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伊四〇〇の鐘?  2016/04/09


今回の「伊四〇〇型潜水艦 & 晴嵐」Tシャツのデザインに当りましては、幸運にも元「伊四〇〇」乗組員T機兵長さまを始め、『 伊四〇〇と晴嵐 全記録 』(学研)著者でいらっしゃる戦史作家Tさま、知る人ぞ知る伊四〇〇型研究家Mさまなど"恐れ多い"方々から貴重なアドバイスをいただき、日々恐縮していた訳ですが、お蔭様で面白い話を知ることとなりましたのでご紹介させていただきます。

先月初旬、ハワイ・オアフ島沖に沈む「伊四〇〇」の残骸から発見されたひとつの「鐘」の話です。



■ 「伊四〇〇」の残骸から青銅の鐘(Bronze Bell)が引き揚げられた。


戦史作家Tさまからメールをいただきこのニュースを知ったのは3月中旬です。鐘を引き揚げたのはハワイ大学の海洋調査機関HURL(The Hawaii Undersea Research Laboratory )で、同大学のニュースサイトには引き揚げ時の映像もリンクされておりました。さらに同記事では、この鐘は伊四〇〇の歴史遺物として真珠湾のボーフィン潜水艦博物館に展示されるであろうとの展望も紹介しています。

● 英文記事:Bronze bell recovered from World War II aircraft-carrying submarine off Oahu coast
引き揚げ映像(YouTube)

ハワイ沖の海底から引き揚げられた鐘

伊四〇〇残骸と発見された鐘の位置

日本における伊四〇〇研究第一人者・Tさまのご見識を持ってしてもこの鐘の設置目的については見当がつかないとのこと。そこで、研究家MさまとT機兵長さまに映像を見ていただき、ご意見を伺いました。


■ 「時鐘」(じしょう)?


研究家Mさまによる考察は以下のような感じでした。

伊四〇〇型の残存図面や写真から鐘は確認できないが、海軍艦艇の多くに装備されていた「時鐘」(じしょう)とも推察できる。「時鐘」であれば艦外(艦橋セイル周辺など)に設置されていた可能性が高いが、伊四〇〇が就役した昭和20年1月頃は時鐘を叩く余裕など無かったはずだし、潜航時には艦内収納の手間がかかるため、あくまで海軍艦艇の慣例装備品として艦内の何処かに安置されていたのかも知れない。その一方、本当に伊四〇〇の遺物なのか?という疑念は大いに残る。

この「時鐘」(じしょう)とはいかなるものなのか?以下は信頼できるサイトからの抜粋です。

時鐘 (じしょう) : 日本の護衛艦には、艦橋から出た左舷側に時鐘という鐘が下げられているのはご存知でしょうか?いまでこそ飾りになってしまっていますが、元々は実用品だったのです。 時鐘は、その船が就役している限り昼夜を問わず30分毎に当直員が鳴らしていたことからその船のシンボルであり、また船の魂、船霊(ふなだま)がこもり給うところとされています。イギリスの船ではこういった言われから船名ゆかりの個人や年からの献上品によって設置されることが多く、日本の自衛艦もこれにならって使用されないながらも今日の新造艦艇には厳粛に取り付けられ、また退役時には外されて防衛庁長官へ返納するしきたりになっています。また、帝国海軍時代は本来の目的で使用されていました。時鐘番兵というのがいて、30分計の砂時計で時間を正確に測り、転倒する度に鐘を鳴らして時を告げていました。鐘を鳴らす回数は当直時間ごとに最初の30分が1回、次の30分(1時間)で2回、というように鳴らし、それを何直何点鐘と呼んでいました(乗員も何時とか何時半とか言わず、同じように言うのが通例だった。) ちなみに打ちかたにも流儀があり、1点鐘はカン、2点鐘はカンカン、3点鐘はカンカン、カン というように、1点鐘以外は2連区切りというのがならわしで、さらに大晦日の年越しには行く年に8つ、来る年に8つの計16回を打ち鳴らすのだが、これに当たると良縁に恵まれるという言い伝えがあったらしく、こぞってみんなが打ちたがるので乗組員中の最年少者が打ち鳴らす習慣があったそうな。



■ 元乗組員さまはご記憶なし


T機兵長さまは昭和19年末、呉で「伊四〇〇」擬装員を命じられ、そのまま終戦後まで乗組まれた方ですので、艦の装備にはお詳しいはず。もしかしたらこの鐘について何かご記憶があるのでは?と密かに期待していたのですが・・・
実に明快なご回答をいただきました。

全く知らないし、見たことも無い。
仮に艦橋にあったとしても潜航の際艦内へ持ち運びが必要なので考えられない。

う~ん。元乗組員さまのご記憶には無い。しかし、海底に鐘はあった。
しかしこの時点では、「時鐘」の名残として艦内某所に設置されていたのでは?という想いがありました。なぜなら、伊四〇〇型は全長120mに及ぶ世界最大の潜水艦で乗組員数も150名以上、T機兵長さまの担当部署外の何処かに存在していた可能性は否めないからです。


■ 戦後、米軍が持ちこんだ?


その直後、戦史作家Tさまより意外な新情報が入りました。Tさまが数人のアメリカ人戦史研究者に問い合わせたところ、以下のような推測が示されたというのです。

アメリカ海軍は海上で敵艦を拿捕したとき、鐘を持ち込むのが伝統のようなので、伊四〇〇の場合も米海軍が戦後持ち込んだもののようだということで意見が一致した。その鐘の造りをよく調べれば、きっと日本製ではなくアメリカ製ということが判るはず。

米海軍にそのような伝統があったとは全く知りませんでした。伊四〇〇が仙台沖海上で米海軍に拿捕されたのは昭和20年8月27日。その後横須賀で再整備ののち米人クルーのみでハワイへ航海していますので、この間に米軍艦艇から持ちこまれた可能性が高いということなのでしょうか。



以上のような経緯で現在に至るわけですが、もちろん真相は不明です。
歴史の解明というのは慎重のうえにも慎重を要するものなのですね。この鐘の出自につきましては、是非材質チェックも含め、徹底検証をしていただきたいものです。

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