激闘艦「瑞鶴」、その勇姿を残したい
対米英戦直前に完成した翔鶴型空母2隻、翔鶴、瑞鶴は大東亜戦争に於いて最も活躍した軍艦と言われていますが、おそらく異論を唱える方は少ないのではないでしょうか。 開戦劈頭の布哇作戦(真珠湾攻撃)を皮切りにラバウル攻略戦、セイロン島攻撃に参加して第一弾作戦に貢献し、第五航空戦隊(翔鶴・瑞鶴)で臨んだポートモレスビー攻略作戦(MO作戦)では海戦史上初の「空母 対 空母」航空戦(珊瑚海海戦)を展開しました。翔鶴・瑞鶴の攻撃隊は米空母レキシントン撃沈、ヨークタウン中破の戦果を挙げますが、翔鶴の被弾に加え飛行機・搭乗員を多数喪失したためMO作戦は中止の止むなきに至ります。 ミッドウェー海戦で主力空母4隻を喪失した後は、再編機動部隊「第三艦隊」の主力空母としてガダルカナル奪回作戦に従事、ソロモン海域で激闘を繰り広げます。第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦で米機動部隊を痛撃するも、虎の子搭乗員多数を失ってトラックへ後退。その後両艦は航空撃滅戦「ろ」号作戦に飛行機隊を派遣しますが、もはやソロモン方面の劣勢を挽回することはできず、戦闘の舞台は急速に内南洋・マリアナ方面へと移っていきます。 絶対国防圏を賭け、再建機動部隊で臨んだマリアナ沖海戦では遂に翔鶴が沈没、期待の重装甲空母・大鳳も呆気なく沈み、約一年をかけて養成した母艦搭乗員を一気に失った日本海軍機動部隊は事実上壊滅します。そして、生き残った唯一の正規空母・瑞鶴にはさらなる激闘が待っていました。 続く「捷一号作戦」(レイテ沖海戦)で連合艦隊は戦艦・巡洋艦部隊による乾坤一擲のレイテ湾突入作戦を発動、瑞鶴は3隻の軽空母(瑞鳳、千歳、千代田)とともに米機動部隊航空兵力を北方へ誘引する 囮(おとり)機動部隊(小沢治三郎中将 指揮) として出撃します。そして突入予定日の昭和19年10月25日、思惑通り早朝から米艦載機の波状攻撃を受けた日本空母4隻は激闘の末、任務を完遂してフィリピン北東沖にその姿を没しました(エンガノ岬沖海戦)。 開戦以来、ミッドウェイ海戦を除くすべての機動部隊作戦に参加し、帝国海軍機動部隊の盛衰とともにフィリピンの海底深く消えていった瑞鶴は、まさに大東亜戦争一番の激闘艦であったといえましょう。 |
【左】 653空戦闘詳報に残る「瑞鶴」最後の写真 左舷に大傾斜した甲板上、軍艦旗を降納して万歳三唱する乗組員たち。直後に「総員退艦」がかかり、彼らは海に飛び込みました。十数分後、瑞鶴は海中に没したと伝えられています。 囮(おとり)機動部隊の4空母には653空、601空の艦載機約70機が分散搭載されましたが、作戦目的は敵機動部隊航空兵力の吸引によって栗田艦隊のレイテ湾突入を容易化することにあり、最初から全滅覚悟の出撃でした。 |
今回は「瑞鶴」の多様な勇姿を残す狙いで「静」と「動」2タイプの背面デザインを制作いたしました。デザイン下部には瑞鶴の戦闘歴を英文で記しております。共通の前面デザインは連合艦隊伝統の決戦旗「Z旗」のワンポイントです。
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【タイプA】 黎明の艦橋シルエット |
【タイプB】 最後の戦い、零戦発艦 |
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瑞鶴に翻った最後のZ旗 帝国海軍伝統の決戦旗「Z旗」をワンポイントでデザインしました。大東亜戦争期、海戦における同旗の掲揚はわずか3回しかありません。1回目は真珠湾作戦時の旗艦「赤城」(※)、2回目はマリアナ沖海戦時の旗艦「大鳳」、そして最後が捷一号作戦(レイテ沖海戦)の機動部隊旗艦「瑞鶴」でした。エンガノ岬沖海戦で沈没する前日の昭和19年10月24日昼頃、攻撃隊発艦の際に掲揚されたと伝えられています。 敵に発見され、攻撃されることを目的とした囮(おとり)機動部隊旗艦に翻る「Z旗」・・・なんとも複雑な気持ちになってしまいます。日本海軍機動部隊の躍進を支え、その終焉を飾った最後のZ旗掲揚艦、空母「瑞鶴」に栄光あれ。 (※)この時「赤城」ではZ旗の代わりにDG旗(D→Gの順に並べて掲揚、Z旗と同意味で用いられる)を掲揚したと伝えられています。 |
■ Z旗(Z信号旗)とは ■
▲ 東城鉦太郎 画 『 三笠艦橋の図 』 |
「Z旗」とは、船舶同士の意思疎通に用いられる国際信号旗の一つで、アルファベットの「Z」に加え「タグボートがほしい」といった意味が定められています。その一方、「Z」がアルファベット最終文字であることから“この戦に敗れれば後がない”との決意を込め、海戦時に用いられるようになりました。最初に「Z旗」を使用したのは英海軍のネルソン提督で、『英国は各人がその義務を尽くすことを期待する』という意味を込め、トラファルガー海戦(1805年10月21日)で掲揚されたと云われます。 日本海軍において初めて「Z旗」が掲揚されたのは、奇しくもネルソンからちょうど100年後に当る日露戦争の日本海海戦時(1905年5月27・28日)で、戦闘開始前、東郷司令長官の命により旗艦「三笠」に掲揚されました。当時連合艦隊が使用していた信号簿では「Z旗」は『 皇国ノ興廃、コノ一戦ニ在リ。各員一層奮励努力セヨ 』 の文言が割り当てられおり、秋山真之参謀の草案によると云われています。同海戦で大勝利を飾った日本海軍では、これ以降重要な海戦における「Z旗」掲揚が慣例化されることとなりました。 |
【 タイプA 】 黎明の空に浮かび上がる艦橋シルエット
【 タイプB 】「瑞鶴」最後の戦い、零戦52型発艦!
■ 英文コピー解説 ■
起工:1938年 5月25日 川崎造船所神戸
■1941年12月08日 真珠湾奇襲
進水:1939年11月27日 部隊編入:1941年 9月25日
■1942年01月20日~21日 ラバウル、ラエ攻撃
■ 04月05日~09日 セイロン島英海軍基地を攻撃
■ 05月07日~08日 珊瑚海海戦 / MO作戦
■ 08月24日 第2次ソロモン海戦
■ 10月26日 南太平洋海戦
■1943年04月 飛行機隊をラバウルに派遣
■1944年06月19日~20日 マリアナ沖海戦
■ 10月25日 エンガノ岬沖海戦 / 最後の戦い
魚雷7本、爆弾7発を受けて沈没。戦死843名
オープンエンド系のざっくりした風合いのヘビーウエイトTシャツ。リブはダブルステッチ
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