最後の直衛機 「大和ノゴ成功ヲ祈リマス」
1945年(昭和20年)4月6日、日本海軍最後の水上部隊として戦艦「大和」、軽巡洋艦「矢矧」と駆逐艦8隻からなる海上特攻隊が徳山沖を出撃、沖縄突入を目指しました。
【 デザイン解説 】 翌4月7日午前10時頃、海上特攻隊の前路対潜哨戒任務を終え、バンクしながら大和を見送る零式水上観測機(951空 指宿派遣隊)の姿を想像で描いています。早朝6時過ぎより上空を直掩していた第5航空艦隊の零戦隊は10時前に帰投しており、この零式水上観測機(通称"ゼロカン")が最後の直衛機と伝えられています。
航空援護皆無となった直後の10時17分、マーチンPBM飛行艇2機の接触を受けて早くも対空戦闘ラッパが鳴り響きます。その後昼過ぎから3次に渡る空襲を受け、14時23分、勇戦むなしく「大和」は転覆沈没。軽巡「矢矧」ほか駆逐艦4隻も沈められ、連合艦隊司令部はついに作戦中止を発令します。