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「飛龍」艦攻隊員の講演 2013/12/21


一昨日の12月19日、大阪市内で催された講演会 『 真珠湾攻撃の飛行士が語る 』 へ行ってまいりました。
お話をいただいたのは元空母「飛龍」艦攻隊搭乗員 城武夫( しろ たけお )さまです。


昭和9年、15歳で「海軍予科練習生」(後の乙種飛行予科練習生)に合格され、「霞ヶ浦航空隊」「大村航空隊」での飛行訓練を経て、昭和13年「第14航空隊」配属となり中国・広東省で初実戦(艦攻)、その後 巡洋艦「妙高」水偵隊員、「鈴鹿海軍航空隊」教官を務められた後、爆撃専修に進まれました。

大東亜戦争では空母「飛龍」艦攻搭乗員(偵察)として「真珠湾攻撃」(雷撃隊)、「インド洋作戦」に参加され、昭和17年4月9日「トリンコマリー空襲」時に右目を負傷(失明)、内地療養後は教官として「大井海軍航空隊」「徳島航空隊」で後進の指導に尽力されました。


真珠湾攻撃では「特第四攻撃隊」 第一中隊一番機 (操縦 : 分隊長・松村平太大尉) 偵察員として出撃、戦艦 「 ウエストバージニア 」 へ魚雷を命中させておられますが、『非常に攻撃しやすかった』 と冷静に回想されていらっしゃいました。
“最後の戦い”となったトリンコマリー空襲の模様を淡々と語られていた城さんですが・・・その内容は壮絶なものです。

零戦隊が低空に降下した隙を突いて襲ってきた「ホーカーハリケーン」の攻撃により、城さんの97艦攻は
30発以上被弾してしまいます。後席の電信員、同郷の稲毛一飛曹は腹部を撃たれたのか、前方に伏したまま
動きません。操縦員・高橋一飛曹は頭を負傷、城さんも右目に破片を浴び大量出血する非常事態に・・・!
瞬間、城さんは 『 死を覚悟した 』 そうです。

幸い、燃料タンク火災は起きなかったため、機は白煙を吐きながらも低空飛行で「飛龍」への帰還を目指します。

しかし、遠方に母艦を視認した直後 ついに発動機が停止し、洋上不時着を余儀なくされました。急速に沈み始める機体、操縦員と協力して重症の稲毛一飛曹を電信席から引っ張り上げて脱出しますが、駆逐艦に救助されるまで約30分漂流することになります。

救助された駆逐艦で疲労から眠りに落ちた3名ですが、目覚めた時、稲毛一飛曹はすでに亡くなられていました。

その後「飛龍」へ戻った城さんは右目に重傷を負っていたため、眼科を看られる軍医長が乗る「赤城」へ移ることとなりました。退艦の際、山口多聞司令官、加来止男艦長から握手と激励を受け感激されたとのこと。

喜ばしいことに、広い講演会場は聴講者で一杯!推定ですが300名以上いらっしゃったと思います。
講演後、ご親族様の許可を得てほんの少しだけですが、お話をさせていただく幸運(!)に恵まれましたが、
とても96歳とは思えない元気なお姿には感銘を受けました。

「戦争」とは何か?「戦場」で若者たちは如何に戦ったのか?
本や資料では決して伝わらない実情を語っていただいた城さま、本当にありがとうございました。

コメント

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■ > ねよ様       ・・・

> ねよ様      

コメントありがとうございます。

目の前に真珠湾を雷撃された方がいらっしゃるとは・・・!
本当に「凄い」ですよね、緊張しました(^^;

今から思うと
もっとブツさんのことお聞きしておけばよかったですね(笑)
osabetty | 2013-12-22 23:22 |

■ 講演会の様子、とても興・・・

講演会の様子、とても興味深く読ませていただきました。飛龍に乗ってらした方とは!すごい!私も直にお話をお聴きしたかったです。
ねよ | 2013-12-22 16:16 |
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