ソロモン航空戦に身を投じた水上機隊
『 R方面航空部隊 』 必死の奮戦
1942年(昭和17年)8月7日、米軍のガダルカナル島上陸をキッカケに始まったソロモン諸島をめぐる海空戦は日本海軍に大打撃を与え、ミッドウェイ海戦と並ぶ大東亜戦争の転換点(ターニングポイント)となりました。今回のデザインテーマは、ブーゲンビル島南端沖・ショートランド島基地を拠点に、ソロモン消耗戦を支援し続けた水上機部隊「R方面航空部隊」です。( ※ 「R」はラバウルの意味) ■ 昭和17年9月、初期南方作戦に活躍した水上機母艦群の搭載飛行機隊を中心に編成された同部隊の主戦力は、零式水上偵察機(三座)、零式水上観測機(二座)、九五式水上偵察機(二座)および零戦にフロートを付けた新鋭・二式水上戦闘機で、水上機ならではの機動性を活かした作戦全般に渡る側面支援が期待されました。
ガ島争奪戦から撤退に至るまで、日課とも言える輸送船往復掩護、ショートランドおよびブイン基地防空と出入り艦船の対潜哨戒、ソロモン海域の長距離偵察に加え、主力航空部隊のガ島攻撃にもたびたび参加し、さらには水上機隊単独での夜間爆撃反復や魚雷艇掃討作戦など・・・ 主力部隊を補完すべく、消耗と補充を重ねながらの任務は激烈かつ多岐にわたりました。この間に生起した敵戦闘機との空戦により多数の搭乗員・機体が失われますが、二式水戦、零式水上観測機による撃墜もまた多数報告されています。 ガ島撤退後、主戦場が急速に中部ソロモンへと移るなか、昭和18年4月「R方面航空部隊」は解散となりますが、その後も「958空」「938空」などに改称した水上機部隊の無謀ともいえる第一線投入は続行され、さらに多くの搭乗員たちがソロモン海に散っていきました(合掌) |
今回は水上機としてのハンデを負いながらも善戦敢闘した「R方面航空部隊」に敬意を表し、唯一の複葉機であった零式水上観測機(ゼロカン)をモチーフといたしました。前面はショートランド基地情景、背面にはP-38との空中戦をデザインしています。また左裾にはオリジナル制作の機体銘板を配置いたしました。 |
■ 「R方面航空部隊」として作戦した主要部隊 ■
□ 水上機母艦 「千歳」 飛行機隊 |
ショートランド基地に翼を休める零式観測機
「R方面航空部隊」の本拠地 ショートランド水上機基地の情景を写真などを参考に想像で描いています。 ショートランドのイメージばやはり“連なる椰子の木”ですので、少ない色数でどう表現するかが最大課題でしたが・・・なんとか雰囲気は出せたかと思います。
■ 零観(ゼロカン)2機はいずれも ■ 中央浜辺を歩く2名は搭乗員ペア(操縦員、偵察員)
■ 機上で友軍機に手を振る整備員は、 ■ 脚立上の整備員は発動機をチェック中 ■ 右側椰子林の奥に見えるテントは搭乗員宿舎
■ 左奥のテント張り施設群は簡易指揮所、 ■ 上空を航過するのは802空の二式水上戦闘機 |
ブイン上空、強敵P-38ライトニングを迎撃!
■ 零観のモチーフは、同空戦参加8機中6機を占めた特設水上機母艦「國川丸」所属機(機番号L-2- )です。 ▼
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【 左 】ショートランド島周辺の米軍空撮写真 戦史書物等によれば、ショートランド水上機基地はショートランド島~ポポラング島間の細長い水道の両岸に設営され、ショートランド側がB基地、ポポラング側はD基地と呼称されていたとのこと。詳しい位置は判りませんが、赤いラインの辺りかと想像します。 滑走路が確認できる三角形の島(左下)はバラレ島です。昭和17年9月より建設が始まったバラレ飛行場が本格的に機能し始めたのは翌18年1月下旬の「ガ島撤収作戦」以降。ここに山本長官が降り立つ予定だったのですが・・・ |
Osabetty's オリジナル! といえば聞こえはいいのですが、つまりは勝手に作った架空の機体銘板です。海軍機の場合、機体銘板は尾部左側に掲示されるケースが多いので、本Tシャツでは下部左サイドに「設置」いたしました。各情報の意味は下記の通りです。 |
■ 製造番号 「三菱第1347號」
■ 製造年月日 「74-3- 」 |
オープンエンド系のざっくりした風合いのヘビーウエイトTシャツ。リブはダブルステッチ
■ サイズ : S・M・L・XL・XXL ■ Tシャツカラー : ネイビー ■ 使用Tシャツ : クロスステッチOE1116 ■ 素材 : 綿100% 6.2オンス 16/_ 天竺 ■ プリント手法 : 前面・背面とも = シルクスクリーン印刷4色 |