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今年も快晴だった慰霊祭 2017/05/30

先日の予科練戦没者慰霊祭は日差しまばゆい快晴の元で挙行されました。今年で4回目ですが、すべて快晴。私の中では「予科練慰霊祭=暑い」の法則が確立されつつあります。そして「遺書朗読」では、今年もまた泣いてしまいました。身内に戦没者はいないのですが。 「俺は泣かんぞ」 周囲からすすり泣きが漏れ聞こえる中、必死に頑張るのですが・・・毎回徒労に終わります (T﹏T)

第50回予科練戦没者慰霊祭

さて、今年も関東在住の戦史研究家さま方や戦没者ご遺族さまと会うことができました。特に嬉しかったのは 昨年知り合った茨城県の戦史研究家さまとの再会で、慰霊祭終了後、土浦の喫茶店で4時間(!)に渡って戦史談義をさせていただくこととなりました。元々この方とは「南太平洋海戦」が縁で繋がったのですが、今回の主な話題は「特攻」です。
二度と繰り返してはならない特攻ですが、その「気運」は陸海軍のどの部署で、いつ頃から萌芽していたのか?そして如何にして計画・実施へと移されていったのか?特攻といえば大西中将が有名ですが、彼が「海軍特攻 生みの親」であったかといえば、それは正鵠を得ていません。大西中将は海軍で最終的に引き金を引いた人物に過ぎず、当然それまでに一定の醸成・準備期間が存在するのです。すでにマリアナ沖海戦以前から必死必殺兵器構想が軍部内に散在していたことなどを考えますと、これはかなり深遠なテーマでして、日本組織の責任所在不明確性や日本人独特の滅私奉公気質なども考慮に入れつつ 慎重に考察しなければならないでしょう。

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