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鹿児島報告(その3) 戦闘407・林喜重隊長 慰霊碑訪問  2012/05/08

去る4月21日、阿久根市折口の林隊長慰霊碑にお参りさせていただきました。
隊長が戦死されたのは昭和20年4月21日ですので、この日は67回目の祥月命日ということになります。

今回は林隊長の慰霊碑訪問のために鹿児島へ飛んだのですが、実はこのことを決めたのは4月に入ってからでした。 昨年末、林隊長最後の戦いをテーマにしたTシャツを制作して以来、漠然と「いつかお参りに」と考えておりましたが、日々の生活に流されて時間だけが経過していきました。そんな4月の初め頃、林隊長の御親族の方からTシャツの件でお問い合わせをいただき、お電話でお話をさせていただく機会がありました。
林隊長は生前、「桜のように潔く散るんだ」といった意味のことを語られていたとのこと・・・。「 御命日にお参りに行こう 」 このとき決意いたしました。

午前9時過ぎ、肥薩おれんじ鉄道「折口」駅 に到着しました。
慰霊碑の場所は先人方のブログ情報などから大体掴んでおりまして、キーワードは3つ、 「石船神社」「テレビアンテナ塔」、そして「バックネット裏」です。 つまり、「石船神社」「テレビアンテナ塔」の近くにグラウンドがあり、その「バックネット裏」に慰霊碑が存在するということですね。 さっそく駅の陸橋から北西方向を望見しますと・・・
あったあった!遠くに「テレビアンテナ塔」らしきモノが見えます!

▲ 肥薩おれんじ鉄道「折口」駅

▲ 中央右寄り方向にアンテナ塔が見えます

▲ やっぱり・・・「無人駅」でした

折口駅前の道を西へ向かいます。( 駅前には東西の道1本しかありません )
のどかな風景を眺めながら小さな石橋を2つ渡り、さらに行きますと信号付交差点「折口」に出ます。 この交差点は三叉路なのですが、左前方にやや細い道が出ていますのでこちらへ進みます。アンテナ塔はもう目前に迫っています。 ただ、こんなところに野球ができるような「グラウンド」があるのでしょうか?

▲ 道は1本、のどかな風景です

▲ このような橋を2つ渡ります

▲ さらに進みますと

▲ 「折口三叉路」 左側に見える坂道を登ります


細い坂道をしばらく登りますと、意外にも、車が何台も停まっている開けた広場に出ました。
目の前には「テレビアンテ塔」、右手には・・・こじんまりした「グラウンド」があるではないですか!
そしてここに慰霊碑への案内板が立っていました。

▲ アンテナ塔は目の前です

▲ 慰霊碑の案内板を発見


グラウンドに出ますと、地元のお年寄りの方々が大勢でゲートボールに興じておられました。
バックネットはちょうど反対側に見えるのですが、後方には木々が生い茂り、それらしき雰囲気はまるでありません。 しかし、ちゃんとここにも案内板が出ていました。

▲ちょうど反対側にバックネットが

▲ 左側のフェンスに案内板がありました

ちょっとドキドキしながらバックネット裏へ回りますと・・・
突加として視界が開け、舗装された小径が目に入ってきました。その先には慰霊碑らしきものが見えています。

▲ きれいに手入れされた小径です

▲ 慰霊碑が見えてきました

着きました!
先人様方のネット情報のお蔭で結構楽に到達することができました。
到着時刻は朝の9時20分、「折口」駅から徒歩12〜3分といったところでしょうか。

道すがら、誰か先人がいらっしゃるか?などと考えておりましたが、私が訪ねた時に人影は無く、慰霊碑は静寂の中にたたずんでおりました。 が・・・やはりというべきか!すでに林隊長の慰霊碑には新しいお花とご供物がちゃんとお供えされておりました。 しかも周囲は掃き清められたようにキレイで、屋外にありがちなゴミのようなものは何一つ見えません。 やっぱり「仁の人」は違うなぁ

低いコンクリート塀で囲まれた四角いスペースの中央に林隊長の慰霊碑、それを真横から見守るように2つの石碑板が並んでいます。 石碑の経緯 につきましては、碇義郎さんが「最後の撃墜王」(光人社)内で述べておられますので、以下に引用いたしましょう。

『 警備団員たちによって収容された林大尉の遺体は、氏名を確認したあと、海岸の松林の中で引き上げられた機体とともに火葬に付され、翌日、駆けつけた隊員たちに遺骨が渡された。
後日談になるが、その場所に地元の人たちの手で石碑が建立された。残念なことに、このことは生き残った部下たちに知られないまま、石碑はその後、生い茂るやぶに覆われ、訪れる人もなかった。
それから約三十年後、折口浜の石碑の存在を知った戦闘四〇七飛行隊分隊長 高牟礼春男大尉(飛行予備学生十三期、熊本県植木町在住)ら元部下たちの手で慰霊祭が行われた。その後、高牟礼らの発案で碑の周辺を整備するとともに、四〇七飛行隊全員の慰霊碑もあらたにつくられた。』

また、林隊長の石碑が造られる以前、その場所には「故林隊長弔火葬之跡」と記された木の墓標が立っていました。『源田の剣』(ヘンリー境田・高木晃治 共著)274頁にその写真が掲載されおります。



■ 林隊長慰霊碑 『 故林少佐戦死之地 』

▲ 台座正面には詩文を刻んだ石板がつけられております。後から加えられたものかも知れません。

▲ 台座側面には「火葬之跡」という文字


▲ 台座正面の詩文
隊長の故郷・鎌倉のことも詠われています


■ 左側の碑 ・・・ 林隊長と戦闘407および清水俊信上飛曹(戦闘301)の英霊を鎮魂する碑銘です。
                343空の沿革と4月21日の戦闘についても銘記されておりました。
                ※ 林隊長、清水上飛曹の37回忌御命日、昭和57年4月21日に右側の碑
                  とともに建立されました。

▲ 画像クリックで碑文詳細を表示します
  ※ 旧字・略字等を正確に再現するため「画像」に変換しました。


■ 右側の碑 ・・・ 戦闘407飛行隊英霊、ご生存隊員ご氏名、および碑銘建立にご尽力された方々のお名前が
                刻まれた碑文です。整備科の方のお名前もみえます。

▲ クリックで碑文の拡大画像を表示します

大切なものを守るために命を落とされた林隊長と戦闘407の皆様、清水上飛曹・・・ありがとうございました。
3つの碑銘を眺め、「形」として残すことの大切さを深く実感させていただきました。
碑銘建立にご尽力された皆様には敬意を表さずにはおれません。



○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○




帰り際 バックネットの方を見ますと、グラウンドの主はいつの間にかゲートボール軍団から少年サッカーチームに
代わっておりました。平和溢れるこの風景、林隊長もきっと笑顔で眺めていることでしょう




最後に、折口浜 へ降りて隊長機が墜落したと思われる方角を眺めました。

そうそう、折口浜といえば・・・
たまたま近所の商店(よろずやみたいな店)でお会いした ある「お婆ちゃん」からちょっと面白い話を聞かせていただきましたので以下に書いておきましょう。

■ 折口海岸は遠浅で、昭和30年代までは潮が引くと隊長機の一部が海面から顔を出し、浜からも確認できた。

■ 地元の子供たちは飛行機まで泳ぎ、機上?で一服の後、泳いで戻るという遊びに興じていた。

■ その後、機体引き揚げの話が持ち上がったが、予算が付かなかったのか、物理的に困難だったのか、結果的に作業は実施されなかったらしい。ただ地元の人の中には、「試みたが失敗した」と言う方もいる。詳しく知りたければ「南日本新聞」か「阿久根商工会議所」に聞きなさい。

■ 現在も機体は存在すると思うが、バラバラになり砂に深く埋まってる状態ではないか

■ 前阿久根市長の竹原さんはいい人だったが、根本的に狂っていた(・・・?!)

実は、前夜の天気予報は本日昼前から風雨で大荒れと伝えておりましたので、朝から不安だったのですが・・・
やや曇り気味ながら昼を過ぎても天は明るく、雨は一滴も落ちてきませんでした。これも隊長の仁徳のお蔭でしょうか?







★ 林隊長の慰霊碑へは肥薩おれんじ鉄道「折口」駅から徒歩15分ほどで簡単に行くことが出来ます。

コメント

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■  > I.S. さま    ・・・

 > I.S. さま    

お便りありがとうございました。
「343空」初代飛行隊長3人の内、
何故か一番気になるのが林隊長なんです。
理由は自分でもよくわかりませんが・・・

報国寺へはまだ足を運んでおりませんので
近いうちに必ず訪問したく思っております。
 
osabetty | 2012-07-17 00:39 |

■ 今年3月、母と報国寺の・・・

今年3月、母と報国寺の林隊長のお墓参りに行きました。阿久根は知合いの故郷ですが、訪れた事はありません。ご関係者の皆様の深い愛情を垣間見る事が出来てとても感動致しました。有難うございました。いつかきっと現地を訪れたいと思います。
I.S. | 2012-07-16 23:03 |
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