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ラバウル戦闘機隊Tシャツ デザイン機解説  台南空  2空  2014/05/19


「ラバウル戦闘機隊Tシャツ」のデザイン機解説、2回目の本日は台南空と2空です。
全部で22機ありますので・・・まだまだ続きます(^^;


台南空 零戦21型



台南航空隊 は大東亜戦争直前の昭和16年10月、台湾南部の台南で編成された戦闘機隊で、開戦後は3空とともにフィリピン、蘭印(インドネシア)方面の制空権を確保して第1段作戦成功の立役者となりました。

昭和17年4月1日の改編で南東方面25航戦に編入され、4月16日までにラバウル進出を完了、現地の旧4空戦闘機隊を編入して活動を開始します。主力をニューギニア北東のラエに派遣してポートモレスビー方面への侵攻を繰り返し、4〜7月で撃墜246機(不確実45機含む)を記録しました。しかし8月7日、米軍のガダルカナル島上陸により南東方面の戦況は一変、台南空はラバウル〜ガダルカナル間を往復する長距離侵攻作戦に従事することとなります。長時間飛行による疲労、ガ島上空での限られた戦闘時間、優位な体制で待ち受ける敵戦闘機群などの悪条件に悩まされながらも、東ニューギニア戦線も含め、8月〜10月末までの3ヶ月間に撃墜201機(不確実37機含む)を記録しますが、台南空も開戦以来の精鋭搭乗員を次々に失い、定数の6割を超える32名が戦死しました。

急速に消耗した台南空は昭和17年11月1日付け改編で251空へ改称され、搭乗員は本土帰還し豊橋航空隊で再建に入りました。人員・機材を新たにした251空がラバウル進出を果たすのは翌昭和18年5月です。

台南空は多数撃墜者を輩出した部隊として知られ、西澤廣義、坂井三郎、奥村武雄、太田敏夫、笹井醇一、羽藤一志、岡野博ほか多くの名人が名を連ねています。

【 左 】台南空の精鋭たち
前列左より 太田敏夫一飛曹、西澤廣義一飛曹
後列左より 高塚寅一飛曹長、笹井醇一中尉、
        坂井三郎一飛曹
背景に花吹山が見えるのでラバウル東飛行場での1枚とわかる。この中で苛酷なソロモン航空戦を生き残ることができたのは坂井さん、西澤さんの2名のみ(合掌)


【 デザイン機解説 】

開隊以来、先任下士官として台南空の中心的存在だった坂井三郎一飛曹乗機のひとつとされる、零戦21型「V-107」を描いています。尾翼機番号の「V」は台南空の部隊符号。胴体の斜め帯は色によって識別されていた分隊区分、尾翼機番号上の帯は小隊長を示すと言われます。台南空に限らず、大戦初期の基地零戦隊では、感度の悪かった無線機を降ろしアンテナ支柱も切除した機体が多かったようです。




2空 零戦32型



第2航空隊 は昭和17年5月に横須賀で編成された艦戦・艦爆混成の特設航空隊です。

昭和17年8月6日、ソロモン諸島南方に位置するニューカレドニアおよびニューヘブリディーズ諸島(現バヌアツ共和国)方面に配備予定でラバウルへ進出しますが、直後の翌7日、米軍のガダルカナル島上陸によってソロモン方面の状況が一変したためラバウルに止まることとなります。2空装備の新型「2号零戦」(32型)は航続力が劣るためガ島作戦には投入できず、2空零戦隊は台南空の一部と共にラエ、ブナを拠点に東部ニューギニア方面の作戦に従事しました。9月以降ガ島攻撃に投入され始め、9月28日には使用可能となったブーゲンビル島北端のブカ基地へ全力進出、数次のガ島攻撃に参加します。

昭和17年11月1日付けの改編で2空は582空に改称されますが、同隊のソロモン方面での奮戦は続き、翌昭和18年にはブインおよび最前線のムンダに進出して米軍と死闘を繰り広げることとなります。

【 左 】 昭和17年末、ニューギニア東部ブナ基地で連合軍によって撮影された2空の零戦32型「Q-102」。

【 デザイン機解説 】

昭和17年末、連合軍に制圧された東部ニューギニア・ブナ基地に放置されていた2空の零戦32型「Q-102 / 報國-872」(上の画像参照)をデザインいたしました。「Q」は2空の部隊符号、「報國-872」の下の献納者名(方義錫號)は小さすぎるため再現できませんでした。同機の画像は戦史雑誌多数に掲載されており、大変有名な機体の一つです。






ラバウル戦闘機隊Tシャツ

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