343空「戦闘407」初代飛行隊長
林喜重(よししげ)大尉を偲ぶ
紫電改精鋭部隊「343空」にその名を残す3人の初代飛行隊長たち・・・「知将」鴛淵大尉(戦闘701)、「猛将」菅野大尉(戦闘301)に対し、戦闘407・林大尉は「仁将」と評されることが多いと聞きます。普段は無口で物静か、責任感が人一倍強く、部下を深く愛した林大尉ですが、内に秘めた闘志は並々ならぬものがありました。そんな林隊長に敬意を表し、最後の戦闘となった昭和20年4月21日のB-29邀撃戦をテーマにデザインさせていただきました。
■ デザイン解説 ■
【 前面 】紫電改の正面シルエットと部隊名「343」をシンプルにデザインしたワンポイントです。
【 背面 】B-29に対し、直上方から攻撃に移らんとする林隊長機を想像で描いています。
■ 胴体の白帯2本は隊長機識別帯で、当日の林大尉乗機は「B 343-30」と記録されています。
■ B-29のディティールは、当日出水基地を爆撃した米陸軍航空隊 第21爆撃兵団・第313飛行団・第504爆撃集団( XXIBC,313BW,504BG )の塗装図を参考に描いています。
■ 和文ヘッドコピー「天 誅 剣 」は、戦闘407の隊名「天誅組」と343空の部隊名「剣(つるぎ)」を合体させて創作しました。林大尉の「執念」をなんとか表現したかったのですが・・・。
■ 林隊長最後の空戦 ~ 執念のB-29追撃
昭和20年4月 沖縄戦が勃発するや、海軍は沖縄周辺米艦艇に対し大規模な特攻作戦を開始します。一方、米軍は特攻機を陸上で破壊すべく、マリアナ基地B-29主力部隊による特攻基地への爆撃作戦を発動、4月17~18日の連続爆撃を皮切りに南九州各飛行場への大規模空襲が開始されました。
鹿屋に進出していた343空ではB-29攻撃法が検討されますが、自ら発案した「前上方背面垂直攻撃」を説く戦闘301飛行隊長・菅野大尉に対し、林隊長は“垂直に近い後上方攻撃”を主張して譲らず、大激論となりました。4月20日、両者は再び議論を交わしますが、珍しくムキになった林大尉はこう言い放ったといいます。
『 明日B-29を墜とせなかったら帰ってこない 』
喜界島方面の空戦で列機を失ったうえ、爆撃でも多数の戦闘407地上員を殺傷されていたこともあり、部下想いで責任感の強い林隊長のB-29に対する敵愾心は頂点に達していたのです。
翌4月21日早朝、200機を超えるB-29群が南九州に来襲、心中決意を秘めた林大尉を含む紫電改23機が国分基地を発進します。福山(現霧島市福山町)上空でB-29の一群を発見した林大尉は単機分離してこれを追撃、出水上空まで執拗な攻撃を繰り返しました。その後、単機行動中だった戦闘301・清水一飛曹機が加わって更に攻撃は続き、ついに林大尉は基地に向けて報告を送ります 『 B-29 1機 共同撃墜! 』
しかし、この時すでにエンジンに被弾し、垂直尾翼上部を破壊されていた林機は操縦不能に陥っていました。大尉は阿久根海岸沖へ不時着水を敢行しますが、落下増槽を付けたまま(あるいは落ちなかったのだろうか?)であったため機首から海面に激突、顔面を計器盤に強打した大尉は頭蓋骨骨折で即死してしまいます。30分に及ぶ追撃戦の末の壮絶な戦死でありました(合掌)