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菅野 直(かんの なおし)を偲ぶ [その4:海軍兵学校4号〜3号生徒時代の逸話]  2011/05/08

343空・戦闘301飛行隊長として勇名をはせた菅野直(かんの なおし)大尉。
とかく勇猛果敢さがクローズアップされる菅野さんですが、どのような人物だったのでしょうか?
伝記『最後の撃墜王』(碇 義朗 著、光人社)の記述に基づき、その生涯をご紹介しています。

以下は『最後の撃墜王』の中で紹介されている兵学校時代の菅野さんのエピソードです。
個人的に印象にのこったものを出来る限り時系列に並べ変え、解説と私なりの感想を加えました。
今回は「海軍兵学校」4号〜3号生徒時代です。※『 』囲みは本書からの引用

■ 4号生徒時代 ( 昭和13年12月1日〜昭和14年7月26日 ) 菅野:2部14分隊

■ 入校日、分隊別に行われた恒例の「出身校姓名申告」で大いに絞られる。(昭和13年12月1日)

新入4号の“娑婆っ気を抜く”目的で行われる最初の行事がこの「出身校姓名申告」であり、
満を持していた「鬼」の1号による最初の“しごき”である。

『 ミヤギケンリツ カクダチューガッコウシュッスン カンノナオ!』

菅野の“角田訛り”に上級生から怒号が飛び交い、床を踏み鳴らす音が鳴り響く!
「聞こえん!」「日本語でやれ!」
必死になって何度やり直してもダメ出しを食らう。
4号全員が例外無く徹底的にしごかれるのだが、菅野はかなり「やられた」ほうであったらしい。

兵学校第66期 山田泰雄氏が作詞した「兵学校の三勇士」という軍歌(替え歌)がありますが、
その2番にこの「出身校姓名申告」の様が出てきます。お国訛りに苦しめられる?のも伝統だったようです。

その後就寝前、これまた兵学校名物の一つであった「就寝起床動作練習」が行われたのだが、
小柄で敏捷な菅野は問題なくこなしたと思われる。

■ 同期先任と対立

14分隊4号生徒の「先任」に指名された掘 吉行氏(39期飛行学生、昭和19年11月レイテ湾にて戦死)の
隊務振り分けが気に入らず、しょっちゅう口喧嘩をしていたらしい。

菅野 『 オレにばっかりいやな役をやらせやがって 』
掘  『 そんなことはない。とにかく決めたんだからやれ 』

上級生に文句は言えないが、同期には遠慮無かったようだ。

■ 居眠り常習犯

授業、訓練、隊務・・・心身ともに休まる時の無い4号生徒の自習室での居眠りは、ある程度容認されていたようであるが、それでも菅野はよく注意されていたらしい。背の低かった彼は教室でも最前列に座っていたため、座学時に睡眠を取れないハンディ?もあったようだ。

海兵_自習室

自習室の様子
前から4号、3号、2号、1号の順に座るため、
後ろから監視?される4号は気が抜けない。

■ 4号生徒を震撼させた「褌(ふんどし)事件」 (昭和13年12月26日)

入浴後に放置されていたという3本の褌(ふんどし)をめぐり、1号生徒が4号生徒全員を激しく叱責。

『 3本の褌がある以上3人の男がいるはずだ 』

あわや全員連帯責任で鉄拳制裁かという時に、4人の4号が進み出た。
3本の褌に4人の申告者!
この奇妙な展開にやや気を良くした1号?は怒りを収め、事なきを得る。(ただし個人的制裁はあった)
この時の菅野の行動は伝えられていないが、70期の仲間内では「褌事件」として深く記憶されているという。

■ 海兵恒例「厳冬訓練」 (昭和14年1月7日〜24日)

海兵訓練の年間計画は、まずに相撲などで足腰を鍛え、に水泳で柔軟性と肺を強化、に駆け足登山で鍛え上げたのち、もっとも過酷な「厳冬訓練」と早春の武道週間・短艇週間で仕上げるというものだった。
しかし、70期の入学は12月だったため、いきなり“もっとも過酷な”「厳冬訓練」に直面することとなる。

この時期は起床が30分繰り上がり(5時半起床)、短艇、柔・剣道、銃剣術などの早朝訓練が行われるのだが、基礎体力の無い4号にはやはり無理があったようで、風邪や凍傷などで体調を崩すものが続出し、なんと死亡者も1名出している。

菅野も一時風邪をこじらせて校内病室送りとなり、相当参っていたのでは・・・と思いきや、
明るさは相変わらずだったようだ。
この時、菅野と校内病室で一緒だった同期生徒・武藤敏雄氏(伊号第三潜水艦乗り組み)の回想。

『 風邪をこじらせた私は、訓練終了とともに校内病室に入室を命ぜられ、ガックリして独りもの想いにふけっていたとき、1日おくれて何かニコニコとして、さわやかな感じの患者が隣のベッドにやって来ました。・・・あとは風邪もどこへやら、ペチャクチャしゃべりまくりました。』

「厳冬訓練」締めくくりの「武道競技」では剣道でかなり勝ち抜いたらしい。
体ごと飛び込むように踏み込んで一気に技を決めるのが菅野の戦法で、得意技は「胴」であったという。
同期生徒は菅野の剣道についてこう語っている。

『 ハデというか思い切りがいいというか、スカッとした決め技だった。』

■ 同期生徒が回想する、4号時代の菅野

『 菅野直、若き海軍戦闘機隊のエース、最後の撃墜王などと読んだり聞いたりして久しい。
しかし、ざっくばらんに言わしてもらえば、私にそのイメージはピンとこない。
・・・色白で細身、いささか茶目っ気のある男だったという印象を持っている。
白晰紅顔の美少年といったところだろう。・・・まさか撃墜王になろうとは夢にも思わなかった 』

『 1号のときはかなり彼の個性がよく出て来たように思うが、
後年のあのがむしゃらな菅野君とはかなりかけ離れていた。・・・彼の印象を一口でいうと牛若丸。
やさ男で小柄だったし、それでいてすばしこく戦争にもつよかった・・・
器械体操が抜群にうまく、相撲も強かった 』

型にはまった海兵教育の中で、在校中に突出した個性を発揮する者は非常に少ない。
菅野は随所に個性を発揮していたようではあるが、卒業後の活躍を予感していた者は皆無だったようだ。

■ 「飛行作業見学」 (昭和14年3月29・30日)

呉・大分の両航空隊の艦爆や戦闘機が兵学校上空で模擬空戦デモンストレーションを繰り広げ、
生徒はこれを地上から見学した。カッコイイこと好きの菅野の心が躍ったことはまず間違いない。

『 おそらく菅野なんかはすごく感激しただろう 』 とは、同期生徒の推測である。

■ 相撲稽古で本領発揮? (昭和14年6月)

剣道同様、体の大きな相手に対しては素早く懐に飛び込み、足を取って倒すという戦法で活躍。
カッコ良く勝つことが好きだった一方、“勝つためにはなりふり構わず”といった負けん気の強さも見せている。

■ 酷暑日課の水泳訓練 (昭和14年7月4日〜9月2日)

夏期休暇をはさんだ約2か月間の訓練はほとんどが水泳にあてられた。
中学時代、阿武隈川の濁流?で鍛えた菅野にとっては楽しい季節であったろう。

水泳が苦手だったある同期性は、その頃の菅野をこのように語る。

『 泳ぎの上手なものにとっては、午前のみ授業、午後は半分が水泳の訓練、
あとの半分は午睡や自由時間という兵学校の夏の生活は快適だったのだろう。
東北なまりで元気にしゃべる彼(菅野)をうらやましく思った 』

■ 1号生徒(67期)卒業 (昭和14年7月25日)

■ 70期、2学年(3号生徒)へ進級 (7月26日)

■ 3号生徒時代(昭和14年7月26日 〜 昭和15年8月6日)

■ 「鉄拳クラス」68期の徹底修正を受け、硬派タイプに? (昭和14年8月〜11月)

3号生徒となった70期だが、新入4号生徒(71期)は12月まで入ってこない。
この間、3号でありながら相変わらず最下級であった70期に対し、
新1号となった「鉄拳クラス」68期が大いに猛威をふるったようだ。
こうして菅野の70期はジェントルマン67期と鉄拳68期という、「軟硬両方」の指導を受けることになり、
そのせいかこの期には両タイプの人柄が出たらしい。
菅野はどちらかと言えば鉄拳クラスの影響を強く受けたようで、1号の時は下級生を盛んに殴っていたという。

■ 鴛淵生徒(68期)との接点は?

菅野と鴛淵は在校中、同部編成になったことはなかったようであるが、
入学初年度、菅野は2部14分隊、鴛淵は4部16分隊であり、
これは自習室が2つ置いた隣り合わせであったことを示している。
従って、菅野は鴛淵の存在を間違いなく知っていたはずだが、どのような印象をもっていたかは不明である。

海兵分隊

この頃、鴛淵は早くも人格者としての存在感を醸し出していたようで、
菅野の同期生の多くが2期先輩・鴛淵の印象を以下の様に語っている。

『 68期の中には鴛淵(孝)さんのようにほとんど殴らない人もいた。(中略)
スラッとしたジェントルマンだったことを憶えている 』

『 鴛淵さんは殴らずに身をもって範をたれた。(中略)
海軍士官はジェントルマンであれというイギリス海軍のよき伝統を受け継いでいたように思う 』

『すこしも威張ることなく、ほとんど殴らなかったのでは 』

■ 初めての帰郷「夏期休暇」 (昭和14年8月1日〜21日)

名古屋在住の姉・かほるさんを訪ね2泊した後、角田へ帰郷。
友人たちとの再会で大忙しだったようだが、ちょっと近所に出る時でもわざわざ海兵制服に着替え、
短剣を下げて出掛けていたらしく、いかにも“カッコいいこと好き”な菅野らしい。

海兵_制服

◀ 兵学校生徒の短ジャケットと短剣姿は
当時の若者の憧れの的であったらしい。

友人や兄たちと海岸で1週間ほどのキャンプを計画するが、
まだ小学生で女の子という理由で両親から参加を許されなかった妹・和子(敬称略)は大泣き!
そんな彼女を菅野は独断でキャンプに連れていき、水泳を教えている。
真っ黒に日焼けして帰ってきた和子は周囲から
「女の子のくせに黒ん坊みたいでみっともない」
とからかわれて泣いていたそうだが、慰めたのはやっぱり菅野だった。
家族想いの菅野だが、自分とよく似た「勝気さ」を持つ和子には特に気をかけていたようだ。

■ すぐれた索敵能力を発揮

広島県原村(現在の西条町あたり)で例年行われる野外演習の際、菅野はその視力を買われて
夜間斥候」に選ばれることが多かった。
単に目が良いだけではなく、敵を早く発見する能力にも優れていたようで、戦闘機乗りとして大きな素質であろう。

海兵_原村演習◀ 「原村演習」
例年秋に実施された野外陸戦演習

■ 分隊編成替え (昭和14年11月18日) 菅野:5部・17分隊

12月の新入生入学に備えた分隊編成替えにより菅野は5部・17分隊となるが、これには理由があった。
多くの生徒が英語を選ぶ中、菅野はフランス語専修を希望していたためで、
学科の運営上少数派のフランス語専修者は第5部に集められたというわけである。
しかし、なんでまたフランス語なのだろうか。中学時代のフランス文学好きが影響していたのか?

■ 同分隊同期が回想する、3号時代の菅野

『 ものすごくはにかみ屋だった。顔もどちらかといえば女性的で、何でこの男が撃墜王かと思えるくらい。
からだも小さく、そんなにガッチリしたほうではなかったが、すごくすばしこかった 』

『 剣道が強く、・・・とうてい歯が立たず、口惜しい思いをした 』

■ 71期生徒入校 (昭和14年12月1日)

待望の下級生が入学し、名実共に3号生徒となる。
3号生徒は4号生徒を丁寧に指導する責任があるのだが、雑多膨大な隊務から解放された喜びは大きく、
もともと面倒見の良い菅野にとっては結構楽しかったのではないだろうか。
また今まで70期を殴りまくっていた「鉄拳クラス」68期も、新入生の前では殴らなくなったという。

■ 「鉄拳クラス」68期卒業、3学年(2号生徒)へ進級 (昭和15年8月7日)

◎ 次回は2号〜1号生徒時代、海軍兵学校卒業までの菅野さんの逸話です。

コメント

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■  >ダイバーさま 細か・・・

 >ダイバーさま

細かいところまでお読みいただき、感謝いたしております。
思い当たる個所を修正させていただきました。

osabetty | 2011-09-27 15:01 |

■ 海兵では「学生」とはい・・・

海兵では「学生」とはいいません。「生徒」といいます。「学生」は准士官以上の人。
万一海兵で「学生」といったら准士官等から選抜された「選修学生」をいいます。
「生徒」も一つの身分で下士官の上、准士官の下。
ダイバー | 2011-09-22 16:47 |
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