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ラバウル戦闘機隊Tシャツ デザイン機解説  252空  神川丸 水戦隊  2014/05/20



連日続く 「ラバウル戦闘機隊Tシャツ」デザイン機解説、本日は252空と「神川丸」水戦隊です。



252空 零戦32型


第252航空隊 は昭和17年9月、元山空・艦戦隊が独立して館山で編成された定数60機の大戦闘機隊でした。

編成後すぐにラバウルへ進出、昭和17年11月から内南洋へ転進する翌18年2月頃まで約5ヵ月にわたり、ソロモン・東部ニューギニア方面で奮戦しました。ラバウル、バラレ、ラエ、ムンダの各基地を転戦して撃墜145機を記録しています(戦死16名)。

その後 昭和18年2月に内南洋防空を命じられ、逐次ウェーク島、マーシャル諸島方面へ移動。しばらくは本格的戦闘が無く、哨戒・錬成に励んだ252空でしたが、9月以降勃発したマーシャル方面航空戦で壊滅的打撃を受け、さらに昭和19年2月1日の米軍クェゼリン上陸に至って、タロア、ウォッゼなどに散在していた残存搭乗員はトラック島へ脱出、本土へ帰還しました。

【 左 】 「大刀洗平和記念館」の252空 零戦32型
昭和53年 マーシャル諸島マロエラップ環礁タロア島で発見され、日本で復元された機体。零戦32型唯一の復元現存機とされています。

【 デザイン機解説 】
上の画像、大刀洗平和記念館に展示されている252空 零戦32型「Y2-128」を参考にデザインいたしました。
部隊符号「Y2」は、昭和17年9月の編成以来、内南洋移動後の18年6月頃まで使用されていたとのこと。「Y」の意味は、ソロモン 〜 マーシャルでの激闘を指揮した初代指令・柳村義種大佐の頭文字を取ったという説もあるようです。



神川丸 二式水戦


特設水上機母艦「神川丸」 は、その水偵隊が日中戦争で3度の感状を受けて勇名をはせました。

大東亜戦争初期の南方侵攻作戦では、基地零戦隊進出までの“つなぎ役”として最前線で大いに活躍し、昭和17年6〜7月はアリューシャン方面で作戦の後、昭和17年9月、新鋭「二式水戦」水上戦闘機隊を搭載してブーゲンビル島南端のショートランドへ進出しました。

神川丸水戦隊はガダルカナル島奪回作戦を支援すべく編成された水上機隊「R方面航空部隊」の中核戦力として基地上空哨戒、船団掩護、ガ島爆撃などに連日奮戦しますが、零戦でさえ苦戦を強いられるソロモン空域での不利は避けられず、ついに11月7日、増援部隊上空掩護の際のF4F、SDBとの戦闘で「神川丸」水戦隊の搭乗員はゼロとなります。その後は補充も無く、12月7日付けで「神川丸」水戦隊は解隊となりました。

3ヶ月にわたるソロモン作戦での出撃回数は実に200回を超え、撃墜15機(不確実1含む)が報告されています(戦死、行方不明9名)

【 左 】 「神川丸」艦上の二式水戦
昭和17年8月下旬、ショートランドを目指して南太平洋を航行する水上機母艦「神川丸」艦上の二式水戦群。長期航海では定期的に行われていたという発動機試運転の様子。

【 デザイン機解説 】
ソロモンでの「神川丸」水戦隊、二式水戦 「YII−107」 の塗装図(※)などを参考にいたしました。 「R方面航空部隊」編成当時の部隊記号は、水上機母艦「千歳」飛行機隊=「 Y I 」、「神川丸」飛行機隊=「 Y I I 」 であったと思われます。
(※) 『 日本海軍戦闘機隊 』 ( 大日本絵画、2010年7月 )145頁







ラバウル戦闘機隊Tシャツ

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