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鹿児島報告(その2) 「出水基地」跡  2012/05/04

4月20日午後遅く 肥薩オレンジ鉄道「出水」駅に到着後、
2kmほど西方にある 旧海軍出水基地跡 へと向かいました。

出水基地は、日中戦争拡大に伴う航空要員の大量養成を目的として、昭和12年に建設準備が始まり、昭和18年4月15日、練習航空隊「海軍出水航空隊」が設置されました。いわゆる予科練や、学徒動員された予備学生の操縦教育が開始されたのです。

昭和16年9月以降、在九州飛行場では「布哇作戦」(真珠湾攻撃)に備えた各航空部隊の猛訓練が行われていますが、出水基地には「第2航空戦隊」( 空母「蒼龍」「飛龍」基幹 )雷撃隊(97艦攻)が進出し、連日、訓練地・鹿児島湾へ向けて飛び立っていきました。

しかし、戦局悪化により作戦基地へと転用され、昭和20年3月1日、練習航空隊は朝鮮・光州へ移動し、宇垣纏中将率いる第五航空艦隊の、攻撃405、406飛行隊(新鋭爆撃機銀河装備)が配置されました。この両飛行隊及び全国各基地から飛来する特攻機によって壮絶な作戦が展開され、多くの英霊が当地より飛び立っていったのです(合掌)

林隊長率いる戦闘407 は昭和19年12月中旬からこの地で「紫電」による練成を重ね、翌20年1月26日、ダグラス輸送機3機に分乗して松山へ進出しています。




より大きな地図で 出水、折口一帯 を表示


同地一帯には戦闘指揮所地下壕跡、衛兵塔跡、掩体壕跡ほかの史跡に加え、戦後に発見・再建された「特攻神社」などが点在しているのですが、現地到着後すぐに日没を迎えてしまったため、この日は特攻慰霊碑のある「特攻碑公園」しか見ることができませんでした。

そこで翌4月21日、林隊長の碑へお参りしたのち、再び戻って散策を続行しましたが、この日は午後から天候が悪化、写真撮影のカメラ保持にも難儀するほどの「強風下」の見学行(徘徊?)となってしまいました。それでも執念で歩き回っておりましたが・・・最後には雨も降り始め、コンディションは最悪に。ついに午後3時過ぎ、誠に不本意ながら見学続行を断念いたしました。

ということで、すべての残存史跡や記念碑を巡ることが出来なかったのが残念ですが、以下にご報告させていただきます。


  ▲ 出水基地が存在した地域 ※ クリックで拡大画像

  ▲ 出水基地略図 ※ クリックで拡大画像




■ 特攻碑公園


「特攻碑公園」は旧出水基地の一角、現・出水市平和町にひっそりと佇む 小さな公園です。
当時の「戦闘指揮所地下壕」(通路約50mくらいか)がほぼ完全な形で保存されており、その地下壕の上に同基地より特攻出撃された英霊の慰霊碑 など、石碑が3つ建っています。

▲ 中央に見えるのが特攻碑。この地下に地下壕が広がっています。

また同公園はが有名で、例年4月第1土日曜日には「いずみ さくら祭り」が開催され多くの人出があるとのこと。英霊が散っていった時期も春ですから・・・毎年この時期に賑わうというのは嬉しいことです。私が訪問したのは4月20日でしたので桜の満開期は終わっていましたが、樹上に残る桜花と地面に多数散落した花びらのコントラストが何とも言えない雰囲気を醸し出しておりました。



□ 戦闘指揮所地下壕 跡


空襲を生き延びて残存する2か所の出入り口から自由に見学できます。かなり地下深くまで掘られており、非常にしっかりした造りでした。

▲ 地下壕入口

▲ 案内板です

▲ 入口には千羽鶴が

▲ 階段を降りると・・・さらに下へと続いています

▲ 左側に見えるのが戦闘指揮所入口

▲ 戦闘指揮所内部 結構広い

▲ 反対側から見た戦闘指揮所

▲ 指揮所を通過して階段を上ると別の出入り口へ出ます



□ 特攻碑 ( 碑文 : 阿川弘之 )


出水基地より出撃した特攻隊員の英霊を鎮魂する石碑として昭和35年に建立され、碑には阿川弘之氏の小説
『 雲の墓標 』 の一節が刻まれています。『 雲の墓標 』は特攻で散華する学徒出陣兵の生きざまを描いた小説なのですが、なぜここに碑文として登場するのかはよくわかりません。時間があれば一度調べてみたいと思います。

同碑下段には出撃隊員名が刻まれておりますが、出水市のHPでは以下のように説明されています。

『 200人以上と推定される出水からの出撃隊員のうち、確実に判明した60余名だけの氏名が刻まれ、
不確実なほかの百数十名については、残念ながら刻まれておりません。
当時の出水基地は、空襲下の混乱の中、全国の基地から、入れかわり立ちかわり飛んできては出撃する
という状況だったからです。 』

 正面から見た特攻碑
  『 雲の墓標 』 からの碑文は以下の通りです










▲ 反対側(碑陰)の碑文
「書」 は一瞬 高木惣吉 元海軍少将かと思ってしまいましたが・・・そうではなく、高木秀吉という鹿児島県の郷土詩人の方だそうです。



□ 慰霊碑 『 海軍航空隊出水基地 陸攻隊銀河隊 出撃之地 』


特攻碑の右側に建つ石碑で、昭和19年10月に出水で開隊した「763空」攻撃405・攻撃406及び、昭和20年4月同基地に進出した松島空・豊橋空の陸攻部隊の英霊を鎮魂する慰霊碑です。

「763空」攻撃405攻撃406は当時の新鋭機「銀河」を装備した陸爆隊で、出水基地で半月間ほど錬成の後、昭和19年10月下旬クラーク基地へ進出し、翌20年1月に台湾へ撤退するまで、フィリピン決戦唯一の陸爆隊として特攻を含む作戦に従事しました。その後「762空」に編入され、3月以降南九州に展開します。出水基地に展開した攻撃406は、3月19・21日に九州沖の敵機動部隊に特攻攻撃を敢行、さらに沖縄戦が始まると菊水3号作戦に参加し、4月16・17両日「第7銀河隊」「第8銀河隊」が喜界島方面の米艦隊に向けて飛び立っていきました。

松島航空隊(宮城)、豊橋航空隊(愛知)はともに開戦後に開隊された一式陸攻・九六式陸攻の教育錬成部隊でしたが、昭和20年4月、沖縄戦勃発に伴い実践部隊として出水基地へ進出、出水部隊陸攻隊として沖縄方面へ夜間攻撃を繰り返しました。

▲ 同公園の慰霊碑はすべて「南」を向いています

  ▲ 反対側の碑文




□ 慰霊碑 『 鎮魂 殉国の英霊 』


特攻碑の左側に建つ石碑 『 鎮魂 殉国の英霊 』 には、攻撃405、攻撃406の英霊名がびっしりと・・・。
あまりに多すぎて正確な数は確認できませんでしたが、両隊あわせて約650名近くのお名前が刻まれておりました!




◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


▲ 左:「出水海軍航空隊無名戦士墓」
  右:「 慰霊塔 櫓木山中に眠る十勇士の霊 」

▲ 特攻碑後方にあった「遺族献碑」

▲ 公園入口に残る「哨舎」(しょうしゃ)

▲ 戦後、出水近海の魚網にかかって引き揚げられた友軍機プロペラ



・・・・・・・・・  「特攻碑公園」はここまでです  ・・・・・・・・・





■ 掩体壕跡



「特攻碑公園」前の通りを南下すると県道373号に出ます。
ここを右折して西向きに10分ほど歩きますと、右側の畑の中にふたつの掩体壕を発見することができました。

一つは道沿いにあるため簡単に内部まで観察できましたが、もう一つは畑(私有地)のど真ん中に「島」のように孤立しておりまして、あいにく畑に人影は見当たらず・・・近寄って見るのは断念いたしました。

▲ 道沿いにあった掩体壕

▲ 爆撃によって開いた穴

▲ 案内板

▲ もう一つは畑の真ん中に・・・

「案内板」(平成14年記)の文言によると、掩体壕は3基残存しているとのことですが、あと1基は何処なのだろうか?




■ 滑走路の面影


「出水ゴルフクラブ」を横断北進し、のどかな風景を楽しみながら散策していると、一つだけ方向の異なる広い道路にぶつかりました。近くの工機会社の方に尋ねると、やはり旧滑走路または誘導路の名残りとのこと。

田畑が広がるこの辺り一帯は「東西南北」方向に道路が伸びているのですが、ここだけ妙な感じ?になっており、
通れば必ず気づきます。

左側(広い道)=斜めに走る旧滑走路の道  右側=南北に走る普通の道路




■ 特攻神社


「特攻碑公園」前の大通りを北に200mほど行きますと、右手に「特攻神社」の鳥居が見えてきます。

案内板には神社の由来などが以下の通りに示されておりました。

これを読めばわかる通り、ここは「史跡」ではなく「神社」なのですが、戦後45年を経て同じ地に建立された関係者のご尽力とその「由緒」を想えば、誠に深い意義を有していると言えましょう。

さて、境内で圧倒的な存在感を示すのは、南の空をにらむ特攻隊員立像「南方のかなた」です。大きいですね!
また、昭和19年8月 出水基地内に開隊した「出水第二海軍航空隊」の戦死者を鎮魂する石碑があり、その前には同隊の正門門柱が対で鎮座しています。

▲ 南空をにらむ巨大な特攻隊員の立像 『 南方のかなた 』

▲ 出水第二海軍航空隊の正門門柱

▲ 出水第二海軍航空隊「英霊之碑」



 まったくもって長々とした駄文となってしまいました。何卒ご容赦を (^^;
次回は「鹿児島報告」最終回、いよいよ 戦闘407・林隊長の戦没地と慰霊碑 をご紹介いたします。

コメント

[コメント記入欄はこちら]

■ > なつ0905 さま ・・・

> なつ0905 さま

勝ち負け関係なく、戦場で奉公した方々への「感謝」は万国共通の常識なのですが・・・
我が国の場合は「反戦」意識が強すぎるのか、変に目を背ける?傾向があり、これは非常に残念です。
公共予算で管理される戦争史跡が日本に少ないのも、間違いなくこのあたりの事情が作用していますね。

出水は私ももう一度行ってみたいと思います。
桜の時期に自転車で走ったら気持ちイイですよ、きっと!

 

osabetty | 2012-09-03 23:33 |

■ そうですか、、、軍艦旗・・・

そうですか、、、軍艦旗掲揚台は見つかりませんでしたか。看板には現存と書いてあるのに残念でしたね。気象観測所は残っているのかしら?

戦争遺構を訪ねた経験がなかったのですが、これほどまでにおざなりにされているとは知りませんでした。友人のお父上をはじめここに生きて生活していた方々がいた証として是非保存をしていってほしいものだと思うのですが。

出水は他の基地がある土地と違って鄙びた感じが良かったですね。私ももっとゆっくり歩いてみたかったです。
なつ0905 | 2012-09-02 05:20 |

■ > なつ0905 さま ・・・

> なつ0905 さま

嬉しいコメント、ありがとうございました!
出水基地跡周辺は好天なら結構清々しい散策エリアだと感じました。
自転車があれば最高ですね♪

ブログには書きませんでしたが、
案内板では「特攻神社」裏に存在するとされた「軍艦旗掲揚台」は発見できませんでした。
現地聞き込みを含め、執念で探したのですが・・・
もしかしたらすでに撤去されていたのかも知れません。
 
osabetty | 2012-09-01 23:42 |

■ こんにちは。はじめまし・・・

こんにちは。はじめまして。

とっても詳しい出水の航空隊基地跡のレポートに感激してメッセージさせていただきました。実はなつ0905も今年の3月にお父上が戦時中出水基地に少しいたことがあるという友人を伴って出水を訪ねたのですが、ここまで詳しい資料に目を通すことなく訪れたため、特攻碑公園と特攻神社を歩くのみで帰ってきてしまいました。私が行く前にこの日記があったならば!!!グーグルの地図に基地を重ねたあの資料、素晴らしいですね。これ、本当に行く前に欲しかった!ここが滑走路の名残かぁなんて思いながらゴルフ場を突っ切ったり出来たのになぁ。掩体壕もいまだ残っているだなんて知りませんでした。

突然で恐縮ですがまた色々勉強させてください。
なつ0905 | 2012-09-01 18:52 |
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