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空母赤城戦闘機隊Tシャツ 制作報告(1) 2017/07/20

暑中お見舞い申し上げます。

数日前、あるお客様からお電話をいただきました。

「赤城戦闘機隊Tシャツ、完成しましたか?」

・・・ <(_ _)> 誠に申し訳ございません。
現在、背面デザインの「背景」が完成に近づきつつありますが、全体の進捗率としてはまだ20%といったところです。


空母赤城戦闘機隊Tシャツ

▲ 【背面デザインの背景
真珠湾攻撃 「第一次攻撃隊」 発艦時の空母赤城をイメージ。右舷側避難ポケットにいる整備員の視点で描きました。


この舞台に主役たちを描き込んでゆくわけですが、役者?の数がめちゃくちゃ多いのが悩みの種です。

まず零戦21型は発艦開始直後の1番機を含めて4機、最低でも3機は必要ですが、この作業はさほど気になりません。

次に人員ですが・・・これが誠におぞましい(^^;
機付整備員、搭乗員、発着甲板指揮官、発着艦指揮官、艦橋各フロア上の要員に加え、帽振れで見送る多数の手空き兵員などなど・・・ざっと見積もって25〜30名ほど描かねばならない。今回はシルクスクリーン印刷を想定しているため使えるカラーは4色のみ、しかも全体サイズからみて人間一人の実寸は約1センチとかなり小さくなる。ちょっと気が遠くなりそうですが、全体として雰囲気が出せればTシャツデザインに成りうると考えています。

今年も快晴だった慰霊祭

先日の予科練戦没者慰霊祭は日差しまばゆい快晴の元で挙行されました。今年で4回目ですが、すべて快晴。私の中では「予科練慰霊祭=暑い」の法則が確立されつつあります。そして「遺書朗読」では、今年もまた泣いてしまいました。身内に戦没者はいないのですが。 「俺は泣かんぞ」 周囲からすすり泣きが漏れ聞こえる中、必死に頑張るのですが・・・毎回徒労に終わります (T﹏T)

第50回予科練戦没者慰霊祭

さて、今年も関東在住の戦史研究家さま方や戦没者ご遺族さまと会うことができました。特に嬉しかったのは 昨年知り合った茨城県の戦史研究家さまとの再会で、慰霊祭終了後、土浦の喫茶店で4時間(!)に渡って戦史談義をさせていただくこととなりました。元々この方とは「南太平洋海戦」が縁で繋がったのですが、今回の主な話題は「特攻」です。
二度と繰り返してはならない特攻ですが、その「気運」は陸海軍のどの部署で、いつ頃から萌芽していたのか?そして如何にして計画・実施へと移されていったのか?特攻といえば大西中将が有名ですが、彼が「海軍特攻 生みの親」であったかといえば、それは正鵠を得ていません。大西中将は海軍で最終的に引き金を引いた人物に過ぎず、当然それまでに一定の醸成・準備期間が存在するのです。すでにマリアナ沖海戦以前から必死必殺兵器構想が軍部内に散在していたことなどを考えますと、これはかなり深遠なテーマでして、日本組織の責任所在不明確性や日本人独特の滅私奉公気質なども考慮に入れつつ 慎重に考察しなければならないでしょう。

今年も慰霊祭に行ってきます  2017/05/27

明日5月28日(日)、「第50回豫科練戦没者慰霊祭」に参加すべく霞ヶ浦へ行ってまいります。
大東亜戦争における海軍航空隊搭乗員の中核はまぎれもなく予科練出身の若者たちでした。国家・国民・家族を護らんと自ら志願して国難に立ち向かった少年たちの決意を思う時、ただただ感謝の念しかありません。大阪からは遠いため毎回悩む(予算的にも)のですが、結局今年も参加させえていただくことにしました。しっかり感謝の祈りを捧げてきたいと思います。

昨年より一般参加OK(無料)となっておりますので、関東在住で海軍航空隊搭乗員にご興味のある方は一度お出掛けになってみてはいかがでしょうか。慰霊祭会場に建つ「雄翔館」では予科練戦没者関連の貴重な展示品などを見ることが出来ますし、当日は隣接する「予科練平和記念館」が無料開放されますのでちょっぴりお得でもあります(^^

【 第50回記念豫科練戦没者慰霊祭 】

■ 主催 : 公益財団法人「海原会」
  ※ 海原会は予科練出身戦没者の慰霊顕彰と遺書・遺品などを管理しています。
■ 日時 : 平成29年5月28日 午前10時半〜14時頃まで
■ 場所 : 陸上自衛隊武器学校内「雄翔園」(茨城県稲敷郡阿見町青宿121) 
■ 受付場所 : 当日午前9時から、「予科練平和記念館」側通用門前天幕

 ▲ 一昨年度慰霊祭の様子です。右は「予科練平和記念館」の零戦21型 実物大模型

次は 空母「赤城」戦闘機隊です  2017/05/26

次回作品テーマは空母「赤城」戦闘機隊の予定です。「零戦」への回帰は久々ですね。
一昨年、A4クリアファイル用に制作したデザイン(↓)が一部お客さまにご好評をいただきましたので、今回Tシャツデザインにアレンジさせていただくことにしました。

▲ 「ハワイ作戦」第一次攻撃隊
  制空隊指揮官機(空母赤城)の3機編隊

左から
【 一番機 】・・・第一次攻撃隊 制空隊指揮官
         板谷茂少佐(尾翼記号:AI-155)
【 二番機 】・・・平野崟(たかし)一飛曹 (AI-154)
【 三番機 】・・・岩間品次(しなじ)一飛曹 (AI-153)

二番機(平野一飛曹)は第一次攻撃隊「赤城」制空隊唯一の未帰還機です。史料によれば、対空砲火に被弾した平野機はヒッカム飛行場近くの工場前道路に墜落したとのこと。 【 右画像 】 は墜落直後の「AI-154」機です。樹木に激突したのか、操縦席後方から胴体が真っ二つに折れているのが判ります。デザイン左のデータプレートは2番機のものを再現しました。



さて、Tシャツデザインへのアレンジを構想するうち、例によって邪念?が頭をもたげてきました。
「なんとしても兵員を描きたい」
出来れば 赤城を発艦する零戦と見送る兵員たちのシーンを絵にしたいですね。また、現在のタッチはやや漫画的ですので、よりデザイン性を高めた描画方法での描きなおしを検討しております。デザイン中にアイデアが変貌していくのが私の常ですので、今後どうなるか全く想像がつきませんが・・・なんとか真夏までに販売にこぎ着けたいところです。

四式戦「疾風」Tシャツ、ようやく発売です。  2017/05/02

思いっきり遅れてしまいましたが、本日ようやく販売を開始いたしました。
Tシャツカラーはアーミーグリーンとデニムの2色展開、サイズはS〜XXXLまでカバーしております。
どうかよろしくお願いいたします <(_ _)>


四式戦「疾風」Tシャツ発売です。

大東亜決戦号、四式戦闘機「疾風」Tシャツ


商品ページをご覧になった方はすでにお気づきのことと思いますが・・・

とんでもなく長い解説文を書いてしまいました。

「長い文章は読まれない」ネットの鉄則を熟知していながら、気づいたら膨大な文章量になっておりました。元々この作品を創ったキッカケは、話題の尽きない「紫電改」に比べ、同じエンジン搭載でフィリピンでも立派に戦った「疾風」とその操縦者の方々があまりにも不憫に思えたからでして、ちょっと気合いが入りすぎてしまったのかも知れません (^^:

幸運にもスペルミス発覚  2017/04/01

本日、来日中の太平洋戦史研究家 Dan Kingさん と久々にお会いすることができました。
最近気にかかっていた米陸軍航空隊の戦闘報告記録に見られる「時間表記」についてご意見を伺った後、先日出たばかりの「疾風Tシャツ」の校正刷りをお見せしたのですが・・・。

背面デザインを一目見たDanさん、やや微妙な表情で私にこう尋ねました。

「このTシャツは、もう販売しているのですか?」

おっ?もしかしたら気に入ってくれたのかな?
まだ販売前であることを伝えますと、Danさんの口から思いがけないご指摘が

「スペルミスがあります。レイテのつづりが間違っていますね。」

(◎_◎) ゲゲッ!?
ビックリするやら、有難いやら・・・一瞬混乱してしまいましたが、見事に間違っておりました。

Layte=誤、Leyte=正

Danさん、感謝しております。 まだ本生産前なので必ず修正させていただきます。



疾風Tシャツのスペルミス

▲ スペルミスは2か所。 肝心の「レイテ」を間違えるとは・・・我ながら情けない Orz

四式戦「はやて(疾風)」Tシャツ デザイン報告 その(6)  2017/03/29

本日、東大阪市の印刷工場で「疾風Tシャツ」の初回色校正を確認してきました。

今回のプリント手法はシルクスクリーン印刷3色で、日の丸の「赤」を除けば実質2色です。かなりシンプルなカラー構成ですが、デザインイメージは印刷するTシャツの地色によって変化しますので、油断は禁物。特に今回のような 濃度・明度が微妙に異なるカラーTシャツ(アーミーグリーン、デニム)に印刷する場合、デザインの“見え方”に微妙な差が現れるのです。これらの修正は実物サンプルを目視チェックして微調整するしか手がありません。

さて、色校正の結果は・・・
背面デザインの“見え方”に微妙な差が現れました。Tシャツカラー「デニム」はほぼイメージ通りでしたが、「アーミーグリーン」では 暗い方のカラーがTシャツ地色にやや溶け込んでしまっています ( ̄ヘ ̄;)
ここは微妙なカラー調整が必要ですので、「アーミーグリーン」のみ再度色校正を出すことにいたしました。


疾風Tシャツの初回色校正

ようやく一段落  2017/03/12

疾風のデザインは明日、印刷所に送る予定です。
今回はシルクスクリーン印刷につき、カラー調整に多少手間取るかもしれませんが・・・うまくいけば4月中旬に発売できると思います。


【 陸軍四式戦闘機「はやて(疾風)」Tシャツ 】
■ Tシャツカラー:2色(アーミーグリーン、デニム) ■ 印刷手法:シルクスクリーン印刷 ■ サイズ:S〜XXXL


デザイン完成。四式戦闘機「はやて(疾風)」Tシャツ


全くの余談ですが・・・
疾風Tシャツのデザイン作業完了まで確定申告には手を出さないと決めておりました。デザイン中は集中できないからですが、我ながら不器用な性分です(笑)税務署さんの提出締め切りは3月15日ですので、なんとか間に合います。
( ̄◇ ̄)

四式戦「はやて(疾風)」Tシャツ デザイン報告 その(5)  2017/03/09

背面デザイン、ほぼ完成いたしました。

問題の"回転するプロペラ"ですが、やはり大苦戦いたしました。なかなかうまく描けず、最悪ペラ無しも考えましたが・・・なんとか形になった?と思います。( ̄ェ ̄;)


四式戦闘機「はやて(疾風)」Tシャツの背面デザイン

▲ レイテ湾を埋め尽くす米艦船群も描きたかったのですが、構図が崩れてしまうため数隻にとどめました。レイテ方面の戦闘は地上戦も含めてあまり知られていないようなので、タクロバン、レイテ島、サマール島など要所のみ名称を入れおります。

昭和19年10月上旬、飛行第51戦隊は52戦隊とともにルソン島(ポーラック)へ進出しましたが、米機動部隊艦載機群と戦闘を重ね、10月24日の「第一次レイテ総攻撃」時には可動機7機にまで消耗していました。それでも52戦隊とともにネグロス島サラビアに進出、連日レイテ方面への出撃を繰り返しますが、11月に入るとB-24、P-38によるサラビア基地への空襲が激化し、航空隊としての戦力は急速に失われていきます。そして船団護衛に出た11月12日、F6F群との戦闘によってついに51戦隊の可動機はゼロとなったのでした。11月下旬再建のため内地へ帰還。生存操縦者は10名ほどでした。

11月3日の邀撃戦でP-38撃墜2機を記録した常深(つねみ)不二夫准尉は手記の中でレイテ航空戦について次のように述懐しています。
『 一日一日、自分が生きていることがふしぎなくらいであった。逐次増大する敵飛行機にたいして、友軍機は日一日と戦死者がふえていった。』 ※ 「陸軍戦闘機隊の攻防」(黒江保彦ほか、光人社NF文庫、282頁)

四式戦「はやて(疾風)」Tシャツ デザイン報告 その(4)  2017/03/06

疾風Tシャツの背面デザイン、ようやく全体構図が見えてきました。進捗率は60%といったところです。

デザインバランスが崩れなければ、疾風とP-38をあと1機ずつ追加してみようかと思いますが、やはり一番の気がかりは 疾風の "回転するプロペラ" ですね。漫画やネット画像などを見ながら描画方法を考えておりますが・・・線画でペラを描くのは本当に難しい。焦ります (- _ -;)


四式戦闘機「はやて(疾風)」Tシャツ背面デザイン

▲ レイテ島上空 高度3600m、疾風(飛行第51戦隊)とP-38の空中戦!
レイテ航空戦は地上戦とともに熾烈を極め、10月末〜12月末、日本陸海軍航空部隊のレイテ島への出撃は1000回を超えました。同時期、米陸軍は200機以上のP-38を喪失しています。

前方に広がるのはレイテ湾、右上方向はスリガオ海峡へ至ります。左下隅の島はサマール島の南端です。眼下の市街地はマッカーサー司令部があったレイテの要衝・タクロバンで、突き出した半島にタクロバン飛行場がありました。
※ 英文コピーはダミーです。