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商品番号 0-013

商品名
 松山基地上空大空戦!「343空」紫電21型(紫電改)vs グラマン F6F ヘルキャット
商品番号
 0-013
グループ
 
 日本軍Tシャツ
モチーフ
 日本海軍 / 川西 N1J2-K 紫電21型(紫電改)
販売期間
 2011年05月~2015年09月
印刷手法
 淡色インクジェット印刷






大東亜戦争末期、新鋭戦闘機「紫電21型」(紫電改)を装備、歴戦の搭乗員を中核に据えて、日本海軍戦闘機隊最後の輝きを放ったのが第343海軍航空隊、通称「剣部隊」でした。そのデビュー戦となったのが「松山上空大空戦」とも呼ばれる昭和20年3月19日早朝の迎撃戦です。呉方面を目指す米第58機動部隊の戦・爆・攻連合約350機に対し、闘魂・技量抜群の3飛行隊長に率いられた紫電改約60機は果敢な編隊戦闘でこれを迎撃、豊後水道~四国北西部~呉上空に渡って激烈な空中戦が展開されました。

デザイン中央の「紫電改」は戦闘701飛行隊長、鴛淵孝大尉機を再現しています。グラマンF6Fは当日戦闘701、407と空戦したことが確認されている空母ホーネット搭載「VBF-17」(第17戦闘爆撃飛行隊)を参考に描きました。

解説&コメント

その後徐々に海軍松山基地の詳しい配置が判ってきましたので、改定版制作のタイミングを計っておりましたが・・・結局4年に渡って販売を続けることとなりました。2015年10月、メインデザインを背面へ移したリニューアルバージョンへと移行しました。

2015年10月発売のリニューアルバージョンはこちらです(↓)



商品番号 1-003

商品名
 空母「瑞鶴」メモリアルTシャツ
商品番号
 1-003
グループ
 
 日本軍Tシャツ
モチーフ
 日本海軍 / 正規空母「瑞鶴」
販売期間
 2011年6月~2014年7月
印刷手法
 濃色インクジェット印刷



大東亜戦争に参加した日本海軍航空母艦のうち最も活躍したと評価されているのが、翔鶴型の2隻、「翔鶴」と「瑞鶴」です。今回は最も多くの作戦・海戦に参加した「瑞鶴」の奮闘を讃える意図でそのメモリアルTシャツを作成いたしました。

初陣の「真珠湾作戦」を皮切りに、「翔鶴」とともに史上初の“空母決戦”を演じた「珊瑚海海戦」、「ホーネット」を沈め「エンタープライズ」を撃破するも貴重な搭乗員を多数失った「南太平洋海戦」、僚艦「翔鶴」を失い自らも初被弾を記録した「マリアナ沖海戦」、そして囮となって任務を完遂した最後の闘い「レイテ沖海戦」(エンガノ岬沖海戦)まで・・・その戦績はまさに“激闘伝説”( Fighting Legend )といえるのではないでしょうか。デザイン下部には「瑞鶴」が参加した主な作戦・海戦を列記いたしました。

解説&コメント

あくまで結果オーライですが(^^; 艦橋をシルエットで表現したデザインが大変好評をいただきましたので、バージョン2の「瑞鶴メモリアル改」を制作する予定です。

2014年12月発売の改訂バージョンはこちらです(↓)

販売終了Tシャツ保存庫

こちらでは過去に販売終了となったTシャツ作品を順次ご紹介させていただいております。
ご意見・ご感想などございましたら、各作品ページのコメント欄へどうぞ。


【 販売終了年月日 】

■ 2015年10月3日

■ 2014年7月20日

■ 2013年1月31日







商品番号 0-001

商品名
 太陽を背に突撃する零戦小隊 / オーガニックコットンTシャツ
商品番号
 0-001
グループ
 
 日本軍Tシャツ
モチーフ
 日本海軍 / 三菱 零式艦上戦闘機 21型(A6M2b)
販売期間
 2010年6月~2013年1月
印刷手法
 シルクスクリーン印刷 2色

すでに落下増槽を切り離し、太陽を背に突撃体制に入る小隊長機。ピタリと続く2番機、3番機。
小隊長の指はすでに20ミリ機銃の引き金にかかっている!敵パイロットが後方を振り返った瞬間、
このような光景が目に飛び込んできたかもしれません。
ベテラン搭乗員揃いだった太平洋戦争初期に於いては、 見事な編隊戦闘が多く見られたことでしょう。モチーフは零戦21型です。

解説&コメント

「Osabetty's」商品第1号で、当時一番創りたかったシーンです。
2色で太陽を背にした「逆光感」を出すのに苦労しました。零戦は完全にデフォルメしておりますが、「翼端捩り下げ」や翼の“しなり感”はなんとか表現できたと思います。



【 零式艦上戦闘機 二一型 】

言わずと知れた名戦闘機「零戦」。
太平洋戦争初期、連合国航空兵力をことごとく排除して制空権を確保し、日本軍破竹の快進撃を支えた立役者である。長大な航続距離と優秀な格闘戦能力を持つ「零戦」を熟練搭乗員が操った時はまさに無敵であり、連合国戦闘機隊には「零戦と格闘戦をしてはならない」「宙返りする零戦の後を追ってはならない」といった指令が出されている。
しかし、中期以降消耗戦になると熟練搭乗員も多数失われ、敵新鋭機の登場に伴う空戦戦術の変化も相まって、米軍のF6FやP38などに撃墜されるようになる。エンジン・機体の数次にわたる改造もかつての優勢を取り戻すことは出来ず、終戦間際には特攻機として使用されるにいたる。故・坂井三郎氏によれば、設計主務者・堀越二郎技師の口癖は「私が最も理想とする零戦は、二一型です。」だったという。
 
【左】
1945年(昭和16年)12月8日。
真珠湾作戦において空母「赤城」より発艦直前の第2次攻撃隊・制空隊の零戦21型群

 
▲ ラバウル東飛行場に並ぶ「零戦二一型」の列線。巻き起こっているのは火山灰か?



商品番号 0-002

商品名
 零戦伝説の「左捻り込み」 / オーガニックコットンTシャツ
商品番号
 0-002
グループ
 
 日本軍Tシャツ
モチーフ
 日本海軍 / 零式艦上戦闘機 21型(A6M2b)
販売期間
 2010年6月~2013年1月
印刷手法
 シルクスクリーン印刷 3色

零戦(零式艦上戦闘機)の優れた格闘戦性能と熟練搭乗員の技量が生み出した、伝説の「左捻り込み」。しかし、実際の機動は事実上全くの謎なうえ失速直前の危険な操作につき、これを意識して行える操縦者はほとんどいなかったというのが現実のようです。正確な機動は不明ですので、あくまで作者の「想像」でデザインしました。不明な箇所は描けなかった~というのが正直なところでもありますが、神業的な雰囲気だけでも感じていただければ幸いです。モチーフはもちろん零戦21型です。

解説&コメント

いわゆる「左捻り込み」と呼ばれる一連の機動はなかなか分かりづらく、従って本作品はその「イメージ」のみを訴求するに止まっております。その後 坂井三郎さん関連の書籍、対談記事、映像などで遅まきながら勉強を続けました結果、左斜め宙返り頂点付近での複雑な機動も少しづつ理解できるようになってきましたので、よりリアルなバージョンを必ず創る予定です。

商品番号 0-003

商品名
 零戦隊、空母『赤城』より発艦 / オーガニックコットンTシャツ
商品番号
 0-002
グループ
 
 日本軍Tシャツ
モチーフ
 日本海軍 / 三菱 零式艦上戦闘機 21型(A6M2b)、空母「赤城」
販売期間
 2010年6月~2013年1月
印刷手法
 シルクスクリーン印刷 3色

空母「赤城」より発艦直後の零式艦戦21型を正面から捉えたイメージです。降着装置(油圧式引込脚)収納中の状態を描きたかったのでこの構図となりました。当デザインの「赤城」はミッドウェー海戦以前の飛行甲板に日の丸塗装がない状態で、高い飛行甲板と左舷艦橋が「赤城」独特のシルエットです。

解説&コメント

零戦の角度は「真正面」と決めておりましたので、背景となる「赤城」の描画角度や遠近感の出し方に非常に悩みました。また、水平線を描くか描かないか、さらに海面・波の表現手法にも相当に頭を痛めた記憶がありますが、艦上機発艦時における空母の「全速疾走感」はもっとうまく表現するやり方があったかもしれません。

■ シルクスクリーン 3色 ■





 【 空母 赤城 】 ~ 初代 「第1航空艦隊」最盛期の旗艦

ワシントン軍縮条約により、建造中の巡洋戦艦「天城」型2番艦を空母として改造し1927年(昭和2年)竣工。

当初は格納庫から直接飛び出せる狙いで3段飛行甲板を採用したが、搭載機の増加と性能向上に対応できず、1935年(昭和10年)に最上段の飛行甲板を延長する形で1段全通甲板空母へと大改装される。煙突反対側の左舷中央に艦橋が設置されているが、その後甲板上の気流の乱れが確認されたため、左舷艦橋空母は「赤城」のほかは「飛龍」のみ。

太平洋戦争では真珠湾攻撃の機動部隊旗艦、その後ラバウル攻撃、インド洋作戦などに参加した後、ミッドウェー海戦(1942年、昭和17年)において艦爆の急襲を受けて大火災を起こし大破。最終的に味方駆逐艦により雷撃処理され、6月6日午前5時沈没。

 

▲ 昭和17年、インド洋作戦時の「赤城」。左後方に「蒼龍」「飛龍」が続く。数カ月後、3艦とも海底に沈むことになろうとは・・・ 

  ▲ 同じく インド洋作戦時の「赤城」。
   発艦直後の九九艦爆後席からの写真

■ 空母 「赤城 」 要目(1938年、昭和13年)
  □ 公式排水量:4万1300t □ 速力:31.2kt □ 水線長:250.36m □ 水線幅:31.32m
  □ 飛行甲板:249.2m×30.5m □ 機関出力:13万1200馬力 □ 搭載機:66機(補用25機) 
  □ 乗員数:約2000名

商品番号 0-004

商品名
 水上滑走する「2式飛行艇」と接近する内火艇 / オーガニックコットンTシャツ
商品番号
 0-004
グループ
 
 日本軍Tシャツ
モチーフ
 日本海軍 / 川西 2式飛行艇 12型(H8K2)“二式大艇(にしきだいてい)”
販売期間
 2010年6月~2013年1月
印刷手法
 シルクスクリーン印刷 3色

長期任務から内地帰還を果たし、無事着水のあと繋留位置へ水上滑走中の2式飛行艇(2式大艇)と、いち早く接近を試みる内火艇(うちびてい)をイメージしてデザインしました。機を失うことなく無事内地生還を果たした機長、操縦士以下搭乗員達の心中はいかばかりか・・・。到着した大艇には機密度の高い物資が積まれているのか、又は高位将官が便乗しているのかもしれません。

解説&コメント

最も苦労したのは「海面」の描画でして、これだけで2週間ほどかかってしまいました。また、二式大艇の“巨大さ”を表現するため手前に内火艇を描いたり、上空に鳥(カモメ)を入れたりしておりますが、果たしてうまくいっているのかどうか・・・?
2式大艇は大好きな機体ですので今後再チャレンジする予定です。

■ シルクスクリーン 3色 ■





 【 川西 2式飛行艇 】( 二式大艇 : にしきだいてい )

太平洋戦争当時世界トップクラスの高性能を誇り、日本海軍飛行艇の集大成ともいえる大型4発機。

日米開戦後の1942年(昭和17年)2月正式採用。太平洋戦争の主力飛行艇として、哨戒、偵察、輸送、爆撃などあらゆる局面で作戦投入される。重武装が大きな特徴で、大型飛行艇でありながらB17大型爆撃機を撃墜した記録があり、敵戦闘機が嫌がったという逸話もある。

12型・22型合計167機が生産されるが、常に長距離洋上作戦で搭乗員とともに酷使され、終戦時の残存機は
わずか4機。地上現存するのは旧「詫間空31号機」1機のみで、鹿児島県鹿屋市の「海上自衛隊鹿屋航空基地資料館」で野外展示されている。

 


▲ 昭和17年2月、川西航空機・甲南工場沖の大阪湾
を離水滑走する試作機。制式採用前後の写真。
 

▲ 「鹿屋航空基地資料館」に野外展示されている
“最後の2式飛行艇”426号機。
 


 ▲ 横浜飛行艇基地から出発する横須賀鎮守府所属「敷島号」。地上員達がウキの付いた台車を引き揚げている。
 

 ▲ ツラギ泊地で大破した2式飛行艇。
手前に米海兵隊員が映っていることから、おそらく1942年8月頃の写真と思われる。ガダルカナル争奪戦の幕開け期である。
 

■要目(二式飛行艇一二型)
  □ 略符号:H8K2 □ 設計・試作:川西航空機 □ 乗員:10名 □ 全長・全幅:28.13m×37.98m
  □ 発動機:三菱「火星」22型空冷1,850馬力×4基 □ 最大速度:時速454km
  □ 航続力:7,152km(偵察時) □ 武装:7.7ミリ機銃×4挺、20ミリ機銃×5挺、爆弾搭載2,000kg


商品番号 0-005

商品名
 「梓特別攻撃隊」銀河隊を誘導する「2式飛行艇」 / オーガニックコットンTシャツ
商品番号
 0-005
グループ
 
 日本軍Tシャツ
モチーフ
 日本海軍 / 川西 2式飛行艇 12型(H8K2)“二式大艇(にしきだいてい)”
販売期間
 2010年6月~2013年1月
印刷手法
 シルクスクリーン印刷 3色

ウルシー環礁に在泊する敵機動部隊への薄暮体当り攻撃を目指す「梓特別攻撃隊」銀河隊をヤップ島上空まで誘導する任務を負った詫間航空隊「2式飛行艇」。日没を迎えるもヤップ島へ到達できず、攻撃隊・誘導機ともに迫りくる焦燥感の中、必死の飛行が続きます。

構図は、南洋の夕闇のなか、ヤップ島を求めて左大変針する誘導機と後続する銀河編隊の姿をイメージしたものです。※ かろうじて誘導に成功した飛行艇ですが、直後、加速のため酷使し続けた1番エンジンが爆発停止。メレヨン島へ決死の夜間着水を敢行することになります。

解説&コメント
この時の誘導機操縦員、長峰五郎 飛行兵曹長の著書『2式大艇空戦記』を読み、思わず制作したのが本作品です。“南洋の黄昏”を沈みゆく夕日で表現したつもりでしたが・・・うまくいってませんね(笑)





【 梓特別攻撃隊 ( あずさとくべつこうげきたい ) 】

「第2次丹作戦」発動にともない1945年(昭和20年)3月11日午前9時前、鹿児島・鹿屋基地より762空・陸上爆撃機「銀河」(800キロ爆装)24機による「梓特別攻撃隊」が発進。詫間航空隊(香川県三豊市詫間町)2式飛行艇の誘導により約2900kmを無補給長駆してウルシー泊地の米機動部隊への薄暮体当り特攻を目指した。

途中、エンジン不調等により多数機が脱落し、最終突入(日本時間18:56以降)は11機。
日没後1時間以上が経過していたため薄暮攻撃は事実上果たせず、突入直前の電文は涙を誘う。

「クラシ クラシ カンシュフメイ」 ( 暗し 暗し 艦種不明 )

誘導機はウルシー方面に6~11本の火柱を確認。米軍側では空母「ランドルフ」の艦尾大破が報告されている。
※ 「梓」(あずさ)とはもともと「梓弓」の意味で、巫女が持つ邪悪を打ち払う弓の意味。

  
【左】
1945年(昭和20年)3月11日午前8時半頃、鹿屋基地。
続々列線を離れ、滑走路へ向かう「梓特攻隊」の銀河群。翼下に見える巨大な円筒は長距離飛行のための落下式増槽。
ヤップ島まで到達した15機の内4機は突入を諦め同島へ不時着、捲土重来を期して生還している。

 

 ▲ 1945年(昭和20年)2月24日、詫間航空隊総員に見送られ、発進基地の鹿児島県鴨池へ出発する「梓特別攻撃隊」誘導・2式大艇の搭乗員達。彼らは天候不順や作戦延期等により再整備のため詫間へ戻ってくることとなるが、3月8日再出撃する。※中央の背の高い人物は誘導機操縦員・長峰五郎 飛行兵曹長で、戦後 『二式大艇空戦記』(光人社刊)を書かれています。

商品番号 0-006

商品名
 メッサーシュミットMe163、B17爆撃機大編隊に突入!/オーガニックコットンTシャツ
商品番号
 0-006
グループ
 
 ドイツ軍Tシャツ
モチーフ
 ドイツ空軍 / メッサーシュミット Me163 Kometo
 USAAF アメリカ陸軍航空隊 / ボーイング B-17 爆撃機
販売期間
 2010年6月~2013年1月
印刷手法
 シルクスクリーン印刷 3色

世界初有人ロケット戦闘機として大戦末期に登場したドイツ空軍 メッサーシュミットMe163 Kometo( ※ コメート=彗星) しかしその革新的な機体もほとんど戦果を上げられずに終わっています。構図は、後世に多大な影響を与えたMe163とパイロット達のパイオニア精神に敬意を表する意図で想像したデザインです。( 実際には1944年12月にMe163の実戦出撃は確認されていないようです。)

【 構 図 】

ドイツ軍最後の反撃「ラインの護り」(バルジの戦い)もほぼ絶望的となり、敗色濃い1944年(昭和19年)12月下旬。飛行機雲を引きながら“わがもの顔”で飛来する米軍B-17大編隊に対し、降下攻撃を仕掛けんとする第400戦闘航空団(JG400)所属Me163Bの雄姿をイメージしました。ドイツ語コピーはパイロットの複雑な心境を物語っています。

■ ドイツ語コピー解説 :
「Frohe Weihnachten!」(フローエ ヴァイナハテン!) 「メリークリスマス!

解説&コメント
B-17大編隊の遠近感を出すのがまず大変でした。さらに「雲」とエンジン排気の「飛行機雲」が重なるため、かなり苦悩した記憶がありますが、それなりの世界は表現できたと思っております。

■ シルクスクリーン 3色 ■





【 メッサーシュミット Me163 Kometo ( 彗星 ) 】


第2次大戦時ドイツ空軍が開発した、史上初そして最後の実戦投入ロケット推進有人戦闘機
開発スタートは1938年(昭和13年)で、無尾翼機の権威、A.リピッシュ(当時ドイツ滑空研究所所属)の「DFS194」に、H.ヴァルターのロケットモーターを搭載する先進的発想だった。リピッシュ・グループのメッサーシュミット社(Me社)移籍に伴い、1939年(昭和14年)以降開発の舞台はMe社へと移る。1941年(昭和16年)10月、試験機は時速1,004.5キロ(マッハ0.84)という驚異的世界記録を達成し、航空省は量産化を決定。
 

    ▲  A.リピッシュ博士

    ▲ H.ヴァルター博士

 ▲  JG400司令官 シュペーテ少佐
 


【 左 】
1941年(昭和16年)10月2日、人類初の水平飛行時速1000キロ超えを達成した試作機、Me163AV4「KE+SW」。
この世界最高記録は当然ながら極秘扱いとされた。

しかしロケットエンジン開発は難航。
実験部隊・Ekdo16でも事故が続出したため、Me163専門部隊「第400戦闘航空団」(JG400)の創設は1944年(昭和19年)にまでずれ込む。エンジン不調・爆発等による事故が絶えない中、5月14日にシュペーテ大尉(Ekdo16)が初出撃。接敵に成功するも、エンジンフレームアウト(停止)により攻撃機会を逸し戦果無し。
驚異的なスピードと上昇力を持つMe163の登場は連合軍に衝撃を与えたが、エンジン燃焼時間が約6分と極端に短いことからくる活動範囲の限界と、超高速ゆえの射撃困難性、30mm機関砲の慢性的不調、燃料取扱いの難しさ、頻発するエンジン不調・事故、さらに末期には酸化剤(T液/高濃度過酸化水素)調達不能に陥るなど、実用兵器としてはほとんど役に立たなかった。

1945年(昭和20年)2月生産打ち切り決定。
パイロットの多くは新鋭ジェット戦闘機・Me262部隊へと移動し、最後の戦いを繰り広げることになる。

空軍が受領したMe163の総数279機中、実戦離陸できたのは25%のみ。総戦果も撃墜10機に届かず、実験・訓練において失われた機体数ははるかにこれを上回る。しかし同機が戦後の航空界・ロケット工学界に与えた影響は極めて大きく、特にその推進システムはA-4(V2号)とともに宇宙ロケットの基礎となった。
 


【 左 】
ドイツ東部ライプツィヒ近郊、ブランディス基地で発進司令を待つMe163b群。

■ 主要諸元 : 「Me163 B-1a」 (最量産機種)

   □全長:5.85m □全高:2.76m(台車上) □全幅:9.40m □翼面積:18.5㎡ □自重:1,900kg 
   □最大重量(燃料フル搭載時):4,300kg □最高速度:960km/h  □上昇限度:12,100m
   □航続時間:約7分 □巡航速度:825km/h □エンジン:ヴァルター「HWK 109-509A」(推力 1700kg) 
   □武装:30mm機関砲×2門


商品番号 0-007

商品名
 B17爆撃機を襲うロケット戦闘機・メッサーシュミットMe163/オーガニックコットンTシャツ
商品番号
 0-007
グループ
 
 ドイツ軍Tシャツ
モチーフ
 ドイツ空軍 / メッサーシュミット Me163 Kometo
 USAAF アメリカ陸軍航空隊 / B-17爆撃機
販売期間
 2010年6月~2013年1月
印刷手法
 シルクスクリーン印刷 3色

史上初そして最後の実戦投入有人ロケット戦闘機、ドイツ空軍メッサーシュミットMe163 Kometo (コメート=彗星)の戦闘風景をデザインしました。以下は作者の想像による構図設定です。

【 構 図 】

1944年夏、ドイツ東部ライプツィヒ近郊 高度7,000メートル。ブランディス基地を緊急発進した第400戦闘航空団(JG400)のMe163Bが米軍B-17爆撃機を迎撃!だが30mm機関砲による第1撃は外れたのか、はたまた射撃タイミングを逸したのか、敵機にダメージは無いようだ。高速で下方へ離脱するパイロットに戦果を目視確認する余裕はもちろん無い。この後同機は再上昇に入り、ラストチャンスに賭けるのだろうか?!

■ ドイツ語コピー解説 : 「Raketenabfangjäger」 = 「ロケット迎撃戦闘機」

解説&コメント

比較的すんなり完成した数少ない作品の一つですが、構図としてはちょっと平凡だったかもしれません。
時速800キロの「スピード感」「迫力」が十分に表現されているかと言えば・・・NOですかね orz



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