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「343空」紫電改、鴛淵隊長機の胴体帯について 2011/05/02

ようやく紫電改モチーフの新作Tシャツをアップいたしました。

今回は「戦闘701」飛行隊長・鴛淵大尉機をメインモチーフとしておりますが、
実は隊長機を示す胴体の「斜め2本帯」に関して、結構悩んでおりました。

■ 悩み その1・・・3月19日の空戦時、鴛淵隊長機に「斜め2本帯」はあったのか?

これは誠に基本的な問題でありますが・・・実は、答えは「ノー」でほぼ間違いないようです。
343空で胴体帯が描かれたのは、昭和20年4月に松山から鹿屋へ進出する直前だったというのが定説で、
それ以前のマーキングについての情報はほとんどありません。

■ 悩み その2・・・それでは、「斜め2本帯」無しでデザインするのか?

3月19日の空戦時、鴛淵隊長機に胴体帯が描かれていなかったことはほぼ確実ですが・・・
無印ではやはり「絵」になりません。鴛淵隊長機であることを示す「目印」がデザイン的に必要なんですね。
かなり悩んだあげく、史実には反するのですが胴体帯は描くことに決めました。

■ 悩み その3・・・鴛淵隊長機の帯は何色で描くのが妥当なのか?

「戦闘301」菅野隊長機の黄色2本帯は非常に有名で、これは事実です。
「戦闘701」鴛淵隊長機、「戦闘407」林(喜重)隊長機の帯色について明確な根拠となる情報は無いようですが、
ネット上では鴛淵隊長機=赤色、林隊長機=白色の模型画像が結構見うけられます。

ハセガワ紫電改

 ▲ 赤帯2本の鴛淵隊長機「C-343-45」。スピナー先端が白く塗装されています。

そこで、“343空情報辞典”とも言える 『 源田の剣 』 (ヘンリー境田・高木晃治 共著、ネコパブリッシング)
の登場となるわけですが、やはりマーキングについて分析がなされておりました。以下はその概要です。

源田の剣● 戦闘701分隊長・山田良市大尉によれば、

  帯は胴体日の丸の前に斜めに描かれていて、隊長機は2本、
  分隊長機は1本で、これは3飛行隊に共通していた。
  飛行隊長・分隊長以外の搭乗員の飛行機に帯マークが
  記されることは無かった。
  戦闘301隊長・菅野大尉機の帯は「黄色」であった。
  戦闘701・戦闘407両隊の帯色はともに「白色」であった。

● 戦闘701生存者の何人かが、
  分隊長マークは「白色」だったと記憶している。

● 戦闘301分隊長・松村正二大尉によれば、
  菅野隊長機の帯は間違いなく「黄色」だったが、
  分隊長だった自分の飛行機の帯色は思い出せない。

● ヘンリー境田氏の見解によれば、
  プラモデルの箱絵などに、鴛淵隊長の「C-343-45」機の2本帯が「赤色」で描かれたものがあったが、
  赤色はどの飛行隊にも使われておらず、これは明らかな間違いと断定できる。

● 鴛淵隊長機、林隊長機ともに写真は残っていない。

● 昭和20年7月24日の戦闘で鴛淵機を撃墜したと見なされているVF-49(空母 サン・ハシント)の
  ジャック・A・ギブソン中尉は、帰艦後、胴体に白帯を1本視認したと報告し、同飛行隊の戦闘報告に
  記載されている。

「源田の剣」著者であるヘンリー境田氏、高木晃治氏ほど343空について調査を行った人はいないと思われますが、
「帯」については 『 はっきりしたことを言うのは難しい 』 と結論的に述べておられます。

ここで余談を一つ ・・・
大日本絵画 『 日本海軍航空隊のエース 1937-1945 』 のカラー塗装紹介ページに、
「赤帯2本」で描かれた鴛淵隊長機が掲載されています。
この本は1998年にアメリカで出版された『 Imperial Japanese Navy Aces 1937-45 』を和訳したものですが、
著者はヘンリー境田さんなんですね。カラー塗装図はノータッチだったのかな?
因みに同書の日本初版は2000年1月。『源田の剣』(原題:Genda's Blade)は米日とも2003年8月初版です。


■ 結論・・・「赤帯」が間違いである可能性が高い以上、描くなら「白帯」が最も妥当?
         (結果的に白色しか選択肢がない)

ということで、誠に勝手かつ安直な判断ではありますが、
今回デザインでは鴛淵隊長機の胴体帯を「白色」で描いております。
 


 
この経緯を
お客様の1人で海軍兵学校最後の卒業生(昭和20年4月入校・78期)でもあるSさんにお話したところ、
全くの想像であるとことわられたうえで、以下のようなご意見をいただきました。
※ Sさんは海兵の先輩・鴛淵さん(68期)を大変尊敬されており、何度かお墓参りにも行かれておられます。

飛行隊が3つある以上、識別カラーも3色あったと考えるのが妥当であり、
菅野さんの戦闘301隊長機だけが黄色帯で他の2隊が同じ白色だったとは考えにくい。
赤色に塗る前の“下塗り”として一時的に白帯を描いていた可能性もあるのではないか?

Sさんは戦後、海兵卒業生の集まりで元343空司令・源田實さんに何度か会われています。
「その時源田さんに聞けば、何か判ったかもしれませんね」
能天気な私の質問に、Sさんはこう話されました。

大先輩の源田さんに対し、まぁ変な質問をする勇気はとてもありませんでしたし、
そのような質問をする「理由」を源田さんにどう説明すればよいのでしょうか?
「プラモデルが好きなのでお尋ねいたしますが・・・」なんて聞けないでしょ?
でも、あの時聞いとけば・・・という気持ちはありますね。

因みにSさんは筋金入りの現役モデラーでいらっしゃいます。


私の個人的な想像としましては、菅野さんの“目立ちたがり屋的性格”?を考慮した場合、
菅野隊だけが「黄色」で他の2隊が「白色」だったという状況はあり得たのではないかと思います。
つまり、当初は全隊「白色」の予定だったのだが、個性を主張したい菅野さんは独断で自分の隊=黄色と決めて
サッサと塗ってしまった〜という、これはもう完全な妄想ですね。
さらにこの流れで拡大想像すれば、もっと面白いことも思い浮かびます。


黄色を使っていたのは菅野さん1人だけだったのでは?(笑)

紫電改菅野機

コメント

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■  > ダイバーさま ご指・・・

 > ダイバーさま

ご指摘ありがとうございます<(_ _)>
修正させていただきました。

osabetty | 2011-09-27 14:45 |

■ 菅野直は海兵70期。40期・・・

菅野直は海兵70期。40期ではありません。
海兵は「入学」ではなく「入校」といいます。
ダイバー | 2011-09-22 16:39 |
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