレンジイエロー)塗装から「赤トンボ」と呼ばれていたのは海軍機だけではなく、
陸軍の「95式練習機」も同愛称で親しまれていました。
▲ 海軍 「 空技廠 93式陸上中間練習機 」 K5Y1 |
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最大特徴である 橙黄色 をうまく活かし、
今までとは一味違った作風?に挑戦しようと思っておりますが・・・毎度の如く苦闘中です Orz
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さて、すべての操縦員にとって初の単独飛行(離着陸単独)が感動的なものであったことは
想像に難くありませんが、その時、教員のいない機上で彼らはどのように喜びを爆発させていたのでしょうか?
個人的に興味がありましたので、以下にいくつかご紹介いたしましょう。
後席から練習生を棍棒でど突いて(愛のムチ)いた熱血教員も結構いらっしゃったと聞きますが、
それもこれも含め幾多の難関を乗り越えての初単独飛行ですから、喜びもひとしおだったことでしょう。
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坂井三郎 中尉 |
昭和12年4月 3式初等練習機 |
霞ケ浦航空隊 友部分遣隊 |
左真横に見える飛行場を、一人で眺めながら、嬉しさに顔面の筋肉がゆるむのを禁じ得なかった。そのときである、突然、私はなにを思ったか、思わず、 「バカヤロウッ!」 と大声でどなってしまった。なぜどなったか、私にもわからない。 ※ 「大空のサムライ」(坂井三郎、光人社)より引用 | |
西澤廣義 中尉 |
昭和13年9月 3式初等練習機 | 霞ケ浦航空隊 |
ついに一人で空に舞ったのだ。やがてじっとしておれなくなると、左手のこぶしを思いきり突き上げて、 「やったぞー! 俺はやったぞー! どんなもんだー! 俺はやったんだー! ばんざーい! ばんざーい!」 とあらん限りの大声で怒鳴ってやった。 ※ 「最強撃墜王」(武田信行、光人社)より引用 伝記小説につき真実は不明 | |
島川正明 飛行兵曹長 |
昭和15年 2~3月頃 3式初等練習機 | 筑波航空隊 |
まさに感動の一瞬である。 「ざまあ見やがれ、馬鹿野郎」 と、われを忘れて大声で叫んだ。 だれにも聞こえないのを幸いに・・・。 ※ 「島川正明空戦記録」(島川正明、光人社)より引用 |