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ラバウル戦闘機隊Tシャツ デザイン機解説 ⑪ 802空 二式水戦 ⑫ 隼鷹 零戦21型  2014/05/28


「ラバウル戦闘機隊Tシャツ」デザイン機解説、本日は「802空」二式水戦空母「隼鷹」零戦21型 です。
これでようやく前面掲載の12機が終了、明日以降は背面デザイン機の解説に入ります。

なお、店長日記にも書きました通り、先日「色校正」が出ておりますので、
今回以降はTシャツの実物画像にてご紹介してまいります。




⑪ 802空 二式水戦

第802航空隊 は、ショートランドを拠点に「R方面航空部隊」として作戦していた14空 水戦隊 (本隊:マーシャル諸島ヤルート島イミエジ)が昭和17年11月1日付けで改称した部隊で、引き続きソロモン方面で船団護衛などに従事しました。

11月7日、F4F、SDBとの空戦で一挙に搭乗員5名を失い、健常搭乗員は松山英二上飛曹、大島新吉上飛曹の2名のみとなりますが、両名は健闘し、横須賀からの補充水戦隊が到着する翌18年1月中旬までの戦闘でP-38撃墜6機(不確実2機含む)を記録しています。

新搭乗員を迎えた後は主にブイン防空に従事しましたが、マーシャル諸島の本隊に戦闘機配備が少ないことから原隊復帰が決定され、昭和18年3月中旬、802空水戦隊13機は空路ヤルート島イミエジへ復帰しました。前身の14空水戦隊時代を含め、約4ヶ月に渡るソロモン方面作戦での戦果は、撃墜13機、共同撃墜1機、不確実撃墜8機、損失は13機、戦死7名と伝えられます。

その後802空水戦隊はマーシャル諸島、ギルバート諸島で哨戒活動を行いますが戦闘は無く、昭和18年10月15日付けで水戦隊は802空から削除され、トラック島の水偵隊902空へ編入されますが、翌19年2月17日のトラック空襲において可動8機をすべて喪失して壊滅、3月4日付けで902空から削除されました。

【 左 】 ショートランドの802空 二式水戦

昭和18年2月11日、ショートランドで撮影された山崎圭三中尉の二式水戦「NI-118」。

鉈(ナタ)を模した撃墜マークが特徴的で、同マークは新802空水戦隊が編成されたときに横山岳夫中尉が愛唱していた“ ざれ歌 ”の歌詞から発想されたものと言われています。

【 デザイン機解説 】
上の画像や多くの塗装図( ※ )などを参考に、昭和18年2月ショートランドにおける802空・山崎圭三中尉機、二式水戦「NI-118」を描いています。
( ※ ) 『 日本海軍戦闘機隊 』(2010年、大日本絵画 )251頁
     『 新版 日本海軍機の塗装とマーキング 戦闘機編 』(1998年3月、モデルアート増刊 )211頁
     『 航空ジャーナル別冊 太平洋航空戦 』(1977年3月、航空ジャーナル社 )125頁



⑫ 隼鷹 零戦21型


空母隼鷹 は、昭和17年7月、ミッドウェイ海戦後に再建された新機動部隊 第3艦隊において、飛鷹、龍驤とともに第2航空戦隊を構成しました。しかし、新機動部隊の飛行機隊はソロモン方面の海空戦で消耗を重ねることとなります。

昭和17年10月、飛鷹、瑞鳳(1航戦)とともにガダルカナル島方面へ進出し、戦艦「金剛」「榛名」のガ島砲撃を援護、26日の南太平洋海戦では3次に渡る攻撃隊を発進させてホーネットに最後の止めを刺しました。その後もトラック島を基点にソロモン方面で作戦し、陸軍部隊のウェワク輸送掩護、ガ島撤退作戦に参加の後、昭和18年2月、内地に帰投して飛行機隊の再編に入ります。

昭和18年4月、2航戦飛行機隊(飛鷹、隼鷹)は、1航戦飛行機隊(瑞鶴、翔鶴、瑞鳳)とともに全力でラバウルへ進出し、航空撃滅戦「い」号作戦に参加します。さらに米軍の中部ソロモン・レンドバ島上陸をうけ、7月初旬、2航戦飛行機隊はブインへ進出して8月末までレンドバ島方面への出撃を繰り返しました。この間の2航戦戦闘機隊の戦果は撃墜50機(不確実13機含む)喪失9機といわれます。9月1日、基地航空部隊の疲弊状況を受けて、在ソロモンの2航戦飛行機隊はラバウル方面で作戦を続行することとなり、「隼鷹」飛行機隊は解散して基地航空部隊へと編入されました。( 隼鷹戦闘機隊 → 204空、艦爆隊・艦攻隊 → 582空へ編入 ) この後、新たに隼鷹飛行機隊が編成され、シンガポールで錬成に入ります。

昭和18年11月以降シンガポールなどで再建に励んでいた隼鷹飛行機隊( 定数:艦戦24、艦爆18、艦攻9)は、翌19年1月末ラバウルへ進出。基地航空部隊とともに飛行機隊が総撤退する2月下旬まで死闘を繰り広げ、約70機撃墜の戦果を挙げますが、2航戦飛行機隊はほぼ壊滅状態となりました。一方、隼鷹は旧2航戦搭乗員を中心に再建された652空とともにマリアナ沖海戦へ臨むことになります。

【 左 】 「い」号作戦の空母「隼鷹」零戦21型

い号作戦中の昭和18年4月12日、ポートモレスビー攻撃のためラバウル西飛行場(ブナカナウ)を発進する一式陸攻と、出撃待機中の「隼鷹」戦闘機隊の零戦21型。マダラ状の応急迷彩が確認できる。

ラバウル方面の基地航空部隊ではガ島撤退作戦以降、零戦に対する暗緑色迷彩(上面ベタ塗り)塗装が始まっていたが、空母搭載機の対応は遅れており、い号作戦時には各空母ごとに応急的迷彩塗装が施されたと言われています。

【 デザイン機解説 】
昭和18年4月、「い」号作戦における空母「隼鷹」零戦21型を塗装図(※)などを参考に描きました。尾翼符号「2-2」は2航戦2番艦を示します。実は、当時「隼鷹」は2航戦1番艦であったとの記述も多数あり、かなり迷いましたが・・・今回は隼鷹=2航戦2番艦として描かせていただきました。符合下の細い横帯は小隊長識別帯です。機番号「128」は作者の想像で、根拠はありません。
( ※ ) 『 永遠の名戦闘機ゼロファイターの全貌 零式艦上戦闘機 』(2013年11月、「丸」編集部・編 ) 37頁





ラバウル戦闘機隊Tシャツ

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