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戦闘407 初代飛行隊長・林喜重大尉 その1  2011/11/27

「343空」指令・源田大佐はその著書 『 海軍航空隊始末記 』 の中で、3人の初代飛行隊長それぞれの人物像に関し様々な記述をされておりますが、概略は以下の様な感じです。

    ▲ 源田實大佐         ▲ 鴛淵孝大尉         ▲ 菅野直大尉          ▲ 林喜重大尉

□ 戦闘701隊長・鴛淵孝大尉(海兵68期)

比較的おとなしく、性格温厚な好青年であるが、戦闘時には激しい闘志とともに先任隊長として殆んど文句のつけようの無い指揮誘導を見せた。そのため部下からの信頼も厚く、隊員たちは「この隊長とともに死す」ことを誇りに感じているようであった。

□ 戦闘301隊長・菅野直大尉(海兵70期)

性格は「やんちゃ」、勇猛果敢にして戦闘技量も抜群であった。常に自ら先頭に立って奮戦しながらも列機への気配りを忘れない希有な飛行隊長であったため、歴戦の老練パイロットを含む多くの部下たちを完璧に掌握・統率していた。

□ 戦闘407隊長・林喜重大尉(海兵69期)

温厚な鴛淵大尉、やんちゃな菅野大尉の中間の性格で、どちらかと言えば無口で地味なタイプであるが、非常な部下想いで隊員たちとの絆は親兄弟に近いものがあった。おとなしい半面、一度目標を決めたら梃子(てこ)でも動かない“芯の強さ”が持ち味だった。

これらはあくまで源田司令から見た印象ですが、当らずも遠からずといったところなのでしょう。


◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇


さて、本日より数回に分けて林喜重大尉の戦歴などを紹介していきたいと思います。
初回は「343空 / 剣部隊」に辿り着くまでの道のりです。


■ 林 喜重(よししげ ※)大尉

※「きじゅう」と読む方もいらっしゃるようです。本当はどっちなのでしょうか?

□ 1920年(大正9)7月17日、神奈川県鎌倉町浄明寺に生まれる。
□ 「鎌倉町立 第二尋常高等小学校」「神奈川県立 湘南中学校」卒業

■ 海軍兵学校(第69期)から戦闘機専修へ


□ 1938年(昭和13) 4月:「海軍兵学校」入校(第69期)
※鴛淵生徒は68期で1期先輩、70期の菅野生徒は1期後輩に当る

□ 1941年(昭和16) 3月:「海軍兵学校」卒業

□ 重巡「那智」乗組み、アモイ(現:中国福建省・厦門)・パラオ方面航海で実戦訓練、4月以降は重巡「摩耶」乗組み

□ 1941年(昭和16)11月: 「霞ケ浦航空隊」入隊 / 第37期飛行学生
   1942年(昭和17) 8月: 「大分航空隊」入隊 / 戦闘機専修飛行学生
   1943年(昭和18) 1月: 中尉任官
  〃   2月: 「大分航空隊」での戦闘機教程修

■ 「251空」( 旧「台南空」)配属、激闘のラバウルへ


林中尉は戦闘機教程修了とともに「251空」配属となる。 
「251空」とは、ラバウルから後退し豊橋で錬成中だった旧「台南空」で、副長・小園安名中佐が昇格して指令となっていた。ラバウル帰還組搭乗員の中には大野竹好中尉(海兵68)、大木芳男飛曹長、西澤廣義上飛曹、遠藤桝秋一飛曹、
山崎市郎平一飛曹などがおり、3月には「343空 / 剣部隊」で先任飛行隊長となる鴛淵中尉(海兵68)が分隊長として着任している。

□ 1943年(昭和18)5月    : 「251空」 ラバウル再進出
□      〃     5月14日 : 「251空」 初出撃 オロ湾在伯艦船爆撃隊直接援護

「251空」は零戦33機が出撃、「751空」陸功18機によるニューギニア・ブナ近くのオロ湾攻撃を直衛した。
実戦初出撃の林中尉は大野竹好中尉の第4中隊・第2小隊長として参加している。

◀ 1943年(昭和18年)5月中旬、ソロモン空域を編隊飛行する「251空」の零戦22型群。この編隊の中に林中尉もいたのだろうか?

この頃、ソロモン・東部ニューギニア方面ではいつ果てるとも無い航空消耗戦が続いていた。
4月上旬〜中旬、母艦航空隊(瑞鶴、瑞鳳、飛鷹、隼鷹)と基地航空隊合同による航空撃滅戦 「い号作戦」が4次に渡って実施されたが、連合軍に大損害を与えるには至らず、逆に航空機61機と零戦搭乗員15名を失った。( ※ 連合軍側の損失は航空機喪失17機だが、搭乗員戦死は3名であった )さらに4月18日、悲劇が起きた。ラバウルからブインへ前線視察に飛んだ山本連合艦隊司令長官機が待ち伏せ攻撃により撃墜されてしまったのである。

4月下旬、連合軍はガダルカナル島北西洋上のルッセル島に飛行場を完成させ、中部ソロモンに於ける日本軍の重要拠点ニュージョージア島・ムンダ飛行場への圧迫を強めはじめる。

これに対し第1基地航空部隊は中部ソロモンでの航空劣勢を打開すべく、「ソ」作戦および「セ」作戦を発動する。
第1次「ソ」作戦6月7日に実施され、80機を超える零戦隊がルッセル島へ侵攻した。

□   〃   6月 7日 : 第1次 「ソ」作戦 / 「251空」「204空」「582空」 零戦81機でルッセル島を攻撃

林中尉は「251空」第3中隊・第2小隊長として参加、初撃墜を記録 ( P-39エアラコブラ × 1 )
この日、零戦隊は13機と搭乗員9名を喪失する手痛い損害を被った。連合軍側の損失は戦闘機8機であったが、搭乗員喪失はゼロでる。またこの戦闘では「台南空」以来の強者・遠藤桝秋一飛曹が未帰還となり、「204空」柳谷謙治二飛曹は右手首に重傷を負いムンダに不時着している。
 


◀ 林中尉初撃墜の相手、ベル P-39 エアラコブラ
エンジンを操縦席後方に配置したいわゆる“ミッドシップ機”で、通常の翼内機銃に加えプロペラ軸内を通してスピンナー先端に37mm機関砲を装備する米陸軍期待の戦闘機であった。しかし排気タービンの装備に失敗したため中高度以上での性能(特に加速力)が悪く、零戦の脅威とはならなかった。1941〜44年までに9500機余りが製造されているが、大半はソ連軍に送られている。


□   〃    6月12日 : 第2次 「ソ」作戦 / 「251空」「204空」「582空」 零戦77機で再度 ルッセル島を攻撃

林中尉は「251空」第1中隊・第2小隊長として参加するが、発動機不調により単独帰還している。

□   〃    6月16日 : 「セ」作戦 / 「251空」零戦30機、「204空」零戦24機、「582空」艦爆24機、零戦16機で
                          ガダルカナル島ルンガ泊地の敵艦船群を攻撃

艦爆の強襲により商船2隻を撃破するも艦爆隊は出撃機半数以上の13機を失う大損害を蒙り、零戦隊も15機を失う。連合軍側の損害は戦闘機喪失6機、搭乗員5名であった。林中尉は大野竹好中尉(海兵68期)の第1中隊・第2小隊長として参加し、F4U、P-39と交戦している。
この日「251空」では、林中尉と海兵同期の香下孝中尉、操練14期のベテラン・大宅秀平中尉、「台南空」以来のエース・大木芳男飛曹長など7名が未帰還となり、「204空」では飛行隊長・宮野善治郎大尉(海兵65期、戦死後2階級特進で中佐)が行方不明となっている。

6月30日未明、ニュージョージア島ムンダ飛行場の対岸、レンドバ島へ米軍が上陸を開始すると、ラバウル航空隊は即日反撃を開始する。 『 ムンダを失えばラバウルは守れない 』 これが第1基地航空隊の認識であった。

□   〃    6月30日 : レンドバ島敵輸送船団攻撃 雷撃隊直掩

「251空」零戦24機は航空魚雷搭載の陸攻26機を直掩してレンドバ島の敵輸送船団を強襲したが、飛行隊長・向井一郎大尉、大野竹好中尉、さらに林中尉と海兵同期の橋本光輝中尉など貴重な基幹搭乗員を含む8名を失う衝撃的な結果となってしまった。陸攻隊の被害はさらに悲劇的なもので、出撃26機中、18機が撃墜されるという壊滅的損害であった。林中尉はこの攻撃には参加していない。

8月上旬ムンダ飛行場はついに連合軍の手に落ち、しぶとく防戦に務めていた陸軍歩兵229連隊はコロンバンガラ島へ後退、短期間のうちに拡張整備されたムンダ飛行場には米海兵隊の戦闘機隊が大挙進出した。これにより中部ソロモン喪失は決定的となり、航空消耗戦の主舞台はブーゲンビル島、そしてラバウルへと移ってゆくのである。

以降も「251空」はラバウル戦闘機隊の中核としてソロモンの空戦を戦うのだが、基幹搭乗員を多数失い、戦力は急激に消耗していった。

9月1日付けで「251空」は夜間戦闘機隊へと改編され、昼間戦闘機搭乗員は「201空」「204空」およびサイパンでの戦力回復を終えて9月上旬〜中旬にラバウル再進出が決まっていた「253空」などへ転属となった。
林中尉は鴛淵大尉、西澤上飛曹らとともに「253空」への転出命令を受ける。

□ 〃  10月 : 「253空」へ転出。分隊長拝命

圧倒的な組織兵力で中部ソロモン・東部ニューギニアへ侵攻する米軍を阻止すべく、ラバウル航空隊は全力出撃を続けたのであるが、まさに「寡衆敵せず」、精鋭戦闘機隊は急速に消耗していった。

林中尉は鴛淵大尉、西澤上飛曹らとともに過酷な戦闘をしぶとく生き抜いたのであったが・・・
「251空」「253空」の行動調書を眺めると、林中尉の出撃回数(基地上空哨戒含む)は50回を超えており、まさに「よくぞ生き残った!」という言葉しかない。※ 因みに「ラバウルの魔王」西澤上飛曹の出撃回数は60回を越えている(!)

□ 〃  10月末 : 鴛淵大尉と共に 「厚木航空隊」 転勤となり、「大分航空隊」発令の西澤上飛曹らと内地へ帰還

■ 本土帰還、戦闘407飛行隊長へ


この時「厚木航空隊」では9月に戦闘機専修を修了したばかりの菅野中尉を含む第38期飛行学生の戦闘機専修組が錬成に励んでいた。従って短い期間ではあるが、後の「343空 / 剣部隊」初代飛行隊長3人が奇しくも同隊に在籍していた可能性が高く、 ラバウル帰りの鴛淵大尉、林中尉が実戦未経験の菅野中尉を指導した可能性もゼロではないと思うのだが・・・?

その後「厚木空」が1944年(昭和19)2月に実施部隊「203空」に改編されると、3人は別々の部隊へと異動してゆく。

鴛淵大尉 → 「203空」( 旧 「厚木空」 ) 戦闘304・飛行隊長
林  中尉 → 「361空」 戦闘407 ・ 飛行隊長兼分隊長(後に「221空」に編入)
菅野中尉 → 「343空 (初代)」 分隊長
※ 実施部隊初配属

□ 1944年(昭和19)3月 1日 : 大尉任官

□    〃     3月15日: 「361空」 戦闘407・飛行隊長兼分隊長

香取基地(千葉県)で編成された戦闘407を率い、鹿児島基地で練成を開始。
新鋭戦闘機「紫電」装備の予定であったが機材受け入れは進まず、結局は零戦隊編成となる。
マリアナ失陥後の7月、戦闘407は2航艦麾下の戦闘機部隊「221空」へ編入され、次なる決戦地・比島方面への進出が迫ってきた。

■ 比島進出、レイテ決戦末期の航空戦に参加


□ 1944年(昭和19)10月23日 : 戦闘407は「221空」他3飛行隊とともに、台湾経由でルソン島アンヘレス基地(クラーク飛行場群のひとつ)に進出

この日から3日間に渡って繰り広げられた「レイテ沖海戦」に合わせ、遂に「神風特攻」も発動されるが米軍の反攻をくい止めることは出来ず、連合艦隊機動部隊は消滅する。残存海軍機は基地航空隊だけとなり、攻撃は特攻に頼るほか術が無くなっていった。

徹底的な敗北となった「レイテ決戦」の末期状況において、後の「343空 / 剣部隊」3人の飛行隊長はそれぞれクラーク地区を拠点に奮闘していたのだが、日々悪化・混乱を極める戦況下、広大なクラーク地区航空基地群の中で顔を合わせる機会は無かったと思われるが、果たしてどうだったのか・・・?

菅野大尉 / 「201空」戦闘306 飛行隊長 ・・・ マバラカット西飛行場  7月より比島航空戦参加、11月中旬頃本土帰還
鴛淵大尉 / 「203空」戦闘304 飛行隊長 ・・・ バンバン飛行場  10月22日進出、負傷により11月下旬本土帰還
林  大尉 / 「221空」戦闘407 飛行隊長 ・・・ アンヘレス 10月23日進出、12月、隊と共に本土帰還

林大尉は戦闘407を率い、機動部隊攻撃、レイテ進攻、基地防衛邀撃などを指揮。10月末にはホロ島に進出し、米軍がレイテ島タクロバン飛行場への戦闘機輸送拠点としていたモロタイ島に夜間奇襲銃撃を敢行するなど、末期状況の比島で苦闘を続けるが・・・12月、戦闘407は内地帰還命令を受ける。


■ ふたたび本土帰還、「343空(2代)」へ


□ 1945年(昭和20)12月上旬 : 戦闘407、笠ノ原基地(鹿児島)へ帰還

□     〃     12月中旬 : 他隊からの転勤者を加え出水基地(鹿児島)に終結、「紫電」による訓練を開始

□     〃     12月25日 : 「343空(2代)」編成される

□ 1945年(昭和20)1月26日 : 戦闘407を率い松山基地へ進出、「紫電改」での訓練を開始

12月25日の隊編成と同時にいち早く松山に進出した菅野大尉の戦闘301、鴛淵大尉が新任飛行隊長として1月8日に松山着任、中旬までに隊員集結を完了した戦闘701に対し、戦闘407の松山進出はやや遅れ気味であったが、このあたりの理由はよくわからない。松山基地側受け入れ態勢の問題であろうか?



▶ 次回は昭和20年3月19日の「343空 / 剣部隊」初実戦から、鹿屋進出までをご紹介します。

コメント

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■ > 見張り員様     ・・・

> 見張り員様    

いつもコメントありがとうございます!

「空中戦の怖さ」・・・私にも皆目見当がつきませんが、
撃墜される場合は「何が起こったのか理解する間もなく、一瞬でやられる」というケースが多かったと思われます。
何の前触れもなく突然訪れる死!
ある意味、こんな恐ろしいことはないですね(怖)

osabetty | 2011-12-07 23:57 |

■ すさまじい戦歴の皆さん・・・

すさまじい戦歴の皆さんですね。
しかし考えれば考えるほど、空中戦って怖いだろうなあと・・・
思いっきりシロウトな発言でした(-_-;)

新作のシャツを買いたいのですが今お金がないのでもうちょっとして金ができたら絶対買いますね!!

その節はどうぞよろしくです!!
見張り員 | 2011-12-06 21:49 |
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