「 トトト・・・ 」 全軍突撃セヨ!
昭和16年12月8日、「布哇作戦(真珠湾攻撃)」における“第一撃”は、空母「瑞鶴」降下爆撃隊(99艦爆)による「ホイラー飛行場」への250kg爆弾投下であった可能性が非常に高いと考えられます。今回は歴史的ともいえるこれらの情景を、Tシャツ表・背の両面を使ってデザインさせていただきました。
▲ 炎上するホイラー飛行場。瑞鶴隊撮影の貴重な写真。
■ デザイン解説 ■
【 表 面 】 突撃下令「ト連送」(・・-・・)を発信する攻撃隊総指揮官・淵田美津雄中佐の九七艦攻
■ 機体は、攻撃隊総指揮官機として知られる中島九七式三号艦上攻撃機「A1-301」号機(空母赤城)です。
■ 中央偵察席の白鉢巻姿が淵田中佐です。自著によれば、中佐は発艦直前に整備員先任下士官より白鉢巻を贈られ、これを飛行帽の上から締めて出撃したとのこと。
■ 胴体下の爆弾は「九九式80番(=800kg)五号(=徹甲弾)爆弾」
■ 「Dec.8 1941 0319 AM」は淵田機がト連送を発信した日時(日本時間)として知られています。
【 背 面 】 突撃下令直後、ホイラー飛行場へ急降下を開始する空母「瑞鶴」九九艦爆隊
■ 中央の九九艦爆は、布哇作戦での写真が存在する空母瑞鶴搭載機「Ell-203」です。
■ 真珠湾攻撃で最も早かった瑞鶴隊のホイラー基地爆撃は「ト連送」(0319)の前に始まっていた可能性がありますが、ここではト連送受信直後という想定で1分後の「0320」と表記しました。
■ ホイラー基地の俯瞰描画は、真珠湾攻撃2か月前の空撮写真を元に、Google Earth画像なども参考にして描いています。