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水上偵察・爆撃機「瑞雲」634空 長袖Tシャツ



日本海軍 最後の水偵 「瑞雲」


日本海軍ほど水上機を重視しかつ開発・運用した軍隊はなく、まさに空前絶後だと思われます。日中戦争における「九五式水上偵察機」の万能的活躍にその可能性を見出した海軍は、以後終戦に至るまで様々な水上偵察機(水偵)の開発を続けました。その飽くなき挑戦は大東亜戦争の主力となった 「零式三座水上偵察機」 「零式水上観測機」を生み出し、偵察・空戦・攻撃能力のさらなる向上を追求した 「紫雲」(高速偵察)、「瑞雲」 (急降下爆撃)、「晴嵐」(潜水艦搭載 特殊攻撃機)の開発へと至ります。

初期の侵攻作戦時には大いに活躍した水偵も、制空権を喪失した後期以降は苦境に立たされました。
敵戦闘機の跳梁する空域では、いかに高性能といえども大きなフロートをぶら下げた水上機の活躍する場は失われつつあったのです。しかし・・・それでも航空劣勢の穴を埋めるべく作戦に投入され続けます。戦争末期に登場した新鋭水上機「紫雲」「瑞雲」「晴嵐」の内、実戦参加したのは「捷一号作戦」以降に投入された「瑞雲」のみですが、その主要作戦はフィリピン決戦、沖縄戦でのゲリラ的夜間攻撃(爆撃)という過酷な任務でした。「瑞雲」操縦員・偵察員の戦死者は160名以上にのぼると言われています(合掌)

今回は苛酷な戦場で奮戦した水上機搭乗員の方々に敬意を表し、日本海軍最後の制式水偵(※)で「水爆」(水上爆撃機)の異名を持つ「瑞雲」(E16A1)をテーマとしてデザインさせていただきました。モチーフは昭和19年10月のフィリピン進出以来終戦まで一貫して瑞雲部隊を運用し続けた「海軍第634航空隊」(634空)です。
(※)「瑞雲」の開発記号は「E16A」、「E」は水偵を示すカテゴリー記号、「16」以降は存在しない。

 【 前面 】 25番(250素弾)を抱いて離水する「瑞雲」
 【 背面 】 昭和19年11月、マニラ湾キャビテ水上機基地へ帰還した「瑞雲」と迎える整備員たち


 


25番(250素弾)を抱いて離水する634空「瑞雲」

最も“水上機らしさ”が表現できる「離水シーン」をデザインしてみました。
機体下に描いた250素弾は目立たせるために実際よりやや大きく描いております。


■ ■ 愛知 水上偵察・爆撃機「瑞雲」 ■ ■


昭和15年2月、愛知航空機に試作内示された「十四試二座水上偵察機」※の海軍要求は ● 指定発動機=当時最高出力レベの三菱「金星」50型系 1300hp ● カタパルト射出常用 ● 250素弾による急降下爆撃実施容易 ● 格闘戦に優れる ● 最大速度250ノット(時速463km)● 航続距離1400海里(約2600km 偵察重量)など、フロートを下げた水上機では到底実現困難と思われる苛酷なものでした。
この名称は、「十四試高速水偵」(紫雲)との混同を避けるため、昭和16年に「十六試二座水上偵察機」へと変更されている。

愛知技術陣は苦心の末、昭和17年5月、以下のような新機軸を盛り込んだ試作機完成にこぎつけます。

  空力的に優れたスマートな機体を追求し、フロート支柱はワイヤー補強の無い片持ち式とする
  高速を狙って面積を減らした主翼にカタパルト射出・空戦時の揚力を与えるため親子フラップを採用
  急降下爆撃時の速度超過を抑える開閉式抵抗版(エアブレーキ)をフロート支柱前脚に装備

しかし、この時点で海軍の予定からはすでに1年以上の遅れが出ていました。
さらに、その後行われた海軍の飛行テストで補助翼・フロート支柱・主翼外板の強度不足に加えて抵抗版にも不具合が発覚し、機体改修に時間を取られた結果、制式採用は昭和18年8月までずれ込んでしまいます。一方その間に武装は戦闘機並みに強化され、後部偵察席の13正―討鵬辰両翼に20正―藤加が装備されました。

 
← フィリピン進出前の昭和19年9月頃、
 瀬戸内海上空で編隊飛行する634空瑞雲隊

水上機としては稀にみる高性能を持つ「瑞雲」は航空戦艦「伊勢」搭載の“艦爆兵力”として期待されましたが、戦局悪化によって母艦搭載による運用は実現せず、基地航空兵力としてフィリピン決戦、沖縄戦に投入されることとなります。量産は愛知航空機と日本飛行機が担当、終戦までに256機が生産されました。



キャビテ水上機基地に帰還した634空「瑞雲」と迎える地上員


 

比島決戦で初実戦を迎えた634空 瑞雲隊

第4航空戦隊( 航空戦艦「伊勢」「日向」)の艦爆兵力として昭和19年5月に編成された634空でしたが、6月の「あ」号作戦(マリアナ沖海戦)には間に合わず、その後 台湾沖航空戦(10月12〜16日)が発起すると母艦から分離して台湾へ進出、さらに「捷一号作戦」の発動を受けて10月下旬にフィリピン・ルソン島へ前進します。

マニラ湾南東岸のキャビテ水上機基地に展開した634空瑞雲隊は、数日遅れで進出したもう一つの瑞雲部隊「801空・偵察301飛行隊」(偵301)を指揮下に編入、レイテ島・ミンドロ島方面への夜間攻撃・索敵を繰り返しますが、人員・機材の消耗は激しく、翌昭和20年1月上旬、米軍のルソン島リンガエン湾上陸開始とともに搭乗員には台湾への脱出命令が下されました。このフィリピン戦で失われた瑞雲搭乗員は100名以上に上ると言われています。


構図は、キャビテ水上基地に無事帰還を果たした瑞雲を想像で描いています。整備員も含め、出来る限り多くの「人間」を描きたかったため、このような絵となりました。

□ 整備員に「おんぶ」され陸上へ運ばれる操縦員
□ 不具合かまたは被弾したのか?尾翼を指さす偵察員
□ 偵察員を揚陸すべくフロート上に待機する整備員
□ 牽引ロープを担いでフロートに上る整備員
□ メガホンで指示を出す先任整備員
□ いち早く主翼上に上がりエンジンを見る発動機担当員


などなど・・・現存する水上機部隊の戦場写真などを参考に、あくまで想像で描いておりますので自信はあまり無いのですが、これに近い光景が展開されていたのではないか?と思っております。

 



【 ニュース映像に残るキャビテ水上機基地の634空 瑞雲隊 】

撮影時期はよく判りませんが、634空主力のルソン島進出完了は昭和19年10月23日頃と伝えられますので、10月末頃の映像かも知れません。10月20日には米軍がレイテ島へ上陸を開始しており、10月25〜26日のレイテ沖海戦、初の特攻出撃など、レイテ決戦は一気にクライマックスへ向かいます。
※ 当時634空の中核をなしていた戦闘機隊(戦闘163・戦闘167 / 零戦約60機装備)はマニラ北西のクラーク航空基地群へ展開しますが約半月の激闘の末、両隊とも11月15日付で解隊となっています。

※ 同映像は「 日本ニュース 第243号 」として昭和20年1月に公開されたもので
『 NHK戦争証言アーカイブス 日本ニュース 』 にて閲覧可能です。





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■ 印刷手法:前面・背面とも = シルクスクリーン印刷 3色



水上偵察・爆撃機「瑞雲」634空 長袖Tシャツ

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